
観覧車から見た世界
実家の犬が死んで、2週間後。
犬がいるかのように両親と散歩に出かけ、犬がいないので観覧車に乗った。
夏至に近い6月の夕方のこと。すでに梅雨入りしていたように思うが、夜になる気配がどこにも見当たらない、よく晴れた日のことだった。
遊園地の跡地にできた大型ショッピングモールのシンボルとしてそびえ立つ、高さ日本一の観覧車。完成し、話題になって数年が経つというのに、わたしはまだ乗ったことがなかった。
一帯は、わたしたち家族がいつも犬の散歩に行っていたエリアだ。広大な公園があり、有料の園内に犬は入れないが、周辺には自然豊かな散歩スポットがたくさんある。

2020年5月の終わり、12歳になる少し手前で力尽きた犬。
年明けに判明した腸の病気が原因だった。
最後に連れていた父によると、散歩に出ようと家の門を開けたところで、通りがかった見知らぬ小型犬と吠え合い、その瞬間、一気にくずおれたという。まるで、かろうじて立たせていた糸が切れたかのように。
人間の感覚でいうとそれほど長患いではなかったが、犬にとってどうなのかはわからない。調子がわるくなって5ヶ月ほど。初めて散歩中に倒れてから、11日間。
散歩中に腰が立たず歩けなくなった犬を見て、もう二度と散歩に行けないのだろうかと悲しんでいたら、なんとまた復活してくれて、わたしも何度か一緒にいつもの公園に出かけることができた。
倒れた日の夜は姉と実家に泊まり込み、犬とリビングで寝た。ごはんはわたしの手からあげた。家族みんなが全力でちやほやしたことがよかったのか。とにかく、好物のすいかを食べたら、そこからめきめきと回復した。
今になってみると、あれは準備するための時間をくれたのかとも思う。自分が旅立つ準備ではなく、わたしたちが犬を失う心の準備。そのために、最後の元気を出してくれた。しんどかったはずなのに。犬はそのくらいのことはすると思う。
大切なものを失うのは、どれだけ準備をしようとも痛いことだ。けれども、復活してくれたおかげで、今日という日を、また一緒に散歩できることを、その貴重さを噛み締めることができた。
そして、11日後に切れた糸。
慌ててわたしに電話をかけてきてくれた母は、「心臓が動いてないみたいやねん」と言った。
死んでしまった、とは言わなかった。
だから、動揺しながらも、どこか希望を残したまま実家へと車を走らせた。心臓が動いていないだけだから、また動くかもしれないから、と。
訃報を聞き、すぐにお庭の花を摘んで持ってきてくださったご近所の方々の心遣いには打たれた。お花を贈る行為が、古代から脈々と続いてきた意味がわかる気がした。思い出すたび、寄り添ってくれるような、あたたかい気持ちがずっと残っている。
お向かいの方は、数日前に病気のことを母から聞いた後、すぐにお守りを持ってきてくれたそうだ。「病気平癒」と書かれたお守りの横で、責任を感じて困ったような表情の犬の写真を母が送ってくれた。

世界のあらゆる責任を一手に引き受けてしまうような犬だった。
家族のいつもと違う声音や表情、動きを見ると、尻尾を垂らしてさささと隅っこに行き、姿勢を低くして「どうもすみませんね」と。
京都のブリーダーさんのお宅へ迎えに行った時は、まだほんの子犬なのに、一歩引いて我々を観察する彼女が気に入り、母とも意見が一致して連れ帰って来たのだった。
靴をかじったり、ごみ箱を漁ったり、犬らしいいたずらをしたのは幼い時だけのこと。いつも慎重で、全体を観察し、場を読む。初めてのことは「お先にどうぞ」と母の後ろに隠れ、安全を見きわめる。人間の言葉(関西弁)をあまりに理解してくれるため、こちらも言葉で説明するのが当然と思うようになってしまった。
誠意を持って頼んだら、不本意なことも渋々受け入れてくれた。好きではないシャンプーの時も自分から浴室に入ってくれるし、病院でエコーを取る時など、仰向けになるだけでなく、首を曲げて自らモニターを見ていたほどだ。
雷と留守番だけはどうにも苦手で、母が買い物に出かけると、遠吠えをしてご近所中に家人の不在を知らせてくれた。
わたしは家族とは離れて暮らしていたが、犬を口実にしょっちゅう実家には帰っていて(なんなら前の犬の代から)、シャンプーやブラッシングはわたしの担当だった。
「お世話係」として、「姉妹」として、12年近くの間、ずっと家族だった。

