
日々是好日
田舎に梅の木がある。訪問がちょうど収穫時期と重なり、たわわに実った梅の実が少し目を離すとポトポト下に落ちているので嬉々として拾っていた。朝起きればすぐに梅の木を見に行き、朝食後、外出後、夕飯前、毎度梅の木に呼ばれたかのように様子を見に行っていた。楽しくて楽しくて田舎にいる時は自分が45歳ということを忘れていた。てへ。
年齢は関係ないと思うか。子供の頃、星がキレイで真っ暗な中じっと遠い空を何時間も見つめていたり小さい青蛙を掌にのっけてみたり鳥がつつくよりも先に野菜を収穫したり、素直に自然の恩恵を楽しめていた感覚と似ていて今更そんな感情を味わえる自分を予想外に感じた。これが人生の折り返し地点というものなのか。
四十も後半になれば足るを知るというか社会の仕組みと善悪、人数=価値観という生きることへの慣れと諦めが交錯する現実人間になっていく。自然との向き合い方も当たり前の事として見過ぎていたように思う。もしくは災害という恐怖の対象としてもみていた。
昔ラジオで誰かが話していた「神様とは」の話に共感しすぎて今でも思い出す。その人は「そもそも人間を神様に模して崇めていること自体が地球上の中で人間を最上位と考えている。おごりだ。」と話していた。本当にその通りだと思う。地球上に生息するあらゆるものに生かされて共存しているだけなのに。なぜ人間型の神様が多めなのだろう。そう考えると日本の神道って精神性が高い教えなのかなと考えたりもする。
ただね、こういう「神様」絡みのエピソードを話すとなんか皆シン…としちゃうの。だからここだけの話。
太陽が毎日昇ってくれてありがとう。当たり前じゃないよね。いつも通り生きてるって。