
舞台「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の余韻をめぐる旅③:『街とその不確かな壁』を読む
※『街とその不確かな壁』のネタバレに加え、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の原作、舞台についてもネタバレあります
短編だと思ったら迷宮だった
「街と、その不確かな壁」は短編だと聞いていた。
だが、それを書き直した『街とその不確かな壁』は第一部から第三部まで、文庫本で2冊の長編だった。
作者自身のあとがきを読むと、「街と、その不確かな壁」を根本から書き直して第一部を完成し半年ほど寝かせたあと、
「これだけでは足りない。この物語は更に続くべきだ」と感じて第二部、第三部を追加したそうだ。
これを読んだら「世界の終り」が理解できるのでは?
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の舞台を観て、原作を読んで、生じた謎が解けるのでは?
そう思って読み始めたのに、第一部の「街」はその存在意義を変え、
追加された第二部、第三部では「世界の終り」にはなかった新たな展開、新たな登場人物がさらに謎を深めていく…
さっと入って出てくるつもりで出かけたら、そこは思いもかけぬ巨大な迷宮であった。
変わってしまった角笛の響き
同じ「壁に囲まれた街」を描いているが、「世界の終り」と『街とその不確かな壁』の雰囲気はかなり違う。
なによりも、角笛の響きが、
変わってしまった……
ああ、私が好きだった静謐で神秘的な「あの街」は、もうここにはないのだ…😭
角笛の響きは他のどのような音の響きとも違っていた。それはほのかな青味を帯びた透明な魚のように暮れなずむ街路をひっそりと通り抜け、舗道の丸石や家々の石壁や川沿いの道に並んだ石垣をその響きでひたしていった。大気の中にふくまれた目に見えぬ時の断層をすり抜けるように、その音は静かに街の隅々にまで響きわたっていった。
角笛の音が街にひびきわたるとき、獣たちは太古の記憶に向ってその首をあげる。千頭を越える数の獣たちが一斉に、まったく同じ姿勢をとって角笛の音のする方向に首をあげるのだ。あるものは大儀そうに金雀枝の葉を噛んでいたのをやめ、あるものは丸石敷きの舗道に座りこんだままひづめでこつこつと地面を叩くのをやめ、またあるものは最後の日だまりの中の午睡から醒め、それぞれに空中に首をのばす。
その瞬間あらゆるものが停止する。動くものといえば夕暮の風にそよぐ彼らの金色の毛だけだ。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
柔らかな角笛の音が、暮れなずむ石畳の通りを滑り抜けていく。角笛の響きはおそらく数百年のあいだ(あるいはもっと長い歳月かもしれない)変わることなく繰り返されてきたのだろう。家々の石壁の隙間にも、広場の垣根に沿って並んだ石像にも、その音色は深く浸み込んでいる。
角笛の音が街に響き渡るとき、獣たちは太古の記憶に向かって首を上げる。あるものは葉を噛むのをやめ、あるものは蹄をこつこつと舗道に打ち付けるのをやめ、あるものは最後の日だまりの中の午睡から目醒め、それぞれに同じ角度に首をもたげる。
すべては一瞬、彫像のように固定される。動くものといえば、風にそよぐ彼らの柔らかな金色の体毛、それだけだ。
街とその不確かな壁
変わってしまった原因は、街を訪れる「語り手」にある。
『街とその不確かな壁』で街を訪れるのは、
何も覚えていない青年ではなく、
自分が誰なのか、なんのためにこの街に来たのか、どこから来たのか、すべて覚えている45歳の「私」。
何も覚えていない青年が街や自分自身を探す。
街はミステリアスで、そこをさまよう青年には無垢な瑞々しさがあった。
一方、45歳のオジサンが見る街は、まるで廃墟のように暗く寂しい。
彼が探すのは自分自身でもなく、街の真実でもない。少年の頃に出会ったまま忘れられない少女の片割れ。
何十年も手放せなかった少女への執着がようやくたどり着いた身代わりだ。
細部の設定も微妙にズレている。
街には電気もガスもない。門番は門衛になり、時計台の時計は針を失っている。街の時間はどこか別の場所にあるという。
「世界の終り」では、本体から引きはがされた影が死んでしまうことが重大事件だったのに、ここではなんと里子に出されるらしい…(絶句)
こうした小さなズレの積み重ねが、ふたつの街を「同じようでいてまったく別の場所」にしているのだ。
謎の検証
舞台を観て、
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読み終わって、
謎は4つ残っていた。
①「世界の終り」の青年の方が若く感じるのはなぜか?
