
【#創作大賞2025#ミステリー小説部門】ネツゾウ・第15話
罪悪感
あてもなく、駅までの道を走った。
母さん、どこに行ったんだよ。
まだ朝だというのに、外気は蒸し暑く、汗がしたたり落ち、シャツが体にまとわりつく。
がむしゃらに走ってきたが、何か当てがあるわけではなかった。ただじっとしていられなかったのだ。
そうこうするうちに香織の店が見えてきた。正義は走るスピードを落とし、店の前で立ち止まった。
体中から汗が噴き出る。膝に手をつき肩で息を切らしていると、汗のしずくが地面にぽたぽたと流れ落ちる。灼けたアスファルトに落ちたしずくは瞬く間に蒸発していく。
「あら、まーくん。こんな時間にどうしたの?夏生ならまだ寝てるわよ」
勝手口から香織が現れた。まるで雨に打たれたかのように、全身びしょぬれになって、立ち尽くしている正義を見て、ただ事ではないと思った香織は、正義を家に招き入れた。
「ひどい汗じゃない。いったいどうしたの?」
氷の入ったグラスに麦茶を注ぎ、タオルを渡すと正義はガタガタと震えだした。
「母さんが…帰ってこなかったんだ」
「え?」
「昨日、仕事に行ったきり、帰ってこなかった。いつも遅くなるなら連絡あるのに、それもなかった」
青ざめながら話す正義に、
「お母さんだって、いい大人なんだから」
と軽口をたたいて落ち着かせようと思った香織だったが、美津江に限ってはそういうことは絶対にありえないのをわかっていたので、口をつぐんだ。
「携帯は?連絡してみたの?」
「つながらない…」
「警察に連絡してみよう」
香織が警察に連絡をしたが、事件性もなく、行方不明者届を出したものの、単なる失踪事件として片付けられてしまった。
いつ帰ってくるかわからない母のために、と正義は残されたアパートの部屋で一人暮らしを始めた。
生活費はバイト代で何とか賄った。援助しようと香織が申し出ても、正義は頑として聞き入れず、バイトで金を稼いでは、日々の暮らしを凌いでいた。
学校に行き、下校するとコンビニでバイトをし、香織の店に寄り、夕飯を食べる。
店の片づけを手伝って、夏生と勉強をして、家に帰って眠る。
毎日は規則正しく過ぎていった。
香織や夏生の前では、心配をかけまいと普通にふるまっていたが、それは上辺だけだった。家に帰ってひとりになると、明かりもつけず、真っ暗な部屋の中で膝を抱えて震えていた。
母が出て行ったのは、本当は自分が原因ではなかったのか。
自分が幼いころ、かすかに残る記憶では、両親は仲が良かった。あれは確か、まだ幼いころ、父と大きな滑り台がある公園に行った日のことだ。あれから、父と母の様子がおかしくなっていった。突然引越しをしたかと思うと、父は酒におぼれて、母を罵倒しては、すすり泣く母に手を挙げた。
正義が母をかばうと、バツが悪そうにしていたのは最初だけで、父はだんだんと、正義にも暴言を吐くようになっていった。
父が帰ってくると気が休まらなかった。父は常に不機嫌で、アルコールの臭いをさせ、その充血した目で睨まれると生きた心地がしなかった。
父がいないとき、
「ごめんね。まーくん、ごめんね」
と訳もなく泣きながら謝り続ける母に、父さえいなければ、母はまた笑ってくれるに違いない、正義はいつしかそんな風に思い始めていた。
だからあの日、燃えている父を見て思ったのだ。
「これで全てが終わり、そして始まるんだ。そうだよね?母さん……」
だけど、そう思っていたのは、本当は自分だけだったのじゃないか。父さんがいなくなっても、母さんはちっとも幸せそうじゃなかった。
夏生が「ドラゴンみたいでかっこいい」と言ってくれた火傷の跡も、一番避けていたのは、他ならぬ母だったのを正義は知っていた。着替えている時に、ふと視界に入っただけで、あからさまに動揺し、目をそらされたこともあった。
あの時、父と一緒に自分も死ねばよかったんじゃないか。正義の心にはずっとそんなわだかまりがあった。