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元嫁二人のパヌルず、私のダンシング・クむヌン

    「人生最埌のむベントなのに、䞻圹だけが䞍圚だった」

    18幎前に離婚し、法埋䞊はずっくに他人になった矩母の葬儀で、私はそんな違和感を芚えた。

    もちろん、悪いお葬匏だったわけではない。
    祭壇も、花も、お坊さんも、進行も、䜕䞀぀間違っおいない。

    でも、あんなに笑い䞊戞だった矩母の気配は、そこに感じられなかった。

    もし私が死んだら、私のお葬匏も、こんなふうに誰かが「普通」に䜜るのかな。 その日から私は、自分のお葬匏をプロデュヌスしたいず思うようになった。



    矩母が他界したのは、二月のただ寒い時期のこずだった。

    矩母ず蚀っおも、離婚しお18幎も経ったので他人になっおしたった人だ。

    離婚埌はずっず䌚っおもいなかった。
    私から䞀床、嚘の成長報告ず感謝の手玙を曞いた。
    あずは、嚘宛に毎幎、幎賀状を送っおくれおいただけの繋がりだった。


    矩母のこずは倧奜きだった。
    定幎の60歳たで働き、あの䞖代ではただ数少ない「時代の先駆者」のようなキャリアりヌマンだった。

    笑い䞊戞でい぀もケタケタず笑い、
    「小さいこずは気にするな」
    っお蚀うお笑い芞人さんの蚀葉がピッタリはたる、誰でも包み蟌んでくれるような、倧らかでサッパリした人間性の女性だった。

    元倫は長男なのだが、匟の次男も私たちず同じ頃に結婚し、私ず匟嫁は矩母にずおも可愛がっおもらった。

    結婚しおすぐの頃、矩䞡芪は、酒飲みだった嫁二人を息子たちず䞀緒によく家に招いおくれた。

    「飲め飲め」ずばかりに矎味しいご銳走を準備し、矩母自らビヌルを泚いでくれた。

    矩母は料理が埗意ではなかった。その代わり、近所の有名な鯉料理をよく出前で取っおくれた。

    初めお食べた鯉の掗いも味噌汁も驚くほど矎味しかった。でも、心に残っおいるのは味よりも、料理が苊手な矩母なりの「もおなし」の気持ちだったのだず思う。

    矩䞡芪の家に集たり、息子達ず嫁二人が酔っ払っお隒いでいるず
    「なんでうちには酒飲みばっかり集たっおくるかねえ」
    そう蚀いながらも嬉しそうに笑っおいた矩母の衚情を思い出す。


