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友よ

    (8,341字。以前分載したものをまとめ、少々手直ししたものです)

     Kを深く知るようになったのは、中学2年の春のことだ。

     少子化前の田舎の中学校のこととて2クラス、学年で80人ほど。1年生の頃にはもう、名前も顔も知っていたし、どんな性格なのかも多少わかっていた。

     その程度だったのが、学年があがるときにクラス替えがあり、たまたま同じクラスになったのである。

     Kの父は漁師、祖父も漁師だった。漁港は市街地から車で5キロほど離れた集落にあり、Kの家もそこにある。スクールバスで学校に通っていたから部活はやらず、かわりに勉強がよくできた。どのテストでも学年で5番以内に入っていて、頭のいいやつ、と思われていた。

     当時おれが通っていた個人経営の塾では土日を遊びのため開放しており、パソコンゲームをやってもいいことになっていた。先生も加わり、『三國志』を楽しむのである。ふだん英単語テストで泣かされていたのが、このときばかりはキーボードを打つ手つきも軽やか。ほぼ毎週行って、友人たちと領土争いをくりひろげたものである。

     しぜんに学校でも、三國志の話題がたびたび出る。吉川英治を読むのもいれば、横山光輝を集めだすのもいたし、柴錬三國志を読んでこれはヤラシイと言うのだっていた。

     あるとき、そうして友人と話しているとKが加わってきた。Kはその塾には通っていなかったから当然話題についてこられないはずが、意外なことに、じつによく三國志を知っていた。

     主要な戦いの詳細。マイナーな人物への評価。おれたち塾組が知らないエピソードさえ、つぎつぎとくりだしてくる。おれは秘かに舌を巻いた。

     さらに驚愕することとなったのは、Kが最近パソコンを買ってもらったと聞いたからだ。しかもPC9801。通称キューハチ、16ビットパソコンと言うと隔世の感があるけれど、当時正価で40万円以上もするシロモノ。おいそれと親にねだることはできない。

    「遊びにきたいなら、きてもいいぞ」
     笑いながらKが言う。こうして書くと鼻もちならないようだけれども、中学生である。Kの笑いに屈託はなく、おれだって単純にうらやましかっただけだ。さっそく遊びに行くことにした。

     このときKの家に初めて行ったのだが、とにかく各部屋が広かったのを憶えている。それなりの築年数だったものの、茶の間が20畳ほど、Kの母親にあいさつをして襖を開けると、Kの弟の部屋が8畳。さらに襖を開けるとKの部屋だ。増築したばかりで、まだ新しい建材のにおいがしていた。

     窓のすぐそばに川、とうとうと流れている。見晴らしがよく、南側には町の人がランドマークにしている山がくっきり見えた。その中間に牧草地。ホルスタインがあちこちに寝そべったり、草を食べたりしている。

     キューハチを起ち上げる。塾のパソコンは中古だったが、Kのは新品だった。画面上に三國志のロゴがまず現れ、Kがスペースキーを押すと初期画面となって群雄の顔や能力値が表示される。ディスプレイが最新だったからか、塾で見るよりも武将のグラフィックはくっきりしていて美しかった。

     そうして遊びはじめるとまもなく、Kの母親がケーキとジュースを持ってきた。おれは礼を述べ、Kはいったん中断するかという。

     おれたちはケーキを食べはじめた。あらためて部屋を見回すと、やはり広い。窓際にはベッド。壁に面してスチール本棚。百科事典や参考書、問題集の類がおさまっていて、下の方には週刊少年ジャンプが並んでいる。
    「毎週買ってるんだな」
    「うん」とKはこともなげに答え、ケーキを口に運ぶ。
     おれはこの瞬間、激しい嫉妬に襲われた。おれの月ごとの小遣いでは、毎週は買えなかったのだ。

     このときの光景をよく憶えている。藍色の草花が描かれた皿に、白いクリームでコーティングされたケーキ。ひさしぶりにかいだ、甘いにおい。ケーキなんて年に数回しか食べない。

    「そういえばおまえって英語、苦手だったよな」
    「そうかな」
     直前に「実力テスト」があった。現段階での学力をはかる、公立高校の入試問題に似せたテストだ。おれたちは成績を見せ合っていた。Kは5教科で450点くらい、英語だけが80点代だった。ほかは90点代なのだから、苦手、というのは不当、言い過ぎだろう。

