
【哲学エッセイ】「無の不存在論~小石川の思考 第四回」
四 無が存在できないは客観的なのか。
これまで私は3回にわたって自分の思考が確立される変遷をお話してきました。
今回はなぜ私が「無が存在できない」と考えたのか。その説明をしていきたいと思います。
まず宇宙の話の中で「無の中でも量子は揺らげた。」という言葉を目にします。
実をいうと私が一番ひっかかった言葉です。
時間を使わずどう揺らぐのか。量子が何度も揺らぐのであれば、そこには既に時間が存在すると思います。私は本当にそれって無なのかという疑問がわきました。
時間がない世界とは全てが静止した世界のはずです。そんな世界からは何も生まれるはずはありません。
すなわち時間がない世界は何も始まらないというのが答えになるはずです。
そこで私たちの世界はどのように始まったのでしょうか。
よく目にするのは‘’差‘’、‘’量子‘’など小さなものから始まった。
またはエネルギーが発生した。
これは何もない、時間がない世界でどのように発生するのでしょう。
何かドラマがあった?
思わぬイレギュラーがあった?
私からすればどれも時間がなければ起こりません。
それでは宇宙の始まりは必然であった。
私はこれが一番しっくりくるような気がします。必然であるためには何が必要なのでしょう。
量子?、法則?、差?
どれも時間や空間が必要ではないでしょうか。
そこで私は一つの事に気付きます。
無は想像できない。
想像すると必ず時間や空間が絡む。
‘’想像できない‘’。それは‘’無が存在しない‘’からではないのか。
無が存在しないのであれば、何かが有ることは必然となるように思えます。
そして無は‘’存在しない‘’ということは無は‘’存在できない‘’と解釈する事ができる。
エネルギーは時空がないと作用できません。
全くの無から量子の揺らぎ、ましてや物理で何かが始まるとは考えづらいのです。
だから‘’無は存在できない‘’から始まった。
これが私の仮説の出発点となりました。
事実をありのまま受け止める。
そこから思考を始める。
私はこのようにして無の不存在論を作り始めました。