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【宿題帳(自習用)】家庭の時間:しつけ

    trafalgar

    [テキスト]
    「幸田家のしつけ」(平凡社新書)橋本敏男(著)

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    [ 内容 ]
    凛とした生き方が読者を魅了してやまない幸田文。
    これはすべて、露伴の厳格なしつけの賜物であった。
    掃除、食事、身だしなみ、言葉遣い、性、死生観…。
    人としてのあり方までを徹底して理詰めで教えた父、反発しつつも必死に食い下がる娘。
    露伴が文に伝えた「美しい心」とは何か。

    [ 目次 ]
    理詰めで教える掃除の達人
    父に向けた手厚い看護
    反発しながらも畏敬の心
    父は遊ばせ上手
    最もおいしいときに食す
    無言で育む美しい心
    「わかる」とは「結ぶ」こと
    形が人を美しく見せる
    着物は着こなしにある
    言葉遣いに厳しく
    父と娘の性教育問答
    夫婦の不和で傷つく子の心
    男の子に甘い父心
    生死の間に最後の教え

    [ 問題提起 ]
    抽象的な言い方になるが、娘とは「母が育てる」ものであり、息子とは「父が育てる」ものではないか、と、日ごろ、各界で活躍する多くの「娘」と「息子」たちに接している方々にとって、そう感じることがあるそうだ。

    つまり人間も、その根幹には生物的な性別ラインが敷かれている、ということなのだろう。

    しかし世の中には、いろいろな事情で、性別による割当ができない環境に置かれる「娘」と「息子」も多い。

    文筆家の幸田文はまさしくその例で、「母の娘」ではなく「父の娘」として育った人物だ。

    父は明治の文豪、幸田露伴。

    露伴の最初の妻が文の生母だが、彼女は文が6歳の時に病気で亡くなる。

    その2年後に露伴は継母と再婚するが、継母は実母と違って家事に疎く、家庭生活はなかなかに難しいものだった。

    となると、家事を担うのは娘の文の役割になる。

    こうして文は、まだまだ夢想にふけりたい思春期のうちから、掃除、洗濯、食事など生活一切をまわすしつけを、父から受けざるを得なくなった。

    同じく文豪を親に持ち、文筆で名を残した「父の娘」としては、エッセイストの森茉莉の例もあるが、茉莉は生涯、家事ができない人だった。

    文と茉莉の違いは作品に如実に表れているが、同時にそれは、父としての露伴と鴎外の違いともいえる。

    鴎外は娘に夢想を許しまくり、その結果、娘は大人になっても現実の生活がおぼつかなかった。

    一方、露伴は娘に夢想ではなく現実を教えた。

    なぜかというと、露伴自身が現実の中で生きる術を磨いた男だったからだ。

    7人兄弟の4番目、貧乏暮しの中で育った露伴は、朝晩の掃除、米とぎ、洗濯、火炊き、と何でもやった。

    というか、このくらいは家事として序の口で、さらに、ふき掃除、障子貼り、まき割り、庭の草取り、と、とにかく本当に何でもやった。

    娘をしつけるにあたっても、肌身に染みたノウハウがあったのだ。

    露伴と鴎外。

    パパに持つには、どっちがいいか、ちょっと迷うところだが、ともあれ、文は「父からしつけられる」運命に生まれたのだった。

    では露伴が文に授けたしつけとは、どういうものだったか。

    そのスピリッツがよく分かるひと言が本書に収められている。

    [ 結論 ]
    「水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない」

    さりげないものだが、確かにこれは家事を知り尽くした人でなければ、出ない言葉だ。

    たとえば、水仕事をやりつけない人間は、台ふきんをきりっ、と絞り上げることをしない。

    これは腕力のあるなしに関係ない。

    むしろ大の男が絞ったふきんの方が、へなへな、べしょべしょとして、使い物にならないことが多い。

    そういう事態に接すると、いくら仕事でぶいぶい言わせていようとも、

    「なーんだ、たいしたことないじゃん、ぷぷ」

    と、相手を瞬時に軽く判断してしまう。

    露伴的に言うと、ぬるい根性の持ち主として、敬意を払わなくなるのだ。

    露伴が文に伝えるノウハウは、スピリッツだけでなく、ディテイルも徹底している。

    「ぞうきんは、刺したものより一枚ぎれがいい。

    刺しぞうきんは不潔になり易い。

    大きさは八つ折が広げた手のひらからはみ出さない位であること。

    バケツには水を六分目に入れる。

    ぞうきんをしぼり上げた際、水滴を四方に飛び散らせないためである。

    少ない水はすぐ汚れるから度々取り替える。

    これを面倒がるのはケチだという」

    痛快なような、ああ、もう、うるさいなあ、分かったよ、と言いたくなるような、微妙なまでのディテイルではあるが、その先に続く

    「幸田家でケチは最も蔑まれ嫌われた言葉であった」

    にこそ、江戸に生まれた露伴流の真意がある。

    ディテイルに重きを置くことは、ケチを廃すること。

    家事をケチる人間に、いい仕事ができるわけもない。

    いい仕事ができぬ人間に、いい生がまっとうできるはずもない。

    と、目の前のぞうきん一枚が、人生全般に対するアチチュードへ敷衍していくのだ。

    露伴のしつけは、家事のやり方だけにとどまらず、食事の作法、着物の選び方、着方、身だしなみ、言葉使い、死生観の持ち方へと及んでいく。

    本書では、露伴に限らず、文を取り巻くさまざまな人が、文に与えた影響をひもとき、そこから文が得た美意識の要諦を

    「幸田家のしつけ」

    として、次々と登場させていく。

    「天の成せる資質、これを美人という。

    刻苦して或境界を開いた人、これを佳人という。

    美人はつくりつけ佳人は際知らず、美人佳人いずれも花のごとく、見てよし語ってよし触れてよし」

    これは、文の女学校の先生が言った言葉。

    美人はつくりつけだが、佳人は努力によってもっと先の境地に行ける、といった意味。

    「きもの三枚くらい着つぶして、帯一つヨレヨレにすれば何とかなる」

    これは、文の娘でやはり文筆家として名高い青木玉が、文から習った着物の着方。

    「きれいに早く、そして音をたてるな」

    これは、露伴の仕事の基準。

    掃除も炊事も洗濯も何もかも、きれいに手早いことがよし。

    [ コメント ]
    ・・・こうやって引用していくと、

    「幸田家のしつけ」

    とはつまり、新書の大ベストセラー『女性の品格』を、もっと知的に感性豊かに表したものだといえる。

    「女性の品格」(PHP新書)坂東眞理子(著)

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    露伴が生きた時代から100年が過ぎ、何事もすべて簡便に流れる今、私たちは逆に、こういった時代がかった美意識にこそ、生きる基準を見出そうとしているのだろう。

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    【参考記事】

    文部科学省で定められている基本の教科は、以下の10教科です。
    ■国語
    ■社会
    ■算数
    ■理科
    ■生活
    ■音楽
    ■図画工作
    ■家庭
    ■体育
    ■外国語活動(英語)
    外国語活動は、2020年に改訂された学習指導要領から必修になりました。
    小学3・4年生では、「外国語活動」、5・6年生では、「英語」の教科として含まれます。
    その他の教科・活動として、小学校の授業では、上記の10教科の他に、以下の2種類を編成できるそうです。
    ■道徳
    ■特別活動
    ■総合的な学習の時間

     
     
     
    固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。

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