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嫌いだった上司に、気づいたら自分がなってた──リーダーとは、再生産を止める人

    「なんで伝わらないんだろう」

    気づいたら、自分もその言葉を口にしていた。

    昔、あれほど嫌だったはずなのに。

    「ちゃんと説明してくれよ」
    「背景を共有してくれよ」
    「こっちは新人なんだぞ」

    そう思っていた側だったのに、気づけば自分も、“察して動け”を求める側に立っていた。

    リーダーって、成功体験を語れる人のことじゃないと思う。

    むしろ、「自分の中にいる、嫌だった上司」を、どれだけ制御できるかだと思う。

    これは、そんな話です。


    最初の上司は、怖い人だった。

    朝、誰よりも早く会社に行った。

    新人だし、早く来た方がいいと思っていた。

    そしたら怒られた。

    「早く来るな」

    理由は説明されなかった。

    当時は意味がわからなかった。

    今なら少しわかる。

    たぶん、その部署には「早く来る文化」があったんだと思う。誰かが早く来ると、それが暗黙の基準になる。すると周囲もしんどくなる。だから潰したかった。

    でも、新人にはわからない。

    背景を知らない人間に対して、「察しろ」だけ投げても、人は育たない。

    ただ怯えるだけ。

    でも怖いのは、その数年後。

    後輩に対して、「これくらい普通わかるでしょ」

    と、自分が言いかけていたことだった。

    あ、始まってる、と思った。

    再生産だ。


    別の上司は、とにかく細かかかった。

    文章の一文字、改行、句読点、パワポの余白。永遠に終わらない修正。

    でも、その人自身は手を動かさない。口だけ動かす。

    すごい嫌いだったから、会議室の外から足音が聞こえるだけで、空気が張った。

    今でも覚えてる。革靴の音。あれだけで胃が痛くなっていた。

    当時、自分は蕁麻疹が出た。私の後任は会社に来られなくなった。

    でも今振り返ると、もっと怖いことがある。

    自分も忙しくなると、

    • 粗さが気になる

    • 他人のアウトプットにイライラする

    • 「なんでこんなこともできないんだ」と思う

    瞬間がある。

    つまり、条件が揃うと、人は簡単に“あちら側”へ行く。

    だから、「自分は違う」と思った瞬間が、一番危ない。


    ある部長は、「責任」だけ渡してきた。

    会議に突然入ってきて、「お前の仕事だから」と言う。

    助けない。

    守らない。

    でも失敗したら、お前の責任。

    あれはしんどかった。

    自分が“人”じゃなく、“処理装置”みたいに感じた。

    でも、もっと最悪だったのは、その空気に自分が慣れ始めていたことだった。

    人って環境に適応する。

    怖いくらいに。

    だから、誰かが無茶振りされていても、

    「まあ会社ってそんなもんだよな」と思い始める。

    新人の頃は怒っていたのに。

    だんだん麻痺していく。

    誰かが突然悪人になるんじゃない。

    少しずつ、“痛みに鈍感”になる。


    他にもある。

    若手の自分は、新規サービスの企画を通したかった。

    まだ誰もやっていない企画だった。

    言葉だけじゃ伝わらないと思って、自腹で3Dプリンターで模型を作っていた。

    でも当時の上司から返ってきた言葉は、

    「そこまでしなくていいのに」だった。

    あの時かなりショックだった。でも今なら、上司側の気持ちも少しわかる。

    たぶん怖かったんだと思う。若手の新しい提案って、責任が発生するから。

    前例のない提案は、通した瞬間に「自分の責任」になる。

    だから組織は、「正しいか」より先に、「前例があるか」を見始める。

    そして、気づく。日本の大企業って、失敗しないゲームには強い。

    でも、「まだ正解がない場所」に行く訓練を、あまりしていない。


    売上目標も、ずっとおかしかった。最初から未達前提の数字。

    誰も信じていない中期計画。会議では威勢のいい言葉が飛ぶ。

    でも終わったあと喫煙所では、「いや無理でしょ」が始まる。

    あれも危ない。建前だけが巨大化していく。誰も本音を言わなくなる。

    すると、現場は思考停止する。「決まったことをこなす人」が増えていく。

    でも、さらに怖いのはその後だった。

    管理側に近づくにつれて、

    • 波風を立てたくない

    • とりあえず通したい

    • 面倒を増やしたくない

    という感情が、自分の中にも出てきた。

    つまり、「組織を壊す側の論理」が、ちゃんと理解できてしまう。

    これが本当に怖い。


    プライベートでも嫌なこと言われのも思い出した。

    自分の結婚式。当時の自分は、「上司は呼ぶべき」と思っていた。

    半分、会社に人生を支配されていたんだと思う。

    三連休の中日だった。上司に嫌そうな顔をされた。

    「中日はやめてくれよ」と言われた。

    結婚式の日取りを抑えるのは本当に大変だったから、その時はショックだった。でも思う。

    そもそも、呼ばなくてもよかった。

    会社の人間関係が、人生のすべてみたいになっていた。

    あの頃の自分は、完全に飲み込まれていた。


    ただ、全員嫌だったわけじゃない。

    救われた上司もいた。

    海外企業との交渉に英語も話せない自分を連れて行ってくれた人。

    「お前も見ておけ」と、現場に立たせてくれた人。

    新規事業を、本気でやらせてくれた人。

    完璧じゃない。

    むしろ雑だった。

    でも、「挑戦する自由」だけは与えてくれた。

    そこは感謝している。結局、人は“正しさ”だけではついていかない。

    「この人、自分を信じてくれてるな」があるかどうかだ。


    忙しくなると、人は説明を省略する。

    余裕がなくなると、人は他人を雑に扱う。

    数字に追われると、人は“人間”より“処理”を見る。

    つまり、嫌な上司は、特殊な人間ではない。条件が揃うと、誰でもなる。

    自分も含めて。

    だからリーダーシップって、

    カリスマ性でも、
    熱量でも、
    ポジティブさでもない。

    まず、「再生産を止めること」なんだと思う。

    責任だけ渡さない。できない目標で麻痺させない。部下を駒として扱わない。

    そして何より、自分の中にいる“嫌だった上司”を、ちゃんと監視し続ける。

    それをサボった瞬間、人は簡単に嫌な側へ回る。

    昔の自分は、「なんでこんな上司になるんだろう」と思っていた。

    今は違う。「油断すると、自分もなる」と思っている。

    たぶん、その自覚からしか、本当のリーダーシップは始まらない。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    ランニングと音楽が好きです。読書も好きです。友人と音声配信も趣味で続けています。

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