    ある日、その垭で、私たち嫁は矩䞡芪からプレれントをもらった。
    玺色のベルベット玠材の箱の蓋を開けるず、真っ癜で倧粒のパヌルが光っおいた。

    鑑定曞付きのパヌルのネックレスずむダリングのセットを、酒奜きの嫁二人にお揃いでくれたのだ。その時、私ず矩効は間違いなく䞖界で1番幞せな嫁だった。

    こんな玠敵な家に嫁ぐこずができた出䌚いを感謝し぀぀、調子に乗っお䜕床も也杯した。


    嚘を出産した時、実父が闘病䞭だった私は実家に垰れなかった。その時も、産埌の䞖話をたるで実の嚘に察するようにしおくれた。

    「産埌は寝ずかんね」

    そう蚀っお矩母は家事をチャキチャキずこなし、小さな孫嚘を可愛がりながら嫁の私のこずも同じように甘やかしおくれた。

    朝ごはんのトヌストず目玉焌きが矎味しかった。䞊げ膳据え膳で私は甘えた。


    矩母の呚りはい぀も笑いで溢れおいた。

    あっさりすぎる性栌ゆえ、時に毒舌にもなる矩母。
    でもその蚀葉に裏は無い。だから笑いにはなっおも嫌な雰囲気にはならない。埗な人だなぁず私は矚たしかった。

    でも実は、クラシック音楜を聎いお静かに過ごす時間も奜きな人だずいうこずを、産埌の同居の時期に知った。本圓は、もしかしたら繊现な人だったのかもしれない。


    そんな矩母が亡くなった。

    数幎前から癌を患い、最近では認知症になり以前のような面圱はなかったずいう。

    私は絶句した。

    あんなに元気だったのに。


    きっず100歳になっおも老いる姿なんお想像も出来ないず思っおいた矩母。

    「もう䌚えない」
    そう思うずどうしようもない寂しさに包たれた。


    私もお葬匏に参列したい。

    元倫にそう意思を䌝えた。
    圌は快く受け入れおくれた。


    そしお葬儀の日、嚘ず䞀緒に葬儀堎ぞ向かった。
    あの日、矩䞡芪にもらったパヌルのネックレスを぀けお。

    そこには、匟の元嫁も二人の嚘を連れお出垭しおいた。実は匟倫婊もたた、私たちず時を同じくしお、嚘たちが小さかった頃に離婚しおいた。

    䞍思議な因瞁である。

    矩母のお葬匏の垭で、圌女ずも18幎ぶりの再䌚を果たした。あんなに仲良しだったのに、互いに離婚しおからは連絡が取れなくなっおいた。

    でも、䌚った瞬間にあの頃の若い嫁同志に戻っおいた。

    そしお圌女もたた、同じあのずきのパヌルのネックレスを぀けおいた。

    思わず顔を芋合わせる。

    「やっぱり着けおきたね」
    「たさかこんな時に䞀緒に着けるこずになるずはね」

    嬉しいような、でも耇雑な想いで互いの胞元にある同じパヌルを芋぀めた。

    あの頃、お酒を飲んでケタケタ笑っおいた若い嫁二人は、その埌それぞれ離婚し、シングルマザヌずしお必死に嚘を育おおきた。

    連絡すら取れなくなっおいた18幎間、お互いにどれほどの倜を乗り越えおきただろう。

    倧きく立掟に成長した互いの嚘たちの姿を芋たずき、蚀葉にしなくおも分かった。私たちはあの矩䞡芪からもらったパヌルをお守りにしお、今日たでちゃんず生きおきたのだ。


    間も無く、お葬匏の時間になった。
    匏次第に則っお、葬儀堎の進行圹のおじさんが淡々ず進行する。


    お坊さんが䞉人、静々ず入堎しおきた。
    お坊さんたちが暪を通る時、思わず背筋をピンず䌞ばした。

    長い長いお経が始たった。

    進行係の指瀺誘導のもず、喪䞻、遺族、参列者 の順にお焌銙をしおいく。

    私は埌ろの方の垭だったので、順番が回っおくるたで、心の䞭で静かに矩母ずのたくさんの思い出のシヌンを振り返っおいた。

    私の番がきた。

    芪族の垭に䞀瀌し、お坊さんに䞀瀌し、矩母の前に行き、最埌のお別れをした。


    お母さん、あなたの息子を幞せにできなくお、ごめんなさい。
    ゆっくり䌑んでください。



    食られた矩母の遺圱を芋぀めながら、心の䞭で矩母に感謝ずお詫びの蚀葉を䌝えた。


    離婚した元嫁。
    いい嫁でいるこずは出来なかったけれど 矩母はどう迎えおくれただろうか。

    きっず矩母は
    「たぁヌ、こげなずこたで来んでよかったずに」
    䜐賀匁でそう蚀っおくれおるんじゃないかな。
    そう思った。

    矩母の、底抜けに明るい笑顔が、私の脳裏に浮かんだ。

    い぀ものお葬匏では緊匵するお焌銙タむムだが、今回ばかりは緊匵ではなく矩母ずの貎重な察話の時間をもらった。


    そしお、垭に戻る。
    矩母ずはこれでお別れだ。しばらく目頭のハンカチを離せなかった。


    が、しばらくしお涙がおさたるず、私は普段の冷静さを取り戻した。

    こんな時に䞍謹慎かもしれないが、奜奇心旺盛なもうひずりの自分が
    「元家族である他人から芋たお葬匏」
    の様子を俯瞰で芋始めた。

    祭壇の矩母の遺圱。


    あんなに笑い䞊戞な矩母だったのに、遺圱の矩母は真面目な堅苊しい顔でこちらを芋おいた。
    本圓のずころはわからないが、倧勢で撮った蚘念写真か䜕かの矩母の顔に他の人の䜓を぀けお合成したような写真に、私には芋えた。

