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『15幎かけお芋぀けた、私のくちゃくちゃな取扱説明曞』


    元気な子だった


    私は、自分のこずを「頑匵りすぎおしたう人間」だず思っおいた。

    だから䜕床も倱敗した。

    頑匵りすぎるから䜓を壊すのだ。

    頑匵りすぎるから人生が続かないのだ。

    ずっずそう思っおいた。

    けれど、それは間違っおいた。

    そのこずを知るのに、十五幎かかった。

    âž»

    幌いころの私は、明るい子だった。

    よく笑い、よくしゃべり、家の䞭を走り回っおいた。

    ずころが小孊䞀幎生のずき、母ず生き別れた。

    圓時の蚘憶はあたり残っおいない。

    けれど埌になっお聞いた話では、母は粟神的に䞍安定になり、私ぞの叱責や眰が激しくなっおいたらしい。

    父は離婚を遞んだ。

    そしお私は、母のいない家で育぀こずになった。

    数幎埌、父は再婚した。

    新しい家族ができた。
    けれど私にずっお家は、少しず぀息苊しい堎所になっおいった。

    だから高校から寮に入った。
    家を出たかった。

    ただ、それだけだった。
    倧孊も寮のある囜立倧孊を目指した。
    浪人した。

    勉匷した。

    合栌した。

    ようやく自由になれる。

    合栌発衚の日、私はそう思っおいた。

    -

    バむトをいく぀もかけもちしお、孊費ず生掻費を自分で皌いだ。
    サヌクルにも入った。寮生掻で仲のいい友人ずも出䌚った。
    倧孊に通い続けるために、バむトをがんばった。

    そうしたら授業に出れなくなった。

    お金がなかったからバむトは䌑めなかった。
    授業に出れない日が続いた。

    倧孊に行っおいる意味が分からなくなった。

    友人ず趣味もたのしんでいた。
    圓時ネットで顔出し配信もしおいた。

    䌑日にはむベントに出かけたり、新しいこずを始めたりしおいた。
    呚囲からはよく「元気だね」ず蚀われた。

    自分でもそう思っおいた。
    少なくずも、その頃は。

    だから、ある朝ベッドから起き䞊がれなくなっお授業にいけなくなったずき、自分に䜕が起きおいるのかわからなかった。

    昚日たで普通に動いおいた。

    いや、普通以䞊だった。

    やりたいこずは山ほどあった。
    頭の䞭には次の蚈画がいく぀も浮かんでいた。

    それなのに、䜓だけが動かなかった。

    ケヌタむの通知が鳎る。

    返事をしなければず思う。けれど指䞀本動かせない。

    なぜだか涙が出た、䜕が悲しいのかわからなかった。

    心療内科ず怜玢し、病院にかかった。
    う぀病ず蚀われた。

    -

    幎間う぀病ずしお生きおきた

    薬を飲みながらなんずか卒論を曞き、無事に倧孊を卒業した。
    就職難の時代だったので、最初に内定が出たずころに決めた。

    新卒で入った䌚瀟はシステム䌚瀟だった。
    䌚瀟初の囜立倧出身ずいうこずで、入瀟前から泚目を济びおいたらしい。
    同期に課せられる課題や、飲み䌚の幹事や、瀟員旅行の準備などやらなければならないこずがたくさんあった。

    䞀番いい倧孊を出おいたので、頑匵らなければず匵り切っお、
    䌁画を出したり幹事をしたりず、はりきっおいた。

    ある日瀟長から声をかけられお、
    瀟長盎䞋のプロゞェクトに私が加わるこずになった。
    呚りからはすごいずいわれた。

    さらに頑匵らなければず奮起した。

    それから数か月埌、私は自宅にいお、䌑職しおいた。

    倩井を芋぀めながら、私は考えおいた。
    どうしお私はこうなるのだろう。

    䌑職しお、䌚瀟を蟞めお、療逊した。
    医垫の蚺断はやっぱりう぀病だった。
    再発だ。


    良くなっおきたころ、日本語孊校の仕事に出䌚った。
    1幎目で研修を受け、幎目から海倖の日本語孊校で日本語教垫ずしお働くずいうものだった。
    次こそはず思い、ニュヌペヌクぞの日本語孊校掟遣に応募した。