②「映画館でカサブランカを観た」場面はあるのか?
③男に昔何があったのか?
④影は何ものなのか?
順番に検証していこう。
①「世界の終り」の青年の方が若く感じるのはなぜか?
わからなかった。
なぜなら、壁に囲まれた街に来たのは、若者ではなくオジサンだったから。
②「映画館でカサブランカを観た」場面はあるのか?
「カサブランカ」も映画館も出てこなかった。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で一番感動的だったダニー・ボーイの場面さえ出てこない。
③男に昔何があったのか?
この謎については、「世界の終り」では語られなかった、街が作られたときの話が出てくる。
・「ぼく」は17歳のときに16歳の「きみ」と出会う
・きみが街を教えてくれた。本当のきみがその街に暮らしていることも
・その街は、きみとぼくとが二人でこしらえた想像上の架空の街
しかし、あるときから「きみ」とは音信が取れなくなり、以降、45歳になったいまに至るまで、再会していない。
男は街に来て、「きみ」の本体である図書館で働く「君」に会う。しかし、「君」は「ぼく」のことを知らない…
***
この街には、かつては栄えていたが、あるときを境にさびれてしまった気配がある。
私にはそれが、ぼくがきみを失ったときだと思われてならない。
この街は、男の「喪失の記憶」「忘れられない人へ執着」で覆われていて、幽玄な静けさではなく、湿って澱んだ暗さを感じさせる。
「きみ」を失ったとき、街は廃墟となった。
街を変えたのは男自身なのだ。
④影は何ものなのか?
私が読んでいて思い浮かんだ影とは、
・心
・感情(頭骨から読み取れる)
・選択しなかったもうひとつの道、もうひとりの私
・色々な経験で豊かになっていく感性
・それは魂とも言えるかもしれない
など。
え、でも待って?
それって、影のことなの?
豊かになるなら、変化する街の方じゃない?
しかも、影は「壁に囲まれたこの街に住むのは本当は影の方で、ここは影の国ではないか」と言い出す始末。
ええ?
読み進めるにつれ、影と街と壁とを分けて考えられなくなってくる…
そもそも『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、影が死ぬと心を失うところから始まったのに、最後の方で「世界の終り」が「ハードボイルド・ワンダーランド」の男の脳内にあることが判明。その時点で、心と脳(や思念)が絡み合ってきた。『街とその不確かな壁』で街が影の国説まで出てきてしまったら、もう心なのか脳なのか、影なのか街なのか、わからなくなってくるのも当然だ。
影が何ものか、私にはわからないし、わかるように書かれた物語ではないと思う。
そもそも、影は何かひとつの「モノ」ではないのだろう。街や壁と明確に分かれる存在ではないのかもしれない。
ただ私は「世界の終り」という街が好きだけれども、そこに住みたいとは思わなかった。
そこが心に引っかかる。なぜだろう…
楽しそうじゃないから?
なぜ楽しそうじゃないのか?
……感情豊かではないから?
感情が動かないから?
そういう意味では、私にとっての影は、街も壁もひっくるめて「感情」なのかもしれない。
迷宮じゃなくて魔界だった!
「世界の終り」と重なっている第一部だけでかなりの迷宮。
しかし、第二部、第三部は迷宮どころか魔界のようだった。
とりわけ衝撃的だったのが第二部である。
第一部の終りは「世界の終り」と同じ。影だけが溜まりに飛び込んで街を去る。
なのに、、、
第二部で、本体も一緒に戻ってた!!!
あんなに一生懸命迷って、勇気を出して別れる決断をしたのに。
一緒に戻るんかーい😱
神出鬼没の子易さん
さらには、『街とその不確かな壁』第二部から登場するニューフェイス、子易さんが謎を深める。
彼の腕時計には針がなく、彼は影も持たない。
いつも唐突に現れる神出鬼没な男。
そんな子易さんは実は… 幽霊だった😱
となると、時計の針も影もない人々が住むあの街は死後の世界なのか?