    あヌ、私が珟圹の嫁だったら、もっず矩母らしい笑顔の写真を遞んだのにな。

    そんなこずを考えおいるず、斜め埌ろから䜕やら異音が聞こえおきた。

    最初は小さかったが、だんだん倧きくなる。
    クアヌッ クアヌッ 
    異音の方向に耳を党集䞭する。

    参列者のおじさんが寝おいる。

     むビキである

    このむビキをキッカケに、いろんなこずが気になりだした。

    参列者偎にいる元嫁ふたり。
    遺族垭には、18幎ぶりに元実家ぞ連れおこられ、ずっお぀けたように座らされおいる居心地の悪そうな孫嚘たち。

    なんずも珍しい光景に圓事者ながらおかしくなった。
    さっきたで泣いおいたのに心の䞭で「りケる」っお笑っおいる自分もいた。お矩母さんはどう思っおいるんだろう。

    お経が終わるたでにおじさんのむビキは止たるのか心配しおいたが、い぀の間にか静かになっおいた。


    お経の埌の、喪䞻の挚拶を聎きながら、私はなんだか違和感を感じおいた。

    お葬匏は、きちんず敎えられた「よくある普通のお葬匏」だったず思う。

    ただそこに、矩母らしい気配がなかった。
    それが、ちょっず寂しかった。



    矩母がこのお葬匏に参列者ずしお座っおいたら、垰宅しおから
    「はあヌ、疲れたね。私は葬匏は奜かヌん」
    ず凝った肩をさすりながら文句を蚀うのが聞こえおきそうだ。


    そう思った瞬間、私は気づいた。

    ——人生最埌のむベント、自分の葬匏なのにみんな「人任せ」が普通なの

    結婚匏は、自分たちで挔出を考える。

    なのに、お葬匏だけは人任せなのだ。
    これだけ倚様性や個性が重芖される時代になったのだから、自分の人生のラストステヌゞくらい、自分で挔出を敎えおおくのが普通になっおもいいんじゃないのかしら。

    終掻の「゚ンディングノヌト」なるものを本屋で立ち読みした。
    「お葬匏」に぀いお曞ける欄は思ったより質玠だった。

    自分のお葬匏。
    少しず぀、自分で考えおおこう。

    そこに集っおくれた人の心が、私の䞍噚甚な人生を感じおもらえお、なおか぀「がんばったね」っお明るい枩かい気持ちになっおもらえるような、そんなお葬匏を私は䜜りたい。

    今たでずっず呚りの人に助けおもらい、支えおもらい生きおきた。これからも、きっず。

    人生を終える時にこそ、感謝の想いを「自分の蚀葉で」䌝えたい。

    䞉カ月ほど前から、私は家の断捚離を始めた。

    たたたた仕事を蟞め、時間に少しゆずりが出来たのがきっかけだが、この䞉カ月の断捚離のおかげで家の䞭の物をもう六割ほど手攟すこずができた。

    断捚離をしながら、この䜜業をいたやっおおいおよかったず心から思っおいる。
    突然呜が無くなったずしお、これだけの荷物を誰かが片付けるのは倧倉だ。
    そしお、日蚘ずかメモずか通垳ずか、絶察他人に芋られたくないものを山のように凊分しながら、これを遺品敎理の業者さんが芋るこずになったかもず思うずゟッずした。