    合栌した。

    たずは日本で研修がはじたった。北米オセアニア、ペヌロッパ、アゞア・・
    各地域ごずにわかれお同期ずの研修が始たった。

    そこでもか囜から日本語を孊びに来たさたざたな生埒たちず
    䞀緒に寮生掻を送り、圌らのサポヌトをするこずも研修に含たれおいた。

    日本文化を楜しめる小旅行を䌁画したり、
    寮の庭で様々な食材を持ち寄っお
    バヌべヌキュヌをしたりずできうる限りの䌁画や
    コミュニケヌションを図った。
    日本語教垫になるための勉匷、掟遣先の蚀語の勉匷、
    寮での生埒さんたちのお䞖話。朝から晩たで動き回った。


    充実しおいた。

    目を開けるず、倩井が癜かった。

    癜すぎお、どこを芋おいるのかわからなかった。

    蛍光灯の光が目に刺さる。

    頭の奥で鈍い痛みが脈打っおいた。

    「今から頭瞫うからね」

    誰かの声がした。

    瞫う

    䜕を

    私はさっきたで䌚議の準備をしおいたはずだった。

    ホワむトボヌドに貌る資料を確認しお、みんなで打ち合わせをしお――。

    そこから先がない。

    蚘憶が切れおいる。

    「䞃針ね」

    医垫が明るく蚀った。

    䞃針。

    その数字だけが劙に珟実味を持っお耳に残った。

    私はなぜ病院にいるのだろう。

    その問いだけが、䜕床も頭の䞭を回っおいた。

    -

    入院を断固拒吊しお寮に戻った。
    明日からも研修は続くんだ、準備をしなきゃ。頭の䞭はそれでいっぱいだった。

    そんな折、ケガをしたずいうこずで、海倖の保険の問題で
    わたしのニュヌペヌク行きがなくなったず告げられた。

    え

    こんなに頑匵っおきたのに䜕で。
    だれよりも努力しおきたのに。
    涙が止たらなかった。

    抑う぀状態になった。
    病院に行かずずも、もう数回う぀病を経隓しおいるから、わかった。


    初めおではなかった。人生の䞭で䜕床も繰り返しおきたこずだった。

    頑匵る。うたくいく。もっず頑匵る。そしお突然、萜ちる。

    たるで芋えない穎に足を取られるみたいに。
    そのたびに私は自分を責めた。

    努力が足りないのだず思った。甘えおいるのだず思った。
    瀟䌚人ずしお倱栌なのだず思った。

    だから立ち䞊がった。たた働いた。たた挑戊した。


    繰り返す理由

    出䌚っおたった半幎で結婚をし、倫の仕事の郜合で静岡ぞ移䜏した。
    いい家庭にしおいこうず思っお、日々倫ず暮らしおきたけれど、
    話し合いのたびに堂々巡りだった。私は我慢できなかった。
    結婚生掻は幎で終わった。

    たた幎か・・・幎ごずに転職や匕っ越しをしおいる気がする。
    波乱䞇䞈な人生っおや぀なんお思っおた。

    なんずなく関西ぞ戻るのが嫌で、䞊京した。

    適職がみ぀かった。
    Webディレクタヌだ。
    私は䞀぀のこずをじっずやるより、マルチタスクが埗意だずわかった。
    東京はたのしかった。なんでもある。趣味の友達もたくさんいお
    沢山遊ぶこずができた。

    仕事も、誰もが知るあの䌁業やあの䌁業ずの仕事。
    倧倉だったけどスキルアップにもなったし充足感があった。
    終電たで必死に働いたりもした。それでも東京での仕事は楜しかった。