子易さんは意識についての疑問も投げかける。
「意識というのはまったくもって不思議なものです。そして、死んでからもなお意識があるというのは、ああ、もっと更に不思議な気のするものです」
「みんな魂というものはわたくしたちの体内に怠りなく存在すると、漠然とではありますが信じております。でも、実際に死んでみればわかることですが、魂なんていうものは目にも見えませんし、手でも触れられません。(中略)わたくしが思いますに、実際に我々の頼りになるのは、なんといっても意識と記憶だけです」
そう言えば、似たようなことを「ハードボイルド・ワンダーランド」の博士も言ってたな。
「思念には時間というものがないのです。それが思念と夢の違いですな。思念というものは一瞬のうちにすべてを見ることができます。永遠を体験することもできます。クローズド・サーキットを設定してそこをぐるぐるとまわりつづけることもできます。それが思念というものです」
「思念」という言葉が「意識」に置き換わってはいるものの、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』から続いて、村上春樹が問いかけたかったのは、実はここなのかもしれない。
肉体という物理的な存在が消えたとき、果たしてあいまいな存在だった思念や意識、魂はどうなってしまうのか…
イエローサブマリンの少年
そして最大の難関が、いつも図書館にいるイエローサブマリンの(パーカーを着た)少年だ。
彼はいったい何ものなのか?
影、街、壁、そして意識や魂、死と関係があるのだろうか?
なぜ彼だけが、いとも簡単に街へ移動できたのか?
色を感じさせない街のなかで、なぜ彼だけが、
現実の世界に残していったはずのイエローサブマリンのパーカーを着ているのか?
そもそも、第三者による他人の脳内世界の乗っ取りなんてできるんだろうか?
それとも、彼は第三者ではないのか?
そもそも今回の街は、脳内ではなくて、どこか別のところに存在するのだろうか?
死の国なのだろうか?
45歳の男は「世界の終り」の青年と同様、何かを探す主人公で、
子易さんは「ハードボイルド・ワンダーランド」の博士のような思念や意識の伝道師。
でも、イエローサブマリンの少年だけは、あまりにも不可解な存在。
これだけ異分子であれば、あの暗い廃墟となった街を再生できそうな気もしてくるが…
ん?
てことは、
……もしかして、意外だが、彼は希望でもあるのか?
また謎が増えちゃった…🤭
***
一方で、現実の男(?)は川を遡っていく。
遡るにつれ、若返っていく。
ああ、これはきっと、「きみ」に会うぞと思っていると、やはり会う。
川を遡った男は、きっと死んだのだと思う。
まだ45歳と若いけれども、彼は街をイエローサブマリンの少年に奪われている。
だったら「ハードボイルド・ワンダーランド」の男のように現実世界では死んでいても不思議はない。
男は若返り、きみに再会して幸せな最期を迎えたのだ。
これを夢のような美しい最期と言うべきなのだろうか?
けれども私には、17歳からの執着の終着点として、たまらなく気持ち悪いとしか思えなかった。
この男は「ハードボイルド・ワンダーランド」の男とは違って、性的妄想を全くしてこなかった。
なので、「今回は読みやすいわ~」なんて思っていたら、最後にドカンと大きいのが来た😱
油断した分、衝撃が大きかった。
***
しかし久々に、心底楽しい読書だったな💕
謎を解きたい私が、謎が解けなくても、気持ち悪くても楽しいと思うなんて!
真のワンダーランドは村上春樹かも🤭
最初に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだとき、村上春樹好きかもしれないと思ったあと、
『羊をめぐる冒険』『ダンスダンスダンス』『ノルウェイの森』が全く合わなくて、
私は村上春樹はダメなんだ…💦 と思って敬遠してきたけれど、こういう話だったら、ほかにも読んでみたいなと思った。
村上春樹ファンのみなさま、
『ノルウェイの森』はダメで、
『羊をめぐる冒険』と『ダンスダンスダンス』は苦手で、
主人公の性的妄想は大きらいなんですが、
そんな私におすすめの本はあるでしょうか?

(現実の方の)図書館にいる
イエローサブマリンの少年を
イメージして作成してもらいました
(一角獣みたいのいるけどね…🤭)