
電車の乗り方を知らないと、アニメのエモいシーンは理解できない
だいずです。
関西で大学生をやっています。
この記事は5分くらいで読めます。
都会っていっつも画面の中だな
小さい頃、テレビの朝の天気予報で、
東京のスクランブル交差点が映っているのを見ていた時、
九州の片田舎のハナタレキッズだった私は
「すごいなぁ、この人たちみんな都会人なんだ」
と言いました。
母は、
「東京がいちばん田舎者の集まりなんだよ」
と笑いました。
母は、私の九州の実家よりも、さらに田舎の東北で生まれ、
18歳からしばらく東京に住んでいたらしいので、
妙に説得力あって草、と思っていました。
それでも、私にとっての都会はいつも画面の中でした。
それから、私もついに18歳になって、進学のために関西に進出することになりました。
梅田に降りた時、ほとんど人生で初めて、
コンクリートジャングルを見ました。
「全部のビルが県庁くらいある!」
「地震きたら倒れてこないのかな?」
「空が狭いね」
そんな話をしながら、
一緒に地元から出てきた友達と、2人でビル街を見上げて、写真を撮りました。
今では私は、
関西に遊びにきた地元の友達が
ビルの写真を撮るのを傍で微笑んで眺め、
駅の人混みに萎縮する友人に
「気持ちで負けんな」と
アドバイスするほど、都会人に擬態できてしまっています。
都会の構成員のうちの何割かは、
かつての私のような純粋なキッズだったはずで、
空の広さを知っていたはずです。
その全てを思い出すことがなくなってしまったかもしれません。
私が初めて都会の電車に乗ったのは、
実は関西よりも先に東京の電車でした。
憧れだったはずの都会色に染め上げられつつありながら、数多のビルが織りなす光に目が慣れきってしまったことへのアンチテーゼとして、
いつか目だけではなく、
心すら慣れきってしまう時のために、
初めて電車に乗った時のことを
備忘録として残しておきたいと思います。
あなたは、初めて都会の電車に乗った時のことを覚えていますか?
東京はほんとうにあった
高校生のとある夏、私は当時できたばかりの
「メイキングオブハリーポッター スタジオツアー東京」
に行くため、東京までやってきました。
(当時は本当に重症なハリポタ中毒症状を抱えていました。
進路希望調査にホグワーツと書いてプチ怒られが発生したこともあります)
スタジオツアーに行くために、切符を買って、朝の東京の電車に乗りました。
人生で未だかつてないほど他人と接近した瞬間でした。
私の世界では、知らない人と肩が触れるほど接近するのは、それまで道端ですれ違うときくらいだったからです。
私は電車に乗ったのが数えるほどしかありませんでしたから、
密室に何十人何百人と赤の他人たちが箱詰めにされるというシステムが脳内データベースに皆無だったのです。
知らない人とわずか10センチの距離に座り、
シンプルに「ありえない‼️😠」と思っていました。
知らない人の波に押し潰され、知らない人の体温を感じるのが本当に人生でどの時間を検索しても未体験で、強烈な違和感を持ちました。
なのにみんなあまりにも普通の顔をしているので、おかしいと思いました。
だから、
「あ、今日この辺で夏祭りがあるのかな?」
と思いました。
ドがつくほどの平日に、ドがつくほどの朝に、
そんなことあるはずもないのですが、
その時の人混みは私の人生経験上、夏祭りで地域中のキッズが集まった時くらいしか起こりえないものだと考え至りました。
次に驚いたのが、「線」という概念です。
小田急線や、JR山手線、JR中央快速などの、線です。
基本的に電車は上りと下りのみの世界で生きていたせいで、まず、Jがつくマークが全部JRなのも理解不能でした。
JR九州以外にももしかしたらJRはあるかもしれないと察してはいましたが、これほどまでに巨大な組織だとは夢にも思っていませんでした。
新幹線もあるなんて。
なんなんだよ、JR、お前…と思いました。
山手線だって、存在は知っていました。
給食の時間によく山手線ゲームをして遊んでいたからです。
でも、唯一馴染みのある山手線すらJRでした。
それに、いざ乗ってみれば、山手線はどの駅も聞いたことがある名前でした。
全てテレビで見たことがある名前でした。
知らない駅名が一つもなく、山手線って東京のラスボス…?と、戦々恐々とした記憶があります。
あまりのカルチャーショックに思考停止した私は、ただ一緒にいた母親とはぐれないように目を凝らして、早歩きをするしかありませんでした。
(その後のハリーポッターの世界には、複雑な路線図など存在しませんでした。
あるのは、煙を吐きながら山を駆け、私たちに魔法を運んでくれる、あの赤く輝くホグワーツ特急でした)
巣から放たれ
そして、高校を卒業し地元を出た私は、
いよいよ雛鳥のように親のうしろをついて回るわけにはいかなくなってしまいました。
路線図の見方もわからないので、とりあえず来た電車に乗ってみたり、そして普通に迷子になったりしました。
乗り換えという概念も言葉でだけ認識していたので、電車アプリで乗り換えが表示されるともうお手上げでした。
アプリでは、7分後の「〇〇行き」の特急に乗れと書いてあっても、
特急や普通の概念は、J-POPの歌詞とかでしか見たことがないので心のどこかで架空のものだと思っていた節もあり、
7分を待たず目の前の「〇〇行き」に乗っては、
永遠に目的地に着かず、遅刻が確定しそうになったりとか。
それでも途中で降りてしまうともっと分からなくなるので、成す術なく永遠とも思える電車に揺られました。
電車の乗り方を知らないと、アニメのエモいシーンは理解できない
ただ、嬉しくて仕方のないこともありました。
それは、モバイルICと自動改札の存在です。
切符ではなく、「ピッ」と音を鳴らして
自動改札を通る。
この動作にどれだけ憧れていたか。
田舎の電車は、無人駅も少なくありません。
改札がないこともあります。
無人の駅に切符を入れるポストが置いてあるだけだったりするのです。
(性善説すぎるだろと思います)
だからこそ、はじめてモバイルSuicaをかざして自動改札を通過した時、
「おおかみこどもの雨と雪みたい🎶」
と思っていました。
おおかみこどもの雨と雪では、
序盤の雨雪の両親の出会いのシーンで、音を鳴らして自動改札を通るシーンがあります。
初めて見た時は改札の存在を知らなかったので、
「何してんの」くらいに思っていましたが、
自分がそれをした時に、ビビッと頭の中で繋がって、「うお…」と感動してしまいました。
電流が走ったように、時を超えて理解したアニメがもう一つあります。
「君の名は。」です。
「君の名は。」の公開当時も、私はガチキッズ時代。
大人になった瀧くんと三葉が、別の路線の電車に乗っていて、ドアのガラス越しにお互いの姿を見つけるシーン。
「なんで焦ってるの?同じ方向なんだから行き先一緒でしょ?」
と、何も知らないガキンチョは、感動のクライマックスシーンを物理的な路線システムへの疑問としてしか処理することができませんでした。
実際に自分が複数路線の存在する世界線に住むと、隣の線の電車と間近で並走したりしますよね。
私はその時、いまだに瀧くんと三葉の姿を探してしまいます。
都会は冷たいとよく言います。
でも、田舎では、他人の体温をすぐ横に感じることはありません。
その物理的で単純な温かさだけが、
都会に流れる唯一の血脈なのかもしれません。
(ただ、通退勤やっぱりラッシュの人混みは、夏祭りくらい浮かれた気持ちがないととても耐えられたものではない)