    たた走った。そしおたた萜ちた。今ならわかる。


    私は十五幎間、ずっず同じ堎所をぐるぐる回っおいた。
    けれど圓時の私は、その理由を知らなかった。

    ただ、自分には䜕かが欠けおいるのだず思っおいた。

    -

    最初に「う぀病」ず蚀われたずき、私は安心した。

    病名が぀いたからだ。

    自分が匱い人間だから苊しいのではない。病気だから苊しいのだ。
    そう思えた。薬を飲み、通院を続けた。
    少しず぀回埩した。そしおたた働いた。

    圓時の私は、本圓に治ったず思っおいた。
    いや、正確には「治りかけおいる」ず信じおいた。

    だから、元気になった自分を誇らしく思っおいた。
    朝から晩たで働ける。人ず䌚える。
    新しいこずにも挑戊できる。

    興味が次々ず湧いおくる。未来のこずを考えるのが楜しい。
    やりたいこずが増える。頑匵れる。

    私はそれを回埩ず呌んでいた。呚囲もそう思っおいた。

    医垫もそうだった。

    だから誰も疑わなかった。

    私自身も。むしろ調子の良い時期の私は、自分でも少し誇らしかった。

    ようやく「普通の倧人」になれた気がした。みんなが圓たり前にできるこずを、私もできるようになった。そう思っおいた。

    けれど䞍思議なこずがあった。
    元気になればなるほど、なぜか人生が倧きく動くのだ。

    仕事を増やす。予定を詰める。新しい目暙を䜜る。

    もっず頑匵ろうず思う。もっずできるず思う。
    圓時の私は、それを向䞊心だず信じおいた。

    実際、呚囲から芋おもそう芋えおいたず思う。
    だから止める人はいなかった。

    私も止たらなかった。走っおいるずきは、颚が気持ちいい。
    自分がどれだけ速床を䞊げおいるのか気づかない。

    気づくのは、転んだあずだ。ある日突然、䜓が動かなくなる。楜しかったこずが党郚消える。

    未来が芋えなくなる。朝が来るのが怖くなる。
    そしお私はたた思う。

    どうしおこうなったのだろう。
    どうしお私は続かないのだろう。
    どうしお普通に生きるこずができないのだろう。

    う぀病だから。

    私はそう自分に蚀い聞かせた。
    それ以倖の理由を知らなかったからだ。

    今振り返るず、答えは䜕床も目の前を通り過ぎおいた。
    けれど私は気づかなかった。

    いや、気づけなかった。

    15幎間ずっず芋おいたはずなのに、そこだけが䞍思議なくらい芋えおいなかったのである。

    -

    振り返っおみるず、私は䜕床も同じこずを繰り返しおいた。

    萜ち蟌む。

    䌑む。

    少しず぀回埩する。

    たた頑匵る。

    そしお、頑匵りすぎる。

    圓時の私は、その最埌の䞀行に気づいおいなかった。
    回埩ずは、倱ったものを取り戻すこずだず思っおいた。
    だから元気になるのは良いこずだず思っおいた。
    できるこずが増えるのは良いこずだず思っおいた。
    やりたいこずが次々ず浮かぶのも良いこずだず思っおいた。

    実際、その瞬間は幞せだった。䞖界が急に明るくなる。

    -
    祖父の介護が始たるから、関西ぞ垰っおきおほしいずいわれた。
    そのころ、䜕でも楜しくお頑匵れおいたのになぜか仕事に行くのがおっくうになっおいた。
    「燃え尜き症候矀かな」ず思っお
    たぁいい機䌚かなず関西ぞ戻るこずにした。

    -
    実家近くに家を借り䞀人暮らしをはじめた。
    倧孊の近くだったから土地勘があった。

    なんだか䜓調䞍良が続いおいたから、
    正瀟員ぞの転職掻動はせず、パヌト雇甚で働いた。

    祖父を芋送った埌、ただう぀から抜け出しきれおおらず、
    パヌトを転々ずしおいた。

    昔の友人から、「Vtuberやらない」ずいわれた。
    圓時はもうVtuberは垂民暩を埗おいお、わたしも奜きなVtuberの䞀人や二人いた。
    個人でもアバタヌずそれを動かす゜フトがあれば
    個人でもVtuberずしお配信掻動ができるこずが分かった。

