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生きづらかったので、レモンになった


    私は一度、レモンになったことがある。

    比喩ではない。

    顔中に黄色いアイシャドウを塗りたくり、
    手作りのレモンの被り物を頭に被って、
    ニコニコ動画で生配信をした。

    なぜそんなことをしたのか。

    答えは単純である。

    『めちゃ×2イケてるッ!』が好きだったからだ。

    当時、番組のワンコーナーで岡村隆史さんがレモンになっていた。

    細かい内容は覚えていない。

    でも、「岡村さんがレモンになっていた」という事実だけは、なぜか脳に深く刻み込まれていた。

    普通の人はテレビを見て笑って終わる。

    私は違った。

    「レモンって、なれるんだ」

    と思った。

    そして翌日にはドラッグストアに赴き、黄色いアイシャドウを買っていた。

    人間の行動原理というのは案外単純である。

    私は昔から、面白い人に憧れていた。

    クラスの人気者。

    テレビの芸人さん。

    人を笑わせる人。

    そういう人たちは、私には魔法使いみたいに見えた。

    ただそこにいるだけで場の空気が変わる。

    暗かった場所が明るくなる。

    みんなが笑う。

    私はそういう人になりたかった。


    子どもの頃から私は、面白いことを考えるのは好きだった。

    でも、面白い人間だったかと言われると微妙だった。

    頭の中では面白いはずなのに、口に出すと滑る。

    勇気を出して言った一言が静寂を生む。

    笑いを取りに行ったのに、空振りする。

    そんなことが何度もあった。

    そもそも小学生女子が面白くある必要があったのかどうかはわからないが。


    だから私はインターネットに逃げた。

    いや、「逃げた」というと聞こえが悪い。

    インターネットに居場所を見つけた、という方が近いかもしれない。

    ニコニコ動画には変な人がたくさんいた。

    歌う人。

    踊る人。

    ゲーム実況をする人。

    何かを作る人。

    そして、どう見ても変な人。

    現実世界では少し浮いてしまうような人たちが、そこでは主役だった。

    私はその空気が好きだった。

    変でもいい。

    むしろ変な方が面白い。

    そんな世界だった。

    だからレモンになった。

    黄色いアイシャドウを顔中に塗った。

    鏡を見た。

    当たり前だが人間の顔色ではなかった。

    体調を心配されてもおかしくない色だった。

    だが、まだ足りない。

    レモンにはなっていない。

    私は工作を始めた。

    フェルトだったか画用紙だったか、細かいことは覚えていない。

    ただ、何時間もかけてレモンの被り物を作ったことだけは覚えている。

    勘違いしてほしくないが、当時の私は暇だったわけではない。

    むしろ忙しかった。

    それでもレモンにはなる必要があった。

    人間には人生で何度か、理屈では説明できない使命感が訪れる。

    私にとっては、それが今で、レモンだった。


    完成した檸檬を見る。
    爆発はしなさそうだ。

    完成したレモンを被る。

    鏡を見る。

    レモンがいた。

    少なくとも人間よりはレモンに近かった。

    私は満足した。

    そして配信を始めた。

    コメント欄は予想通り混乱した。

    「どうした?w」

    「なぜレモン?ww」

    「何があった?wwwww」

    私も説明できなかった。

    なぜなら私自身がよく分かっていなかったからである。

    ただ一つ確かなことは、みんな笑っていた。

    私はそれが嬉しかった。

    配信をしていた頃の私は、誰かを笑わせることが好きだった。

    コメント欄が流れる。

    「わろた」

    「意味わからん」

    「好き」

    そんな言葉が並ぶ。

    たったそれだけのことなのに、胸がいっぱいになった。

    思い返してみると、私はずっと誰かを笑わせたかったのかもしれない。

    面白い人になりたかった。

    人気者になりたかった。

    認められたかった。

    居場所が欲しかった。

    言葉にすると少し恥ずかしい。

    でも、きっとそうだった。

    人を笑わせる人は強そうに見えた。

    人に必要とされているように見えた。

    だから私はレモンになった。

    もちろん今振り返ると意味が分からない。

    意味が分からないが、後悔はしていない。

    大人になると、だんだん賢くなる。

    効率を考える。

    損得を考える。

    人からどう見られるかを考える。

    そうやって少しずつ失うものもある。

    もし今の私が「レモンになろう」と思ったとしても、たぶん途中で検索する。

    「レモン 被り物 既製品」

    とか。

    「黄色く 顔全体 安全性」

    とか。

    そして結局やらない。

    大人だから。

    でも、あの頃の私はやった。

    検索もしなかった。

    止まらなかった。

    少し馬鹿だった。

    でも、少し自由だった。

    スーパーでレモンを見るたびに思う。

    人生には、役に立たない時間が必要なのかもしれない、と。

    何かを得るためではなく。

    誰かに評価されるためでもなく。

    ただ面白そうだからやる。

    ただ笑いたいからやる。

    ただ誰かを笑わせたいからやる。

    あの日のレモンは、きっとそういう衝動の塊だった。

    もう二度とレモンにはならないと思う。

    たぶん。

    いや、絶対とは言い切れない。

    人生は長いし、私は昔から妙なところがある。


    最近は何かを始める前に考えることが増えた。

    それは面白いのか。

    意味はあるのか。

    誰かの役に立つのか。

    変だと思われないか。

    失敗しないか。

    若い頃の私はそんなことをあまり考えていなかった。

    レモンになりたい。

    そう思った。

    だからなった。

    今思うと恐ろしい判断力である。

    けれど、少し羨ましくもある。

    SNSを開けば、誰かの成功が流れてくる。

    何者かになった人たち。

    結果を出した人たち。

    正しいことを言う人たち。

    私たちはいつの間にか、「ちゃんとした人」になる競争に参加している。

    失敗しないように。

    浮かないように。

    笑われないように。

    気づけば、自分で自分を監視している。

    でも、レモンは違った。

    レモンには目的がなかった。

    キャリアにもならない。

    履歴書にも書けない。

    収入にもつながらない。

    ただ、人を笑わせたかった。

    ただ、自分も笑いたかった。

    それだけだった。

    人間は意外と、それだけでは生きていけない。

    けれど、それだけがないと息苦しくなる。

    だから今でもスーパーでレモンを見ると少し立ち止まる。

    あの日の私は、たぶん自由だった。

    賢くはなかった。

    効率も悪かった。

    でも、自分で自分を採点していなかった。

    現代を生きる私たちは、何かになろうとしすぎているのかもしれない。

    誰かに認められる人。

    評価される人。

    役に立つ人。

    私たちは何者かになろうとしすぎている

    もし将来、またレモンになろうとしていたら。

    そのときはきっと、少し生きづらくなった自分を、
    助けようとしているのだと思う。

    それに、レモンになる以外の解決方法を、
    私はまだ見つけられていない。


     
     
    ずっと鬱だと思ってたら双極症でした!治療をしながら働くこと・お金・生きづらさ・病気について書いています。Vtuber活動中。 「普通に生きる」が難しくなった日のことをできるだけ現実に近い言葉で残しています。6/26AbemaPrimeに出演しました

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