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読むラジオドラマ『Bar 空白』第1夜 赤いハートの欲求

    ***

      激しい雨の音。
      路地裏の重いドアが開き、カランと控えめなベルが鳴る。
      外の喧騒が遮断され、
          店内には静かなウッドベースのジャズが流れている。


          濡れた傘をバサッとまとめる音。
      ヒールの音がカウンターに近づき、スツールの軋む音。


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    女「(ため息)……ひどい雨」

      カチャカチャカチャ、とスマホの画面をせわしなく叩き続ける音。

    マスター「いらっしゃい。ずいぶんと激しく叩きながら入ってきたね。親指の腹、すり減ってなくなっちゃうよ」

    女「あ、マスター。……ねえ、ちょっと聞いてよ」

    マスター「はいはい。どうしたの、綺麗な眉間にしわ寄せて」

    女「二時間前にアップした新しいネイルの写真、まだ『いいね』が十個しかついてないの。いつもならもう五十は超えてるのに……私、みんなに嫌われてるのかな」

      スマホを叩く音がさらに早くなる。

    女「見てるはずなのに、スルーされてる……どうしよう、変なこと書いちゃったかな」

    マスター「……あのさ。君は、見られていないと消えちゃうの?」

    女「え? 何それ」

    マスター「画面の向こうの誰かが、君のネイルの写真を『見た』瞬間だけ、君という存在が確定する。それ以外の時間の君は、実体がないまま空気中を漂っている。……そんなふうに思ってない?」

    女「そんなわけないでしょ。私はちゃんとここにいるし」

    マスター「そうだよね。じゃあ、誰の目線がなくても君は君のままだ。……少しスマホから手を離しなよ。いいモノを作ってあげる」

      マスターがカウンターの奥で動き始める。
      ロックグラスに四角い角砂糖が「コロン」と落ちる音。
      数滴の液体が垂れる音。そして、トクトクと静かに注がれるお酒。

    女「……なに? 今のお酒」

    マスター「ビターズっていう苦味のあるお酒を、砂糖に染み込ませたんだ。それに、ウイスキー」

      大きな氷がグラスに入り、カランと鳴る。
      シュッ、とオレンジの皮が絞られる微かな音。

    マスター「はい、お待ち遠さま。最先端の電波に振り回されてる君に、一番『古風な(オールド・ファッションド)』現実を。これ、世界最古のカクテルって言われてるんだよ」

      グラスがトン、と女の前に置かれる。

    女「オールド・ファッションド……え、ちょっとマスター、底に四角い砂糖が沈んだままだよ? 混ざってないじゃん。手抜き?」

    マスター「(小さく笑って)違うよ。マドラー代わりのこの小さなスプーン、見て」

      銀色のスプーンがカチンとグラスに添えられる。

    マスター「このカクテルはね、飲む人が自分で底の砂糖を潰して、自分にちょうどいい甘さに調整しながら飲むものなんだ。自分の手元で、味を完成させる」

    女「自分で……」

    マスター「今の君、これと全く逆のことしてるよ」

    女「逆?」

    マスター「画面の向こうの見ず知らずの他人に『ねえ、私のグラス、どれくらい甘くしてくれますか?』って、自分のスプーンを丸投げしてる。だから、他人の気分で投げ込まれた『十個』っていう砂糖の数を数えて、甘くない、スベってるって勝手に飢えてるんだ」

      女がハッとして息を呑む気配。

    マスター「誰にも見られていなくたって、そのグラスの中にはもう十分なウイスキーと、十個の甘い砂糖が沈んでるんだよ。ただ君が、自分で混ぜるのをサボってるだけだ」

      ジャズのベース音が静かに響く。

    マスター「他人に君の味を決めさせるなよ。誰かの視線がなくても、君の時間は動いてる」

    女「……」

      女がスマホをパタンと裏返し、カウンターに伏せる音。
      ゆっくりとスプーンを手に取る。
      グラスの底で、氷と角砂糖を「ゴリゴリ、ガリッ」と潰す重たくてリアルな音。
      カラン、と涼やかに氷が鳴る。

    女「……(一口飲んで)あ、美味しい。ちょっと苦いけど、甘い」

    マスター「でしょ。自分の機嫌くらい、自分の手元のスプーンで潰してとりなよ」

    女「うん……なんだか、目が覚めたかも。スマホばっかり見て、バカみたいだった」

    マスター「いいからゆっくり飲みな。外の雨、まだ止まないし」

    女「マスター、ありがとう。今日のお酒、ごちそうするね」

    マスター「おや。うちのチャージ料とこの世界最古のカクテル、結構いいお値段するけど、後悔しない?」

    女「いいよ。その代わり、この一杯で一時間、雨宿りさせてよ」

    マスター「……交渉成立だね」

      雨の音と、ゴリゴリと氷を削る音。
      静かに夜が更けていく。

    ***


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    🥃 付録:オールド・ファッションドの作り方

    【材料】

    • ウイスキー(バーボンやライ・ウイスキーがお勧め):45ml〜60ml

    • 角砂糖:1個

    • アロマティック・ビターズ(アンゴスチュラ・ビターズ等):2〜3滴

    • 炭酸水(または水):少量(※砂糖を溶けやすくするため)

    • 大きな氷(ロックアイス)

    • オレンジの皮(またはレモンの皮)

    【手順】

    1. ロックグラスに角砂糖を1つ入れます。

    2. 角砂糖の上にビターズを2〜3滴垂らし、染み込ませます。

    3. 少量の炭酸水を加え、マドラー(またはスプーン)で角砂糖を軽くつぶします。(※全部溶かしきらず、あえて残すのがスタイルです)

    4. 大きな氷をグラスに入れます。

    5. ウイスキーを注ぎ、氷を持ち上げるように静かにステア(混ぜる)します。

    6. 最後に、オレンジの皮をグラスの上でシュッと絞り(ピール)、香りをつけたら完成です。徐々に砂糖を潰しながら、味の変化を楽しんでください。


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    路地裏の、見逃してしまいそうなほど小さな看板の店。 ここは不安で「脳の隙間」を埋め尽くしてしまった現代人のためのバー。 重たい悩みも、マスターが少し見方を変えて「からっぽ」にしてあげましょう。 安っぽい応援や全肯定はしない。 ただクスッと笑って肩の荷が下りるだけの場所。

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