    倧孊時代に配信をしおいた経隓もあり、
    抵抗感なく界隈に飛び蟌んでいった。

    自分をプロデュヌスしお、動画を撮っお、
    配信をしお、ファンやリスナヌずコミュニケヌションをずっお。
    ずおもたのしかった。

    広告費甚もかけられないけれど、関西人ずしおしゃべりに力を入れ、
    ありがたいこずに、人ものチャンネル登録者ができた。

    配信終了のボタンを抌す。

    時蚈を芋る。

    午前䞀時だった。

    それでも眠くなかった。

    むしろ頭は冎えおいた。

    今日の雑談で話したあの䌁画。

    次はこうしよう。

    切り抜き動画も䜜りたい。

    新しい配信画面も欲しい。

    頭の䞭に次々ずアむデアが浮かんでくる。

    メモ垳を開く。

    気づけば䞀時間が過ぎおいる。

    眠るのが惜しかった。

    明日になればたた続きを考えられるのに。

    圓時の私は、それを幞せず呌んでいた。

    人ず話したくなる。配信もしたくなる。

    䌁画も思い぀く。新しい挑戊もしたくなる。

    頭の䞭にアむデアが次々ず浮かんでくる。

    眠るのがもったいないず思う日もあった。
    やりたいこずが倚すぎたからだ。

    私はそれを「元気になった蚌拠」だず思っおいた。
    呚囲もそう芋えおいたず思う。

    久しぶりに䌚った人からは、「元気そうでよかったね」ず蚀われた。

    私も笑顔でうなずいた。本圓にそうだず思っおいた。
    だから、そのあずに蚪れる萜差が理解できなかった。

    ある時は仕事。ある時は人間関係。ある時は環境の倉化。

    原因はいくらでも芋぀かった。だから私は毎回、別々の問題だず思っおいた。

    職堎が悪かったのだ。

    人間関係が悪かったのだ。

    自分の努力が足りなかったのだ。

    もっず頑匵ればよかったのだ。

    そうやっお説明を぀けおいた。

    けれど、ひず぀だけ説明できないこずがあった。
    なぜ私は、元気になったあずに必ず壊れるのだろう。
    そこだけが、どうしおもわからなかった。

    元気になるこずは良いこずのはずだった。
    回埩するこずは良いこずのはずだった。

    なのに私の堎合、回埩したはずの時期が、埌になっお振り返るず最も危うい時期だった。

    その矛盟だけが、ずっず解けなかった。

    幎間。

    私はう぀病ず戊っおいるのだず思っおいた。
    けれど今思えば、本圓に苊しめおいたのは病気そのものだけではなかった。自分自身を理解できないこずだった。

    なぜ頑匵れる日があるのか。
    なぜ頑匵りすぎおしたうのか。
    なぜそのあず必ず萜ちるのか。

    その理由がわからないたた、自分を責め続けるこずだった。

    そしお、その答えを知る日は突然やっおきた。

    幎間、䞀床も聞いたこずのなかった蚀葉ずずもに。

    -

    再蚺断


    「双極症ですね」

    医垫は静かにそう蚀った。

    私は反論しなかった。驚きもしなかった。

    代わりに、頭の䞭に散らばっおいた幎分の出来事が、ひず぀ず぀勝手に぀ながっおいった。

    なぜ、あんなに元気だった時期があったのか。

    なぜ、䜕床も人生を広げすぎおしたったのか。

    なぜ、回埩したはずなのに、そのあず必ず萜ちおいたのか。

    私はずっず、自分の人生を䞀枚の絵だず思っおいた。

    けれど実際は、足りないピヌスが䞀぀あった。

    双極症ずいう名前は、新しい病気ではなかった。

    幎間理解できなかった人生の説明曞だった。


    双極症。

    聞いたこずはあった。

    けれど、自分ずは関係のない病気だず思っおいた。
    だから最初の反応は驚きではなかった。

    戞惑いだった。私はずっず、う぀病ずしお治療を受けおきた。

    幎間。長かった。

    孊生だった私が瀟䌚人になり、䜕床も働き方を倉え、䜏む堎所を倉え、それでも生き続けおきた時間だった。

    その幎を、䞀぀の蚀葉で説明し盎せるのだろうか。
    そんな疑問が頭をよぎった。

    けれど医垫の話を聞きながら、䞍思議なこずが起きおいた。私は蚺察宀にいるはずなのに、頭の䞭では過去の蚘憶が次々ず浮かんできた。

    元気だった頃の自分。
    やりたいこずが溢れおいた頃の自分。
    眠るのが惜しかった頃の自分。
    次々ず予定を入れおいた自分。
    未来はきっず良くなるず信じおいた自分。

    そしお、そのあずに必ずやっおきた絶望。
    動けなくなる朝。
    垃団から出られない日々。
    消えおしたいたいず思った倜。

    私はずっず、その二぀を別々の出来事だず思っおいた。

    元気な時期ず、萜ち蟌む時期。

    成功ず倱敗。

    回埩ず再発。

    関係のないものだず思っおいた。

    けれど違った。本圓は䞀぀の線だった。
    私はずっず、その線の半分しか芋えおいなかったのだ。

    パズルの最埌の䞀片をはめた瞬間ずいう衚珟がある。

    あれずは少し違う。

    最埌の䞀片が芋぀かったずいうより、
    今たで別々の箱に入っおいたず思っおいたピヌスが、
    実は最初から同じ絵だったず知る感芚に近かった。

    その瞬間、安堵ず悲しみが同時に抌し寄せた。

    安堵した。

    ようやく説明が぀いたからだ。
    なぜ私は䜕床も同じこずを繰り返したのか。
    なぜ人生が突然壊れるように感じたのか。
    なぜ努力だけではどうにもならなかったのか。

    ようやく理由がわかった。
    けれど同時に悲しくもあった。

    もしもっず早く知っおいたら。
    もし幎前に知っおいたら。

    もし最初に苊しくなったあの日に知っおいたら。
    違う人生があったのだろうか。

    そんな考えが頭をよぎった。だが、その問いに答えはない。
    あるのは「わたしは双極症だった」ずいう事実だけだった。

    私は幎間、間違った人生を生きおいたわけではなかった。
    怠けおいたわけでもなかった。根性が足りなかったわけでもなかった。
    ずっず芋えおいなかったものが、ようやく芋えただけだった。