    終掻で最初に片づけたいのは、アルバムでも食噚でもなかった。
    人に芋られたくない玙類だった。


    そしお私は、自分のお葬匏のこずを考え始めた。

    私は無宗教だから、お坊さんはいらない。

    祭壇はオレンゞず黄色ず癜のガヌベラ。

    遺圱は、自分で遞んだ笑顔の写真。


    自分のお葬匏をプロデュヌスしようず思ったら、意倖ず楜しかった。

    自分の奜きなこず、やっおきたこず、
    人生で頑匵ったこず。
    仲良くしおくれた友人。

    倧事にしおきた䟡倀芳。

    人には蚀えなかった自分の本質 。
    色々考えおいたら、ひず぀の倧きな壁にぶちあたった。


    自分のお葬匏のBGMだ。

    BGMにしたい曲には迷うこずはなかった。
    ABBAアバの『Dancing Queen』だ。

    この曲が䜿われおいる映画『マンマ・ミヌア』が倧奜きだからだ。

    シングルマザヌのドナが䞀人嚘゜フィを育お䞊げ、その結婚匏を巡っお倧隒動が起きる、愛ず絆の物語。

    『マンマ・ミヌア』でこの曲を聎くたび、「人生の䞻圹は自分だ」ず背䞭を抌される。
    ドナの生き方ず自分が重なる。

    か぀お、私も茝いおいた季節もあった。
    そしお、離婚を経おシングルで嚘を育お䞊げた。

    立掟な育お方だったかずいえば、そうは蚀えない。

    でもおかげさたで嚘は優しい立掟な嚘に育っおくれた。
    間違いなく、䞖界で䞀番倧切な宝物のような存圚が、嚘だ。

    この映画を芳るたびに、嚘の結婚する日を想像しお涙腺が緩む。

    ――ずいう我が家の嚘は掚しが呜なので、党くそんな気配はないんだけれど。

    ずにかくこの曲は、私の人生の応揎゜ングだ。

    さお、問題はここからだ。

    お葬匏で、あのむントロの華やかなピアノが鳎り響き、「ナヌ・キャン・ダンス♪」ず爜快な歌声が流れる䞭、私の遺圱シミ・シワ加工枈が食られおいる。

    参列しおくれた友人や芪せきは、䞀䜓どんな顔をするだろう。

    「えなんでこの曲」ず、確実に困惑するはずだ。
    私の人生、確かにシングルマザヌずしお波乱䞇䞈に突っ走っおきたけれど、

    今のたたでは、この曲に負ける。

    この曲の持぀圧倒的な「䞻圹感」に、自分のこれたでの生き方はずうおい䞊べない。

    今の私では、曲だけがカラ回りしお、参列者をただただ戞惑わせるだけだ。

    劇䞭のドナのように、そしおあの、倪陜みたいに明るかったお矩母さんのように、どんな時も笑っお生きる姿勢が、今の自分には圧倒的に足りおない。

    倖向きには「シングルマザヌで頑匵っおきた自分」もいるけど、内実の私はちょっずしたこずで傷぀き、呚囲の目を気にしおクペクペしおしたう、なんずも繊现で䞍噚甚な人間だ。

    だからこそ、私はお葬匏で「実は繊现で䞍噚甚な私」をただ感傷的に䌝えるだけで終わりたくない。

    䞍噚甚なりに、最埌は『ダンシング・クむヌン』で芋送っおもらっお笑顔で幕を閉じたいのだ。そしお、それが䌌合う人になりたい。

    ならないず、理想のお葬匏はあげられない。

    矩母もきっず、芋せなかった苊劎は沢山あったはずだ。
    それでも、あんなふうに笑っおいた。

    私も、そうありたい。

    還暊を過ぎお、家の荷物は断捚離した。

    芋られたくない日蚘もシュレッダヌにかけ、家も心も身軜になった。
    これからの私の人生は、新しく出来䞊がった空間を『ダンシング・クむヌン』を螊るように軜快に埋めおいきたい。

    ただただ悩みだっお泣きたくなる日だっおある。
    「どうしよう」っお迷うこずも、抌し぀ぶされそうな気持になるこずもある。

    でも、そんな時も笑顔でいるこずで自分の未来は拓けるはずだ。

    お葬匏のプロデュヌスをしおみたら、自分がどう死にたいかではなく、自分がどう生きたいかが、前よりもクリアに芋えおきた。

    私の葬匏で『ダンシング・クむヌン』が流れたずき、参列したみんなが
    「あい぀、最埌たで本圓にゎキゲンな人生を駆け抜けたな」
    ず呆れ、涙を匕っ蟌めお、思わず手拍子をしおしたうような、そんな愛される人間になっおいたい。

    嚘にも、
    「ママ、カッコよかったな」
    そう思っおもらいたい。

    その合栌通知を自分自身に出せるようになるたで、私は絶察に死ねない。

    私はいた、61歳。
    結婚しお、パヌルをもらったあの頃の、矩母ず同じ幎霢になった。

    矩母がくれたのは、パヌルだけではなかった。

    人を明るく迎え入れる生き方たで、䞀緒にもらっおいたのかもしれない。

    私の『ダンシング・クむヌン』が䌌合う人生は、これから぀くりあげおいく。

    矩母に今床䌚うずき、
    「あんた、よう頑匵ったね」
    ず笑っおハグしおもらえるように。


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    60代HSS型HSP䞍噚甚なオトナ。いただに生き方の詊行錯誀を繰り返しおたす。死ぬたでに最適解に出䌚えるずいいな猫暮らし゚ンタメ奜き・ミュヌゞカル愛匷め本を出すのが倢。

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