
仏壇、一括現金即配で
ある日、どでか仏壇が届いた。
田舎の普通の一軒家である実家に大きい仏壇。入る人はまだ誰もいない。
祖父が突然、仏壇を買ってきてしまった。
同じ家に住む父方の祖父、当時75歳。
目が大きく鼻立ちがはっきりで年齢もあり髪が薄いので、結構なかなかトンビに似ている。
わたしが物心ついた頃にはもう耳が悪かったので声が大きかった。
その祖父が大声で言う
「おれはコレに入るんだ!!!」
ええー‥
子どもながらドン引きしたのを覚えている。
でかい。テカテカ。黒光りする大きな仏壇。
冷蔵庫より大きいし、二重の観音開き扉のいかつ過ぎること。金具の金ピカ具合や細部の装飾で小学生ですら感じる高価具合。何より、子どものわたしには真ん中に鎮座する観音さまが怖かった。ギラギラの観音さまを近くで見る機会なんてなかったからだ。
祖父も祖母も元気なのに。
飛んできた蜂を、蚊を叩くようにパァンとやるくらいにパワフルなのに。
祖父はこの豪華な仏壇を買ったのだと言う。
「こんなに大きい仏壇どうするんだよ」と父。
「入る」
当然、という態度だった。
その日、祖父は朝いちで町内の仏具店へ行き、現金一括、今すぐに届けてくれと購入してきたらしかった。
仏壇を一括現金即配。そんなことあるんだ。
なぜ思い立って仏壇(豪華)を買いに出掛けたのかわからない。
時代先取り、『終活』だ。
まだ世間でそんな言葉はなかった20年前。すんなり納得できる材料もなく。言ってはアレだが、まだまだ旅立ちそうにない。
両親はその仏壇の巨大さが老後の苦労を表しているようで気が滅入ったのか、値段を聞いてひっくり返ったのか、恐らくこれだが、相当言い争っていた。主に父と祖父が。
もう払ってある!これはおれのだ!と祖父。
祖母は無視。母は引いていた。
田舎の一戸建てである我が家は部屋が余っていたので、部屋のほとんどに祖父の仏壇が鎮座しようと特に生活に困らないのが敗因だった。
観音扉は閉められたままだったが、学校へ行く時、行ってきますと声をかける引き戸の間からちらりと黒光りが見えていた。
(返品)ダメだったんだ‥と子ども心に思った。
『the昔の人間』である祖父は、言い出したら聞かなかったのだ。
黒光りの仏壇は、しばらく高級装飾として部屋に鎮座した後ついに大往生の祖父を迎え、本業を開始した。
高校生になったばかりのわたしは初めての身内の不幸でどこか遠い出来事を眺めている感覚だったと記憶している。
先日、ずいぶん大人になったわたしは年度末休みで東京から実家へ帰った。
祖父の部屋を掃除し、仏壇も磨くことにした。
やはり、でかい。大きいというか、でかい。威圧感がすごい。
奥行きもあるせいで一汗かいてしまう。
大きすぎる、大変なんですけど、と苦情を入れながら乾拭きをする。
祖父とはあまり思い出がない。
先述の通り祖父は耳が遠く、会話にタイムラグがあるので子どもの頃のわたしではあまりコミュニケーションらしい会話が難しかったし、思春期の中学生と古の人間は相性が悪い。バレンタインにお裾分けしたチョコレートを変な形だと言われたことを根に持っていたので、以降プレゼント等もしていない。
母に対して怒るとわたしにも怒り、なぜかわたしの犬にも怒り出すという、思春期には理解不能な古のジジイ仕草も距離感に拍車をかけた。
母方の祖父が寡黙だがマメな人であった事もあり、『祖父との思い出』には偏りがある。
嫌いだとかそんな気持ちはないが、思い出が薄いのが正直なところ。
ただ、仏壇事件は実家に帰り仏壇を見るたび、おじいちゃんが買って来ちゃったんだよなー‥と思い出す。
そう言えばもらってきたお祭りの金魚を小型の鯉レベルの大きさになるまで育てていたなとか、一輪車の練習用で庭に鉄の棒をくくりつけてくれたけど、結局乗れなかったなとか。
ぽつぽつとした記憶を掘り起こす一打。
祖父が亡くなった際、お金のことや荷物のことは全く手付かずの状態だったらしいので、終活でも本当に手前の手前段階。祖父は単純に仏壇が欲しかっただけだったようだ。
「まあ‥自分の入る仏壇がどんなのか、先に欲しかったんでしょう」と母。歳を取ればわかるのかなと思っていたが、‥いや、生前に仏壇ほしいかな?
ともあれ祖父は祖母とふたり、黒光り仏壇に写真が収まっている。満足しているだろうか。
祖父へ缶ビール、祖母へ和菓子をお供えしてみたけれど、仏壇が大きくて小ぶりに見えた。
遅めのバレンタインにとチョコレートの箱も乗せたが、すごい義理チョコを渡したようなサイズ感。
おじいちゃん、これ、いいの
まあいいのか。とお鈴を一回、手を合わせる。
チョコレート食べてください。東京のおいしいやつです。