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波風立てずに刺して下さい 第12話

    第12話「検収」

    「検収、問題なく通りました」

    霞は、その一文を三回読んだ。
    一回目は日本語として。
    二回目は完了通知として。
    三回目は、報告書の空欄を探すように。

    午前十時の会議室には、誰も来なかった。

     新しい依頼も、追加修正も、庁内確認の赤字もなかった。
    机の上には、封筒と、検収書と、納品報告書だけがあった。

    中野部長が、書類の束を霞の前に置いた。

    「商工会チラシ、観光PR動画、防災ポスター関連、全部検収済みです」

    霞はうなずいた。

    「はい」

    中野は、付箋の貼られたページを開いた。

    「納品物、確認済み。修正対応、反映済み。掲示箇所、完了。説明会、実施済み。請求書、提出済み」

    「はい」

    「先方からの差し戻しは、現時点ではありません」

    「承知しました」

    中野は、判子の向きをそろえてから、封筒の上に置いた。

    「経理には午後回します」

    「お願いします」

    それだけ言って、中野は出ていった。

     扉が閉まる音は、いつもの会議より軽かった。
    議題が残っていない音だった。

    霞は、納品報告書を一枚ずつ確認した。

    商工会チラシ。
    仕様確認。
    初稿提出。
    修正対応。
    説明会実施。
    最終納品。
    検収完了。

    観光PR動画。
    構成案提出。
    庁内確認。
    修正履歴反映。
    SNS投稿文確認。
    動画納品。
    検収完了。

    防災ポスター。
    コピー案提出。
    デザイン納品。
    掲示確認。
    検収完了。

    紙の上では、どれもまっすぐ進んでいた。

    日付。
    担当者名。
    確認印。
    納品形式。
    備考欄。

    備考欄には、どれも短く書かれていた。

    「予定通り」
    「確認済」
    「問題なし」

    小瀬津肇太が、会議室の扉から顔を出した。

    「終わりました?」

    霞は、書類から顔を上げた。

    「検収は」

    「これで終わりですか」

    霞は、少しだけ書類を見た。

    「はい」

     小瀬津は、部屋に入ってこなかった。
    扉のところで、手だけを所在なく動かしていた。

    「終わりって、静かですね」

    霞は返事をしなかった。

    小瀬津は、机の上の封筒を見た。

    「判子、強いですね」

    「強いです」

    「押されたら、だいたい終わります」

    「はい」

     小瀬津は何かを言いかけた。
    たぶん、終わっていないものの話だった。

    でも、言わなかった。

    「じゃあ、午後の打ち合わせ行ってきます」

    「お願いします」

    小瀬津は扉を閉めた。

    会議室に、書類だけが残った。

    霞は報告書の最後のページを開いた。

    納品物:確認済み
    配布枚数:予定通り
    掲示箇所:完了
    説明会実施日:記載済み
    修正対応:反映済み
    請求書:提出済み

    欄はすべて埋まっていた。

     日付も、番号も、宛名も、件名も、金額も、問題はなかった。
    書類としては、きれいだった。

    霞は、ページの下まで目を通した。

    それから、一度だけ手を止めた。

     何かを確認しようとして、ページを戻した。
    商工会チラシ。
    説明会実施済み。

     もう一枚戻した。
    観光PR動画。
    SNS投稿文確認済み。

     もう一枚戻した。
    防災ポスター。
    掲示確認済み。

    どの欄にも、判子があった。

     霞は、ページの端をそろえた。
    紙の角が、机に小さく当たった。

    封筒には、案件名が印字されていた。

    「一連広報制作業務 検収書類一式」

     霞は、検収印の押された書類を封筒に戻した。
    差し込み口で、紙が一度だけ引っかかった。
    少し角度を変えると、すぐに入った。

     会議室の外では、別の打ち合わせの声がしていた。
    コピー機が動き、誰かが廊下を早足で通った。

    霞は封筒の口を閉じた。

     机の端には、商工会の説明会で持ち帰ったチラシが一枚だけ残っていた。
    コピーの上には、赤字も丸もない。

    湯呑みの跡だけが、まだ薄く乾ききっていなかった。

     
     
    燃料は札と火と湯気。中野ポン太です。 ふざけた顔で近づき、読者の胸の奥に剥がれない「何か」を直貼りします。火曜は定休。 主戦場『桝川劇場』は、爆笑の後に「たぶん。」という小骨が喉に刺さる老舗鰻屋系屁理屈コント。笑って泣いて、情緒の迷子になりたい奴だけ寄ってこい。

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