
非日常の正体
非日常と聞くと、多くの人は何を思い浮かべるのだろう。
旅行だろうか。
絶景だろうか。
あるいは、普段は体験できない特別な出来事だろうか。
私も以前はそう思っていた。
けれど最近、その考えが少し変わった。
きっかけは、淡路島にある安乎岩戸信龍神社を訪れたことだった。
私はもともと日本の文化や歴史が好きで、神社やお寺を訪れることは決して珍しいことではない。
だからその日も、特別な期待を抱いていたわけではなかった。
いつもと同じように参拝し、その土地の空気に触れ、日本人が長い年月をかけて受け継いできた文化を感じたいと思っていただけだった。
岩肌に沿うように建てられた鳥居。
木々に囲まれた静かな空間。
できることなら、人のいない時間にもう一度訪れたい。
そんな思いが心に残った。
人がいることが嫌なのではない。
ただ、あの場所では静けさの中に身を置いていたかった。
誰かの視線や存在を意識することなく、ただその場にいたかった。
葉が揺れる音を聞きながら。
岩肌に触れる風を感じながら。
何も考えずに過ごしたかった。
私はGVHDの影響で味覚と嗅覚をほとんど失っている。
だからなのか、目に映るものや耳に届く音に意識が向く。
あの日も静けさそのものが印象に残った。
参拝を終え、振り返った。
岩の間から外へ抜ける景色が、まるで淡路島の形のように見えた。
後から知ったことだが、そのように言われている場所なのだそうだ。
不思議なものだと思った。
その時は意味が分からなくても、後になって振り返ると意味を持つ出来事がある。
あの日の私は、まだその意味を知らなかった。
翌朝、私は一度に複数の夢を見た。
セールスマンから営業を受け、きっぱりと断る夢。
別の場面では、その相手と楽しそうに話している夢。
架空の親しい関係の異性と夫が言い争い私自身も、その相手に違和感を抱いている夢。
蜂を殺す夢。
停車中の車に乗っているところへタクシーがぶつかってくるが私は無傷だった夢
目覚めた時、やたらと汗をかいていた。
決して気持ちの良い目覚めではなかった。
胸の奥には何とも言えないざわつきが残っていた。
けれど不思議なことに、
「切り替えて前へ進もう」
という気持ちが強くなっていた。
なぜだろう。
そう考えているうちに、私は自分自身のことを思い出していた。
病気になり、一度目の骨髄移植を受けた。
しかし、その移植は生着不全となった。
その後、臍帯血移植を受けることになる。
生着不全の可能性を告げられたのは無菌室だった。
朝のシャワーを終え、保湿クリームを全身に塗り終えた頃だった。
主治医は少しだけ表情を曇らせながら言った。
「生着不全の可能性が現実味を帯びてきました」
私はすぐに
「分かりました」
「次の移植はいつですか」
「移植方法はどうなりますか」
「前処置はいつからですか」
主治医は一瞬はっとし
そして、ほっとしたように表情を緩めた。
私はその時、自分がどんな顔をしていたのか覚えていない。
ただ、何としても成功して帰る。
入院が決まった日からそれしか考えてこなかった。
なので、退院が延びること。
家族が心配すること。
生活への負担が長引くこと。
その方が苦しかった。
病気になってから、多くのものを失った。
築いてきた人間関係。
積み上げてきた仕事。
思い描いていた未来。
それでも私は前へ進んだ。
また一から始めればいい。
そう思いながら何度も歩いてきた。
だから、もう整理できているのだと思っていた。
過去の出来事は受け入れているのだと思っていた。
けれど、あの夢を見た朝。
私は少しだけ立ち止まった。
あの頃感じることができなかったものは、どこへ行ったのだろう。
悲しみ。
悔しさ。
不安。
言葉にならなかった感情。
それらは消えたのではなく、静かに残っていたのかもしれない。
生きるためには前を向かなければならない時がある。
立ち止まれば崩れてしまう時もある。
私にとって移植の日々は、まさにそうだった。
悲しむことより先に治療があった。
怖がることより先に決断があった。
立ち止まる余裕などなかった。
進まなければならなかった。
そうしなければ生き残れなかったからだ。
けれど今は違う。
神社を訪れることができる。
未来について考えることができる。
社会のために何ができるかを考えることができる。
もしかすると私はようやく、自分自身と向き合う場所まで歩いてきたのかもしれない。
神社で願ったことは覚えていない。
夢の意味も分からない。
それでも、汗をかいて目覚めたあの朝の感覚だけは今も残っている。
あの日、私はようやく立ち止まっていた。