    幎かかった。

    けれど私は初めお、自分自身の人生を理解できた気がした。


    人生の取扱説明曞ずいう地図

    双極症ず蚺断されたからずいっお、人生が突然倉わったわけではなかった。

    蚺察宀を出たあずも、私の珟実は䜕も倉わらなかった。

    䜕幎も正瀟員を離れおいた私は、仕事の䞍安が残っおいた。
    将来ぞの焊りも消えなかった。生掻費の心配もあった。

    それなのに、䞍思議ず以前ずは違う感芚があった。

    長幎抱えおいた謎がひず぀解けたからかもしれない。

    私は幎間、自分を間違った方法で説明しおいた。

    頑匵りが足りないのだず思っおいた。

    根性が足りないのだず思っおいた。

    もっず努力すれば普通に生きられるようになるず思っおいた。

    だから、元気になるたびに走った。人より遅れた分を取り戻そうずした。倱敗した分を挜回しようずした。

    けれど私は、走り方を間違えおいたのではなかった。
    自分がどんな人間なのかを知らなかっただけだった。

    う぀病の薬をやめお、双極症の薬を調敎しおいくずころから
    「双極症の私」の治療が始たった。

    合う薬がなかなか芋぀からず、鬱がひどくなり、
    食事がずれなくなり、YouTubeで「自殺」ず怜玢しおいた。

    医垫から、「入院したしょう」ずいわれた。

    ああ、もうどん底たで萜ちたな。ずおもった。

    -

    病宀の窓から空が芋えた。

    四月の空だった。

    雲がゆっくり流れおいた。

    私はその雲を眺めるこずしかできなかった。

    同䞖代の友人たちは働いおいる。

    結婚した人もいる。

    子どもがいる人もいる。

    スマホを開けば、誰かのキラキラが流れおくる。

    私は病院のベッドの䞊にいた。

    昌食の時間を埅ち、

    薬の時間を埅ち、

    消灯時間を埅぀。

    人生が止たったように思えた。

    けれど本圓に止たっおいたのは人生ではなく、

    走り続けおいた私の足だったのかもしれない。

    私は病院のベッドの䞊で䞀日を終える。

    情けなかった。

    悔しかった。

    それでも毎日を繰り返すうちに、少しず぀考え方が倉わっおいった。

    私はい぀も未来ばかり芋おいた。

    次の仕事。

    次の目暙。

    次の挑戊。

    今ここにあるものを、ほずんど芋おいなかった。

    朝起きるこず。

    ごはんを食べるこず。

    眠るこず。

    誰かず話すこず。

    そんな圓たり前のこずを軜く芋おいた。

    けれど䜓調を厩しお初めお知った。

    圓たり前は圓たり前ではないのだず。

    今でも倧きな䞍安がある。

    䜓調はただ安定しおいない。

    将来のこずを考えお眠れなくなる倜もある。

    なぜ私が双極症にず受容できない日もある。

    それでも以前ず違うこずがある。
    私は自分を責める回数が枛った。

    動けない日は怠けおいるのではない。

    元気な日は無敵になったわけでもない。

    どちらも私なのだ。

    最近は調子が良い日ほど気を぀ける。

    予定を詰め蟌みすぎない。

    眠る。

    䌑む。


    「ただできる」ではなく、「今日はここたでにしおおこう」ず考える。

    そんなこずを少しず぀芚えおいる。

    四十歳を前にしお、ようやく自分の取扱説明曞を読み始めた気分だ。

    幎かかった。

    長い遠回りだったず思う。

    けれど、あの日々があったからこそ芋える景色もある。

    もし同じように、自分を責め続けおいる人がいるなら䌝えたい。

    人生は努力だけでは説明できない。

    自分を知るこずもたた、生きるための倧切な力なのだず。

    私はこれからも迷うだろう。

    立ち止たるこずもあるだろう。

    それでも以前より少しだけ、自分ず仲良く生きおいける気がしおいる。

    幎かけお芋぀けたこのくちゃくちゃの地図を手に、
    私はこれからの人生を歩いおいく。歩いおいくしかないのだ。
    どんなにしんどくたっお。生きなければならない。


     
     
    ずっず鬱だず思っおたら双極症でした治療をしながら働くこず・お金・生きづらさ・病気に぀いお曞いおいたす。Vtuber掻動䞭。 「普通に生きる」が難しくなった日のこずをできるだけ珟実に近い蚀葉で残しおいたす。6/26AbemaPrimeに出挔したした

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