    「英語だけ悪かったじゃないか。おれの方がよかったし」
     おれの点数は、合計ではKには遠く及ばなかった。ただそのとき、英語だけは90点代だったのだ。
    「そういえば、そうだな」
     Kはこともなげにコップを手にとり、ジュースを飲んだ。
    「英語が苦手なんだよ、おまえは」
    「そうかもしれんな」

     その後、2年生の間に何度かテストがあったけれども、結果を言い合うたびにおれはKに、おまえは英語が苦手だと言い続けた。
     だが、Kの英語の点数が一気にさがったことはなく、ただ、ほかの教科よりも多少低い程度だった。

       ☆

     中学3年の春、おれは父の転勤にともなって故郷を離れた。だからその後4年間の、Kのことはよく知らない。

     Kが札幌の高校に進んだと聞いたのも、本人からではない。越境入学であり、当時は定員の2%の枠内での入試となるのだった。故郷では地元を出るならまず旭川で、札幌への進学となると、いっそう箔がつく。

     だが、Kが入学した高校の名前を聞いたとき、おれは軽い違和感を覚えた。それなら旭川のより高いレベルの高校に行けばよかったのではないか、と。旭川なら同じ越境入学とはいえ、札幌より近いため5%の枠内で受けられる。

     とにかくKは親元を離れて下宿、高校生活をすごしたわけだ。やっぱりおれはうらやましかった。自由。親の監視も干渉もほとんどない環境。その年代の若者が欲してやまないものだった。

     つぎにKと会ったのは、大学に入学した春だ。

     おれは札幌の大学に入ったもののなじめず、翌年ほかの大学を受験しなおそうとしていた。そしてKは――浪人だった。高校卒業後、札幌にとどまって予備校に通っていたのである。

     おれは親から浪人は許さない、と言われていた。できれば国公立大学、北海道内ならなおよい。私立であっても学費の安い道内の大学に入ったのは、親の意向を多分に汲んだものだ。

     ところが引っ越し先は下宿。築50年ほどのオンボロの建物で8畳間、トイレは共同、風呂は近くの銭湯に行くのである。まかないつきだが、いちいち食堂に行きほかの下宿人と顔を合わせなければならない。壁が薄く、隣人のいびきに夜間、悩まされる――

     Kと連絡をとり、訪問したのは桜が散った頃だ。最寄りの地下鉄駅から5分とかからなかった。10階建てのマンションは築浅。その4階に住んでいるからエレベーターを使った。あがってみるとそう広い部屋ではなかったが、バスとトイレは別だし、キッチンに立つとシンクは広くガスコンロだって二口ついている。

     おれからしたら恵まれすぎた環境で、再チャレンジを親に認められている。Kが通っていた予備校にしても大手で、テキストを見せてもらうと、しっかりしたものだった。

     いちど夕飯を食いに外に出た。Kがいきつけにしているというカレー屋で飯を食い、コンビニで飲物や菓子類を買ってもどる。すると、Kはキッチン脇の戸棚から紹興酒をとりだしてきた。

    「おまえも飲むか?」
    「いや、いらない」
     ひと口飲んで薬のような風味がいい、などという。話が翌春の受験へとおよぶと、
    「ホクダイは厳しいかもな――て言ったって、国公立は理系ばっかりだ。文系はなあ」
     北海道の国公立大学では、文系の方が間口がせまい。確かにそうだった。
    「本州に行けばいいべや。親だってナンボでも金出してくれるだろう?」
    「弟もいるから」
     おや、と思った。少なくとも中学のとき、弟を思いやるような発言を聞いたことがなかったからだ。親元を離れて変わったのか。

     Kはすぐに酔っぱらった。酒の飲み方など、まだわからなかったのだろう。適当なところで話を切り上げ、おれはKの部屋をあとにした。

     それからほどなくして、下宿に電話がかかってきた。部屋にはついていないから、住み込みの婆さんに呼びだされて、廊下の共用の電話で受けるのである。

     相手はKだった。
    「入試のときって高校の評定、どの程度見られるのかな」
    「あまり関係ないだろう。入試の点数がまったく同じでどっちか合格させるなんてときしか、判断材料にしないんじゃないか」
     推薦入試じゃあるまいし――長電話するわけにもいかないから手短に述べ、電話を切った。

