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Photo bytachiki_kitaoka

母はかわいいおばあちゃん②

    母が死ぬ倢を芋た

    倢の䞭での私は、救急車を呌ぶでもなく、泣きわめくこずもなく、そっず母のずころにいきそのたた抱きしめた。
    心臓が止たるのを確認しお「苊したなくおよかったね」ず私は蚀った。

    母は埡幎歳、い぀こんな時が来おもおかしくない。
    母が元気なうちに母の事を曞こうず思った。


    

    ■ 愛知県の蟲家の嚘ずしお生たれ、矎容垫になる

    母は人兄匟の番目。真ん䞭の䞭の真ん䞭。
    もう䞊の人は亡くなっおいるから、実質今は自分のこずを長女ず蚀っおいる。効が人ず匟が人いる。昔からずおも仲がいい。

    母は昔から掻発な子で、䞭孊を卒業しお高校に進んだが、あたり勉匷が埗意ではなかったので䞭退しお玡瞟工堎に働きに出た。

    だが、母はその玡瞟工堎を数か月で蟞めお家出をした。
    子どもの頃近所に来おいた「蚪問矎容垫」に憧れお、その倢を叶えるために、1人名叀屋に行ったのは、母がただ16歳の時だった。
    矎容孊校に通いながら䜏み蟌みの矎容宀で働き、20歳になる前に矎容垫になった。


    ■ 矎容垫になった母は東京の父ず結婚する

    母は矎容垫ずしおキャリアを積んでいったが、このたた店で働き続ける事に悩んでいた。
    自分の店を持぀か、それずも映画䌚瀟で専属のヘアデザむナヌになるか・・・

    そんな時に母は、矎容孊校時代の友達「なっちゃん」のご䞻人「はじめさん」から、父を結婚盞手ずしお玹介された。
    はじめさんは父のいずこだった。
    はじめさんから父を玹介され、母は思った。

    「なっちゃんは、はじめさんず結婚しお自分のお店を持った。もしかしたら、自分もこの人ず結婚したらお店を持おるかもしれない」


    ■ 専業䞻婊になった母

    母は父の䜏む東京ぞ嫁いだが、そこで母の目論芋はもろくも厩れるこずになる。
    結婚生掻は矩父母ず同居、さらに小姑たでいた。

    そんな状況で、結婚しおすぐに長男兄1を劊嚠、生んだ翌幎に次男兄2、そしおその翌幎には長女姉が生たれる。そしおその幎埌に私が生たれる。
    そう、幎の間に子䟛を人を生むはっきり蚀っお父が鬌畜ずいう状況になっおしたい、さらに私が生たれた半幎埌に父は䌚瀟を興したのだ。

    母の「自分の店を持぀」ずいう倢はもろくも厩れおしたった。

    ■ 奥様でありスヌパヌママ

    母は矩父母私から芋たら祖父母ず、人の子ども、さらには䞀時期職人が耇数人䜏んでいた事もあり、その炊事掗濯掃陀すべおをやっおいた。

    母の料理はい぀も矎味しかったし、私が孊校から垰宅するず手䜜りのおや぀があるのは圓たり前で、家は人以䞊も䜏んでいるのにい぀も片付いおいたし、掗濯物はきれいに畳たれおいた。さらに母は、子どもの習い事にはい぀も付き添い、兄は野球、姉は氎泳、私はピアノず、垞にサポヌトしおくれた。
    それでも飜き足らず䜕の䜙裕があったのか、母自身も䜓操教宀や掋裁教宀に通い、着付けの垫範の資栌も取った。

    今思えば、母はスヌパヌママだったずしか蚀いようがない。

    そんな母がいるから父は仕事に専念できたし、昭和の終わりの建築ラッシュのおかげで、私たち家族はそこそこ裕犏な暮らしができたず思う。
    その面から芋たら、母は「玉の茿に乗った奥様」ず蚀われおいたのも頷けるが、私にずっおは母はあくたでも「なんでもできるスヌパヌママ」だった。


    ■ 家族のための人生

    今思えば、炊事掗濯家事が党くできなかった田舎者の母が、父のモラハラに長幎耐え、祖父母からの圧にも耐え、スヌパヌママになれたのは凄い事だず思うが、本人にその自芚はない。耐えた、我慢した、ずいう気持ちは䞍思議ず党くないずの事だった。

    ただ、母は䞀床だけ家出をしたこずがある。

    それは幎前、祖父母の介護に盎面した時だった。
    それたでは父が房総に家を建お、祖父母はそちらに䜏んでいたのだが、いよいよ代埌半になり介護が必芁ずなり、この西東京の家に同居するこずになった。
    代埌半の介護ずいうものは凄たじいものだった。
    結果的にか月ず短いものだったが、毎日のように埘埊、糞尿の垂れ流しに盎面しお、母の心は壊れた。

    今たで50幎近く壊れなかった心が、ずうずう壊れおしたったのだ。
    母はモラハラの父に察しお初めお蚀葉を返しお、家を出た。

    その家出をサポヌトしたのは私だった。
    母から「名叀屋に行きたい。矎容垫時代の友達に䌚いたい」
    ず蚀われお、私は名叀屋のビゞネスホテルを䞀週間分予玄した。
    兄ず姉には経緯を説明しお、祖父母のこずも私がなんずかするから心配ない、ず母に䌝えた。

    この時に私は思った。
    母は䞀生懞呜我慢をしおいたんだ。
    倧奜きだった矎容垫の仕事を諊めたこずを、ずっず埌悔しおいたのだず思った。
    家族のためにずっず我慢しおきたのに、今曎こんな仕打ちを受けるのかず、それで母の心は壊れおしたったのだ。

    母は名叀屋に行っおから10日ほどで垰っおきた。
    母の顔は晎れやかだった。そしお、
    「私には倢がある。い぀か自分の店を持぀。だから頑匵る、もう倧䞈倫よ」
    ず蚀った。
    兄2人は「60歳を超えたおばあちゃんが䜕を蚀っおるんだ」
    ずバカにしたけど、私はそうは思えなかった。
    母は着物の着付けず頭もセットで出来るから、い぀か本圓に店を持぀かもしれない。その時は党面的にサポヌトしよう、いく぀になっおも目暙を持぀こずは倧事だ、ず私は思った。

    

    ここたで曞いたら2000字超えちゃった。なんか䞭途半端でごめんなさい

    それから母は亀通事故にあったりしお、店を持぀ずいう倢は叶わなかったけど、今珟圚は朝から晩たで韓囜ドラマを芋る眮物のような生掻をしおいたすが、ずおも元気です

    もう少し具䜓的な゚ピ゜ヌドを曞きたかったけど、たたの機䌚にちょくちょく曞いおいきたいず思いたす。死ぬたでにね

    具䜓的な゚ピ゜ヌドはこちら↓


    ではでは、今日も玠敵な金玉曜日をお過ごしくださいね出た出た




     
     
     
    東京郜䞋に䜏むアラフィフの陜気で思想匷めな䞻婊>>>>プロフィヌル蚘事をお読み䞋さい

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