
読むラジオドラマ『Bar 空白』第1夜 赤いハートの欲求
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激しい雨の音。
路地裏の重いドアが開き、カランと控えめなベルが鳴る。
外の喧騒が遮断され、
店内には静かなウッドベースのジャズが流れている。
濡れた傘をバサッとまとめる音。
ヒールの音がカウンターに近づき、スツールの軋む音。

女「(ため息)……ひどい雨」
カチャカチャカチャ、とスマホの画面をせわしなく叩き続ける音。
マスター「いらっしゃい。ずいぶんと激しく叩きながら入ってきたね。親指の腹、すり減ってなくなっちゃうよ」
女「あ、マスター。……ねえ、ちょっと聞いてよ」
マスター「はいはい。どうしたの、綺麗な眉間にしわ寄せて」
女「二時間前にアップした新しいネイルの写真、まだ『いいね』が十個しかついてないの。いつもならもう五十は超えてるのに……私、みんなに嫌われてるのかな」
スマホを叩く音がさらに早くなる。
女「見てるはずなのに、スルーされてる……どうしよう、変なこと書いちゃったかな」
マスター「……あのさ。君は、見られていないと消えちゃうの?」
女「え? 何それ」
マスター「画面の向こうの誰かが、君のネイルの写真を『見た』瞬間だけ、君という存在が確定する。それ以外の時間の君は、実体がないまま空気中を漂っている。……そんなふうに思ってない?」
女「そんなわけないでしょ。私はちゃんとここにいるし」
マスター「そうだよね。じゃあ、誰の目線がなくても君は君のままだ。……少しスマホから手を離しなよ。いいモノを作ってあげる」
マスターがカウンターの奥で動き始める。
ロックグラスに四角い角砂糖が「コロン」と落ちる音。
数滴の液体が垂れる音。そして、トクトクと静かに注がれるお酒。
女「……なに? 今のお酒」
マスター「ビターズっていう苦味のあるお酒を、砂糖に染み込ませたんだ。それに、ウイスキー」
大きな氷がグラスに入り、カランと鳴る。
シュッ、とオレンジの皮が絞られる微かな音。
マスター「はい、お待ち遠さま。最先端の電波に振り回されてる君に、一番『古風な(オールド・ファッションド)』現実を。これ、世界最古のカクテルって言われてるんだよ」
グラスがトン、と女の前に置かれる。
女「オールド・ファッションド……え、ちょっとマスター、底に四角い砂糖が沈んだままだよ? 混ざってないじゃん。手抜き?」
マスター「(小さく笑って)違うよ。マドラー代わりのこの小さなスプーン、見て」
銀色のスプーンがカチンとグラスに添えられる。
マスター「このカクテルはね、飲む人が自分で底の砂糖を潰して、自分にちょうどいい甘さに調整しながら飲むものなんだ。自分の手元で、味を完成させる」
女「自分で……」
マスター「今の君、これと全く逆のことしてるよ」
女「逆?」
マスター「画面の向こうの見ず知らずの他人に『ねえ、私のグラス、どれくらい甘くしてくれますか?』って、自分のスプーンを丸投げしてる。だから、他人の気分で投げ込まれた『十個』っていう砂糖の数を数えて、甘くない、スベってるって勝手に飢えてるんだ」
女がハッとして息を呑む気配。
マスター「誰にも見られていなくたって、そのグラスの中にはもう十分なウイスキーと、十個の甘い砂糖が沈んでるんだよ。ただ君が、自分で混ぜるのをサボってるだけだ」
ジャズのベース音が静かに響く。
マスター「他人に君の味を決めさせるなよ。誰かの視線がなくても、君の時間は動いてる」
女「……」
女がスマホをパタンと裏返し、カウンターに伏せる音。
ゆっくりとスプーンを手に取る。
グラスの底で、氷と角砂糖を「ゴリゴリ、ガリッ」と潰す重たくてリアルな音。
カラン、と涼やかに氷が鳴る。
女「……(一口飲んで)あ、美味しい。ちょっと苦いけど、甘い」
マスター「でしょ。自分の機嫌くらい、自分の手元のスプーンで潰してとりなよ」
女「うん……なんだか、目が覚めたかも。スマホばっかり見て、バカみたいだった」
マスター「いいからゆっくり飲みな。外の雨、まだ止まないし」
女「マスター、ありがとう。今日のお酒、ごちそうするね」
マスター「おや。うちのチャージ料とこの世界最古のカクテル、結構いいお値段するけど、後悔しない?」
女「いいよ。その代わり、この一杯で一時間、雨宿りさせてよ」
マスター「……交渉成立だね」
雨の音と、ゴリゴリと氷を削る音。
静かに夜が更けていく。
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🥃 付録:オールド・ファッションドの作り方
【材料】
ウイスキー(バーボンやライ・ウイスキーがお勧め):45ml〜60ml
角砂糖:1個
アロマティック・ビターズ(アンゴスチュラ・ビターズ等):2〜3滴
炭酸水(または水):少量(※砂糖を溶けやすくするため)
大きな氷(ロックアイス)
オレンジの皮(またはレモンの皮)
【手順】
ロックグラスに角砂糖を1つ入れます。
角砂糖の上にビターズを2〜3滴垂らし、染み込ませます。
少量の炭酸水を加え、マドラー(またはスプーン)で角砂糖を軽くつぶします。(※全部溶かしきらず、あえて残すのがスタイルです)
大きな氷をグラスに入れます。
ウイスキーを注ぎ、氷を持ち上げるように静かにステア(混ぜる)します。
最後に、オレンジの皮をグラスの上でシュッと絞り(ピール)、香りをつけたら完成です。徐々に砂糖を潰しながら、味の変化を楽しんでください。
