
【足跡を辿り雨降る榛名湖へ】
群馬に泊まったその夜、登山の計画を立てた。
せっかく群馬へ来たのだから、山に登らなければ帰れない。
昼間、麓から眺めた赤城山は美しかった。どうせなら赤城山に登りたいが翌日の天気予報はあいにく曇り。行くのなら快晴の日が良い。代わりに選んだのは榛名神社から榛名湖へ抜けて、榛名山を登るルート。このルートなら神社と湖を経由するから、曇りでも楽しめそうだ。運良く高曇りなら、山頂から群馬の町並みを眺められるかもしれない。
ビジネスホテルでぐっすり眠り、さて、翌日の榛名神社。
残念ながら天気予報は外れた。到着した時点でぱらぱらと雨が降っている。まあ、梅雨だから。それにこの小雨ならすぐに止むだろう。

神社や仏閣は好きだ。自分が生まれるよりも遥かに昔の時代の人たちが「ここには神様がいる、仏様がいる」と信じて大切にしてきた歴史を感じられるから。史実や学問としての興味ではなく、目で見て肌で感じられる歴史だから好きだ。
神社・仏閣の置かれた場所には静謐な空気がある。昔の人がなぜこの場所を神聖と感じたのか、説明されなくてもわかるような気がする。
榛名神社は渓流沿いにあり、川の水音と鳥の声が響く。樹齢千年とも言われる杉の木を見上げる。雨音は聞こえない。
美しい滝があり、沢を流れる透明な水の流れ、渓流の音を飲み込むような静けさがある。

榛名神社では昔から雨乞いの祈祷が行われていたと書いてある。水は貴重だ。川に囲まれ、雨水を貯めやすい山の地形。これだけ豊富な水に満たされているのだから、水を求めて祈りを捧げられてきた歴史も理解できる。信仰心を持ち合わせていない自分でさえ「ここには神様がいますよ」と言われたら「こんなに美しい場所ならいるかもしれない」と思える。

お賽銭を入れて手を合わせた。神社も仏閣も好きだが何の宗教も信じていない。参拝よりも観光気分で来た。そんな不信心者が手を合わせて願を掛けるなんて不敬だろうか? いや、これは文化に対するリスペクトだ。この場所では祈りという行為が千年以上も行われてきた。かつてこの神社で祈り、これからもここで祈る人々へ敬意を払わなければ。だから私もここでは祈る。でも、何を祈ろう? 山にいる神様だから、やはり登山の無事だろうか。
これから榛名湖へ向けて山道を歩きます。
怪我なく今日の登山を終えられますように。
神社から山道を抜けていく。昔は車なんてなかったから、榛名湖へ辿り着くには徒歩で山道を抜けるしかなかった。どれだけたくさんの人が同じ道を歩いただろうか。今日は誰も歩いていない。でも、足跡は残っている。
誰かがルートを探す。
足跡が残る。
足跡を追って誰かが歩く。
それが続けば道になる。
どこかの誰かが歩いたおかげで今日、自分はこの道を歩ける。山を歩いていると人の足跡が嬉しくなる。いくつもの靴に踏まれて擦り減った岩。設置された道標。朽ちたベンチ、崩れた小屋。そんな場所を歩くのが好きだ。積み重ねられてきた歴史の上を歩いている気がするから。顔も声も名前も知らない他人、違う時代、違う場所に生まれて人生で一度もすれ違うことさえ無かった誰かの足跡を辿っている。ここにはもういない誰かの気配を感じる。それが嬉しい。
つまり、人の生きた痕跡が好きなのかもしれない。
なんて、神社を訪れたせいで神妙な気持ちになっているのだろうか。
雨のせいで足元が滑る。慎重に足を運ぶ。山で怪我をするのはだいたい何でも無い場所だと相場が決まっている。パラパラと降っていた雨が、少しずつ強まっていく。
榛名湖へ着いた。

雨に次ぐ雨。そして霧。凄まじい濃霧。
山はどこだ?
何も見えない。山どころか、目の前にあるはずの湖すらうっすらとしか見えない。
しばらく待ったが、雨はどんどん強くなっていく。もはや大雨になっていた。霧も晴れる様子がない。ああ。これはダメだ。今日の登山はここまでだ。ちょうど榛名湖から高崎へ戻るバスがある。早々に撤退を決めた。こんな日もある。最初から天気は賭けみたいなものだったし。
バスに乗り込んだ。ずぶ濡れの自分ひとりを乗せて、濃霧の中をバスが進む。
まぁ、登山は怪我なく帰れるのが一番だから良しとしよう。また次の機会があるさ。
目の前も見えない霧の中をバスは走る。
それにしても、ひどい雨だ。
待てよ。そういえば、榛名神社は雨乞いの神様だと書いてあった。
もしかして「大雨で登らないなら怪我なく帰れるでしょ」ってことだろうか?
だとしたら、ご利益のパワーが強過ぎる。
高崎駅へ着く頃には、雨はすっかり止んでいた。