     しかし、それからもKはたびたび電話をしてきた。外出していて応じられなかったこともあるが、多いときなど週にいちどはかかってきていた。

     用件はまったく同じ。おれとしても、同様の回答をするほかない。こいつ、おかしくなってるんじゃないか――そう思いはじめたが、頻度が週一なので深く考えなかった。それに予備校の知り合いだっているのだし、その中には同郷の友人だっている。

     夏休みが終わる頃の、Kからの電話。おれは実家に帰省し、下宿にもどっていた。Kはどうだったろう。その間、電話があったのかもしれないが、確かめることはしなかった。とにかくひさしぶりである。

    「おれ、文系なのになあ」と、いきなり切り出す。
     高校の評定平均の話ではない。おれは受話器を握り直す。
    「文系なのに英語が苦手って、致命的だよなあ」
     は? と変な声が出た。四年前おれが言ったことが、今も本人の中では継続している。
    「確かに中学のときは――」
     他の教科の点数より、英語が低かったことは確かに何度かあった。だが、それにしても決して低いレベルではなかった。
     長い時間をかけてそう説明する。だが、Kは生返事をくりかえすばかりで結局、どこか消化不良のまま電話を置くこととなった。

     Kからの電話は、それが最後だった。
     翌春、おれは東京の大学を受け直して合格し、親をなんとか説得した末、上京した。Kは再び受験に失敗し、帰郷した。

       ☆

     大学を卒業後、おれは予備校講師になったが3年で退職した。
     おりからの不況で会社の業績が悪化、給料がカットされ、遅配が常態化したからだ。その後は実家にもどり、翌年から個人経営の学習塾をたちあげた。

     そのずいぶん前に父は転職していて、おれが生まれ育った町にもどっていた。祖母が健在だったから、父は父でおれより一足先に実家にもどったわけだ。

     この間、Kとは7年つきあいがなかったわけだが、帰郷したのを機に連絡してみると会いたいとのことだった。

     そこで、車でKの家まで迎えに行って拾い、あちこち田舎道を走りながら二、三時間ほど話した。

     Kは父の経営する会社に勤めており、漁にも出ているという。確かに顔は赤黒く日焼けていて、鼻の下に洟のあとのような白いささくれがあった。
    「それ、どうしたんだ?」
    「沖に出たら波をかぶってもいいよう、帽子をかぶるんだ。帽子には紐がついてる。紐がこすれて、こうなるんだ」
    「将来、父ちゃんのあと継ぐんだろ? いいよな」
     言った瞬間、この言葉が社交辞令じみていることに気づいた。真にKをうらやんでいるのではない。週刊少年ジャンプや16ビットのパソコンにしても、ワンルームマンションでの浪人生活にしても、そのときにはもう、ずいぶん遠いものとなっていた。

     Kは、いや、と否定から入った。じぶんには人を使う能力はないという。現在、従業員は3人いるとのことだった。
    「だからといって、使われるのも――」
     おれは多少なりとKの人となりを理解しているつもりだった。雇われる立場の方こそ、つらいのではないか。

     やや間があった。Kは答えずに、後部座席を顎で示す。
    「最近、週刊誌の読者欄に投稿してて、よく採用されてるんだ。コピーを持ってきたから、あとで見てくれ」

     車に乗り込んだとき、ビニール袋を置いたのは見ている。その中にじぶんが書いた文章のコピー。Kらしいと言えば、Kらしかった。
    「この前、謝礼にジャムを送ってきたんだ。おまえにやるよ。うちじゃあまりパン、食わんから」

     湖が一望できる展望台に車を停め、そこでエンジンを切った。よく晴れた日で、周囲には誰もいない。あたり一帯は牧草地である。ずいぶん遠くで、農作業中のトラクターの音がしていた。

    「そういやおまえ、中学のとき弁論大会に出たことあったよな」
     Kはチャップリンの『独裁者』を観て、その感想からファシズム批判を展開したのだった。
    「ああ、そんなこともあったな」
    「そのあと『わが闘争』を貸したろ? おれの親父のヤツだけどさ。そしたらヒトラーにかぶれて」
    「よく憶えてるな」

