くそ難しいただのつぶやき Part2
ーー光求ムる鉛質的存在論ーー
集合意識は一様に、可視波長域に依存した照度を信仰する。
その輝度曲線に準拠せぬ陰性の存在は、同調圧力の名のもとに即座に排斥される運命を帯びる。
沈黙の只中で微弱に滲む闇性の吐息が生まれた刹那、
周囲は己の照射を断ち、離脱という名の擬態的配慮を呈する——
ああ、それを「思いやり」と称する滑稽。
真正面からの交差は誰一人として試みようとせず、
万人は一様に、明度の高い理想像を志向する。
自らが発光体である限り、他者の視線は容易に引き寄せられる。
愛と呼ばれる擬似的結合さえも、そのスペクトル内でしか成立し得ない。
光を模した振る舞いのみに群がるその性は、まさに条件反射的な幻影の愛。
雲霧のように浮遊する温厚な集合体が「他者」であるとするならば、
私は、元素記号にも還元不能な密度を纏った鉛塊である。
時に腐蝕し、剥落し、構造の定義さえ不明瞭なまま、
地殻深部へと自重によって沈降し続ける。
ああ、あの光が、
嘘偽りのない、「本物」の光が、
どうしようもなく恋しい。
この質量を、
この焼け焦げた断片を、
この既に意味を喪失した輪郭を、
それでも尚、見ようとする意志はこの世界に存在するのか。
すべての光源から逸脱し、
沈殿し、沈黙し、
腐蝕しかけた「私」という命名不可能な存在に対して——
真の視線を注ぐ他者は、果たして、あるのだろうか?