火葬場では、本当にきれいに、丁寧に焼いてもらった。
食べ物や毛布は一緒に燃やせないとのことで、たくさんの花とともに。花は命で、小さな光だ。何も持っていけない死出の旅を照らしてくれる。いただいたお花たちと、その時庭に咲いていた白い薔薇を散らして。
柔らかな白黒の毛を纏ったからだ、今までありがとう。
左の前脚の毛の一部がパリパリ、チリチリになっていて、かゆかったのか汚れたのか、何度も舐めたのだと思う。犬が少し前まで、確かに生きていた痕跡。見た途端、涙をこらえた。家族に気づかれないよう肉球に鼻を近づけ、最後にこっそりにおいを嗅いで、別れを告げた。
次に対面したのは、標本のように美しく並べられた骨。
この子はね、ほかでもない、うちの家族なんですよ。
かわいいなあ、いいこやなあ、大好き。
骨なのに、やっぱり生身に対するのと同じ感情しか湧いてこなかった。
尻尾の骨は、犬たちの好きなガムやおもちゃの「ホネ」と同じようなかたち。先にいくほど小さく小さく、かわいくかわいくなっていく。肩甲骨は天使の翼。喉仏は垂れ耳の犬がプレイバウしているみたい。何度も何度も撫でて、手がカーブを覚えている頭蓋骨。こんなに立派な牙をいくつも持っていたとは知らなかったよ。

観覧車はゆっくりと上昇し、高みへと向かっていく。
眼下に広がる景色には、わたしたち家族が犬と過ごした12年分の時間が、はち切れんばかりにつまっていた。
ここから軽く見渡せるだけの範囲。それが、犬にとっては生きる世界のすべてだった。
そう思ったとたん、何層にも重なるそれぞれの瞬間が爆ぜ、宙空に放たれた。
あそこに見えるイチョウが、澄み渡った晴天の11月にどれほど美しく輝いたか。黄金色の海に足もとを浸しながら、カラスを追いかけて遊んだっけ。
あの桜並木は、春になると側溝を淡いピンクのふかふかで満たした。花びらが降りしきるなか、散歩コースを外れて仕事のために駅へと向かうわたしを、母と犬が並んで見送ってくれた。
なだらかな傾斜がついた芝生の広場には、犬の若い頃は週末ごとに遊びにきた。ボールではなく、ボールで遊ぶ仲良しの犬を追いかけて走り回り、疲れるとベロベロと舌を揺らしながら、草地でからだを冷やしていた。
夏の遅い朝、わずかな日陰を提供してくれたのは、夾竹桃の尖った葉っぱと南国調のピンクの花。
潰れた山桃の実で膝が真っ赤に染まったわたしの白いズボン。
藪に顔を突っ込んで、顔いっぱいのくっつき虫に情けない目を向けてくる犬。
一年中、積もったままのくぬぎの落ち葉をかき分けて進む、軽やかな足音。
雪雲が垂れこめるお正月には、心の調子がよくなかった姉の後ろを、距離を置きつつ、見失わないように静かに犬とついて歩いた。
好きな方向へ散らばって遊ぶ幼い姪や甥と、その間を忙しく行ったり来たりする犬。
どちらが持つか、リードの取り合いをする幼い姉妹を、困った顔で待ってあげていた。
家族や友人、お年寄りから子どもまで。
たくさんの犬の仲間と、それぞれの飼い主。
犬は、どんな時も、周囲の環境や人との関わりの間にいた。
ああ、そうか。
犬の世界は、たとえ見渡せる範囲であっても、ちっとも小さなものではなかったのだ。
季節は巡り、人は巡り、その時々の命を誰もが生ききっていた。
圧倒的なボリュームの思い出はあふれ、流れ、観覧車の回転とともに、空へ地面へ吸い込まれていった。
地上に降りたら、また散歩しよう。
犬が教えてくれた、この豊かな世界を。