     ベンチに腰かける。正面を見ると、ちょうど湖面から鳥が飛び立っていくところだった。しかし遠すぎて、ただ鳥だとしか識別できない。
    「あの頃、おまえは『鳳雛』と呼ばれていた。龐統になぞらえて」
     三國志の逸話だ。不遇時代の劉玄徳に、伏龍か鳳雛のひとりでも配下にすれば天下がとれると訴えた隠者がいた。伏龍は諸葛亮で、鳳雛は龐統のこと。その頃、クラスメイトを三國志の武将にあてはめるのが、はやっていた。
    「その鳳雛が、結局実家に帰って親がかりか。おまえ、それで本当によかったのか」

     だが、当時のおれだって親と同居していたから、人からそう見られなくもない。
     それに、Kの親への侮辱ともとられかねない言いぐさだったのだが――Kは黙ったままだった。

     おれの言うことにKが腹を立てても、逆にKのすることにおれが腹を立てても、その後時間がたてばもとの関係にもどる。おれはそう思っていた。しかしそれは、たんにおれの甘えだったのかもしれない。

     しばらくたって、Kが口を開いた。
    「おまえ、『伏龍』の方は憶えているか?」
    「さあ……。確か、高校はいいとこ行ったよな」
     Kと同様、越境入学したとは聞いていた。旭川でいちばんの高校に。
    「死んだよ」
     こともなげな調子だった。おれはそいつの眼鏡をかけた丸顔を思い出しながら、
    「死んだ?――いつ?」
     高校を卒業後まもなく、同級生の車に乗っていて事故死。言葉にするならこれだけで済むし、若者にはままある話ではあった。だが、それにしても8年前である。8年もの間、おれの中ではそいつはかつて伏龍と呼ばれていた男として生きつづけていた。だが、Kにとってそいつはずいぶん前に亡くなった者なのだった。

     それからあとのことはよく憶えていない。とにかくKを送り届けたことは、まちがいない。

     おれは家に帰ると、さっそくビニール袋の中を見てみた。
     ジャムはきれいに包装された瓶がふたつ、マーマレードと苺。贈答用のレベルだった。これはそのまま母に渡す。

     コピーは10数枚あり、B5版。どれも四つ折りにされていて、折り方がみないっしょだった。内容はと見ると、ときの政権、政治や時事問題への批判ばかりで、特にK独自の主張はない。

     はっきり言うなら、おれはこのとき失望したのだった。この程度なのか、と。一見、批判のかたちをとってはいる。だが誰にでも言えそうな、それゆえ当たり障りのない意見に堕しているのではないか。

     裏を返せば、Kならもっと独創的なことが書けるとおれは思っていた。だが、結局それも勝手な期待というものだろう。

     Kは鳳雛ではなかった。べつな鳥として羽をひろげ、飛び立ったのだ。そしておれには、どの空に向けて飛び立ったのかが見えなかった。
     
       ☆

     その後、おれはひょんなことから神職になりたいと思い立ち、養成機関に入学した。

     ふたたび故郷を離れて東京へ。一年後、札幌の神社に奉職した。Kにはなぜそんな決断をしたのか言わなかったし、暇乞いもしなかった。

     そもそも学習塾をやっている間だって多忙だったし、Kからも連絡はなかったのだ。そう言えば――Kの方からおれに連絡してきたことは、ほとんどない。

     中学3年の春に転校したとき、おれは心細くてかつてのクラスメイトに手紙を書いた。Kにも何度か出したが返信を受け取った記憶はない。

     予備校を辞めて実家にもどったときだって、おれから電話したのだった。
     Kから連絡があったのは、浪人中だけだ。高校の評定平均が入試に関係するのかと、毎週おれに尋ねた、あの一時期だけ。

     神社は神社で忙しい。コネが圧倒的にモノをいう世界に、なんとかおれはもぐりこむことができた。だが、学習塾経営より責任は軽くなった一方で、上の立場にある者にしたがわなければならない。しだいに現実が明らかになり、思い描いていた像とのぶれが生じるのを感じるようになると、どうしても消化しきれない部分が澱のようにたまってゆく。
     そんなとき、おれはふたたびKに連絡をした。

     だが、つながらなかった。携帯の番号が変わったのかと思いつつ、共通の友人に連絡をとってみた。するとそこで、Kが死んだと聞かされたのである。

    「葬式に出たけど、父さん母さんが辛そうでな……。見てられんかったよ」
     おれの両親と同年代だから、その頃は還暦を少しすぎたくらいのはずだった。
    「友達も全然いなかったし。ありゃ、ちょっと寂しかったなあ」
     聞けば、漁協関係者ばかりでKの友人はそいつ以外、だれも参列しなかったという。

     おれは手が震えているのに気づいた。携帯を耳に押しつける。
    「いつ――?」
    「春先。もう49日もすんでるんじゃないかな」
     窓の外を見る。そこには小さな公園があり、白樺の木が立っている。ぼんやりと、この葉がつくより前かと考えた。

     それから近況を報告しあい、礼を言って電話を切った。微風に揺れる白樺の枝をしばらく眺めているうち、いつのまにか日が傾いていた。

     おれはKの死を思った。

     釣り――共通の友人によれば、Kは親の船に乗りつづけていた。漁師がなりわいだというのに、なぜ魚を釣るのに夢中だったのか。それまでいちどだって、Kが釣りをしたなんて話は聞いたことがない。本人からも、友人たちからも。

     Kは夜間、防波堤で釣りをしていて、テトラポッドの間に転落したのだった。自力で這いあがることができずに体温が奪われて、そのまま。

     かつてKが鳳雛になぞらえられていたことを思い出す。鳳雛こと龐統は軍陣中、敵の矢を浴びて落命する。じぶんたちの今いる場所がどこか尋ね「落鳳坡」と聞き、不吉だからと軍勢を移動させようとした、その矢先のことだった。

     だが、防波堤は戦場ではないし、Kはべつにどこかに攻め込もうとしていたわけでもない。平仄が合うようで合わないような、気持ち悪さが残った。

     Kにしたって、鳳雛と呼ばれたいとみずから願ったわけではない。勝手に周囲が呼びはじめただけなのだ。邪気のない、たあいもない中学生の放言にすぎない。

     いつしか山の稜線の向こうへと日が沈んでいく。すっかり暗くなった部屋で、照明もつけないまま横になった。

     結局おれにしても、Kを鳳雛たる男と勝手に決めつけていた。中学校を卒業してもう20年にもなるというのに、その評価がまだ延長しているように思い込んで。だがそんな評価をとっぱらって、改めてKがどんな人間なのか考えてみると、さっぱりわからなくなるのだった。

     そして現在――Kが亡くなったのは何年前か、頭の中で計算しなければ思い出せない。

     それほど過去の領域にKはいる。だが一方で、電話をかけたらKが出るのではないかと、ありもしない想像をすることがあるのだ。

     ともあれ、Kはもう向こう岸に渡ってしまい、帰ってこない。おれは今なお、こちらの岸で生きている。彼岸と此岸をへだてた今、Kを理解するのは永遠に不可能なのかもしれない。

     最後に告白すると、おれはいちどもKの墓参りをしたことがない。町営墓地の先祖代々の墓に葬られたのだろうから、場所はだいたいわかる。竿石あるいは墓碑に、戒名や死亡年月日、Kの名前や享年などが彫られているのだろう。

     それでも、たまに想像をめぐらせることがある。Kの家の墓前に立ち、手を合わせている。そんな光景を思い浮かべるのだ。

     墓石はみな、西を向いている。その正面の低い山並へと日が沈んでいき、薄暗くなっていく頃。墓石に彫られた文字が、だんだん読みとりづらくなっていく。

     墓地を囲む疎林へと風が吹きつけ、枝や葉がさあさあと音を立てる。墓の背後、はるかかなたには、オホーツク海。

     Kが眠っているところは、そんなところだ。

     願わくは、御霊の鎮まらんことを。願わくは、安からんことを。

       了



     
     
    神主の書く、日記のようなエッセイのような。基本500字、週1回は長めに。 このページの記事はあくまで宮司一個人の著作物であり、神社を代表しての意見表明と一致しないことがあります。 昇殿参拝、執筆、講演の依頼等はDMへどうぞ。

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