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50代。母に感謝している。でも、一緒にいると苦しい。

50代になっても、母の前では、私はまだ娘に戻ってしまう。

実の母と、私の娘と、三人で旅行に行ってきました。

行き先は、静岡県の修善寺温泉。

きっかけは、母のひと言でした。

「修善寺温泉に行きたい」

75歳の母は、最近、自分の体力が少しずつ落ちてきていることを感じているようでした。

今ならまだ行ける。
でも、何年も先まで同じように行けるかはわからない。

そんな思いもあったのだと思います。

「行きたい」ではなく「行かなくちゃ」だった

その話を聞いたとき、私の中に最初に浮かんだ気持ちは、

「行きたい」

ではありませんでした。

正直に言うと、

「行かなくちゃいけないのかな」

でした。

母が悪い人だから、ではありません。

母には感謝しています。

母は、夫を亡くしてから、女手ひとつで私たち兄弟三人を育ててくれました。

そのことは、簡単なことではなかったと思います。

大変だったと思います。

感謝もしています。

でも、感謝していることと、
一緒にいて楽かどうかは、別の話です。

私にとって母は、できれば長い時間一緒にいたくない相手でもあります。

こう書くと、冷たい娘に見えるかもしれません。

でも、これが私の正直な気持ちです。

旅行代金は、母が出してくれると言いました。

それでも、私は行きたいと思えませんでした。

お金の問題ではないのです。

心の距離の問題なのです。

感謝している。でも、一緒にいると苦しい

母は昔から、とても自己主張の強い人です。

自分の「正しい」を、なかなか曲げません。

そして、母には信仰がありました。

私はその影響を受けて、長い間、しんどい思いをしてきました。

母の言うことは正しい。
母の言うことには従わなければならない。
母を否定してはいけない。

そんな空気の中で育った私は、ずっと自分の気持ちよりも、母の気持ちを優先してきたように思います。

母が望むこと。
母が正しいと思うこと。
母が納得すること。

それが、いつの間にか私の中の基準になっていました。

でも、ここ二、三年で、少しずつ気づき始めました。

自分の人生は、自分で決めていい。

「こうでなきゃ」じゃなくていい。

母の考えと、私の考えが違ってもいい。

そう思えるようになってから、私は母との距離を少しずつ取るようになりました。

必要以上に近づかない。

全部をわかってもらおうとしない。

期待しすぎない。

それが、私にとって自分を守る方法でした。

でも、旅行となると話は別です。

同じ時間を過ごす。
同じ場所に泊まる。
母の言葉を近くで聞く。

母の何気ない一言に、私はきっと反応してしまう。

心が揺れる。

昔の自分に戻ってしまう。

そう考えただけで、気が重くなりました。

母と私だけでは、しんどいと思った

そこで私は、ひとつ考えました。

娘も一緒に行ってもらえないか。

私の娘と母は、とても相性がいいのです。

娘はよく母の家に泊まりに行っています。

母も、娘には私に対するのとは少し違う顔を見せます。

私と母だけの旅行なら、かなりしんどい。

でも、娘がいてくれるなら、空気が少しやわらぐかもしれない。

そう思って、娘に声をかけました。

娘は快く承諾してくれました。

母もOK。

こうして、母と私と娘の三世代旅行が決まりました。

出発の二週間前に宿を予約し、旅行の手配を始めました。

表向きには、順調に準備は進んでいきました。

でも、私の心の奥には、ずっとありました。

やっぱり、行きたくない。

親孝行と、自分の本音のあいだで

母の願いを叶えてあげたい気持ちはある。

75歳という年齢を思うと、今行っておいた方がいいのだろうとも思う。

もしかしたら、こういう旅行はあと何回もできないのかもしれない。

そう思う自分もいます。

でも同時に、

「親孝行なんだから喜んで行くべき」

とは、どうしても思えませんでした。

私は、母を大切にしたい。
でも、自分の心を置き去りにしてまで、いい娘を演じたいわけではない。

この二つの気持ちの間で、ずっと揺れていました。

親子って、難しいです。

感謝しているからこそ、離れたいこともある。

大切に思っているからこそ、しんどいこともある。

「嫌い」と一言で片づけられる関係ではない。

でも、「大好き」とも言えない。

そんな関係も、きっとあるのだと思います。

旅行中、私は昔の自分に戻りかけた

実際に旅行に行ってみると、楽しい時間もありました。

母が行きたいと言っていた場所へ行けたこと。

思いがけなく蛍を見れたこと

娘が一緒にいてくれたこと。

三世代で過ごす時間が持てたこと。

それはそれで、よかったと思います。

でも、その一方で、私は何度も自分の中が揺れるのを感じていました。

母は、悪気なく言葉をかけます。

「そうじゃないでしょ」
「もっとこうした方がいいんじゃない」
「普通はこうするものよ」

はっきり命令されているわけではありません。

でも、その言葉の奥にある、

「私の正しさに合わせてほしい」

という空気を、私は感じ取ってしまいます。

たぶん、母にとっては何気ない一言です。

でも、私の中では、その言葉がすぐに昔の記憶と結びつきます。

母の言う通りにしなければ。
母を不機嫌にさせてはいけない。
母が納得するように動かなければ。

そんな考えが、自動的に出てくるのです。

昔の私は、そこで何の疑問も持たずに母に合わせていました。

自分がどうしたいかより、母がどう思うか。

自分が疲れているかより、母が納得するか。

自分の気持ちは、いつも後回しでした。

でも、今回の旅行では少し違いました。

母の言葉に反応している自分に、気づくことができました。

「あ、私は今、また母に従わなきゃと思っている」

そう感じることができました。

これは、私にとって大きなことでした。

気づけたことが、いちばん大きかった

渦中にいるときは、自分が縛られていることにすら気づけません。

ただ苦しい。

ただ疲れる。

ただ母の言う通りにしなければと思う。

でも今回は、その自分を少し離れたところから見ることができました。

母の言葉に縛られる癖が、まだ私の中に残っている。

そう感じました。

人が変わるとき、最初に必要なのは、
「気づくこと」なのかもしれません。

気づかないままでは、変えようがありません。
私はそれに気づかないまま苦しんできました。

自分が何に苦しんでいるのか。
どんな言葉に反応しているのか。
どんな思い込みに動かされているのか。

それに気づいて初めて、少しずつ選び直せるのだと思います。


私はずっと、母の幸せに合わせようとしてきました。

母が正しいと思う道。
母が安心する選択。
母が納得する生き方。

その中に、自分の幸せを合わせようとしてきました。

でも、今は少し違います。

私の幸せは、母の幸せと同じではありません。

母が安心することが、私の安心とは限りません。

母が正しいと思うことが、私にとっての正解とは限りません。

私は、私の人生を生きていい。

今はまだ、はっきりと胸を張って言えるわけではありません。

でも、うっすらとわかってきました。

私は、母の人生を完成させるために生きているのではない。

私は、母の正しさを証明するために生きているのでもない。

私は、私の幸せのために生きていい。

母の人生ではなく、私の人生を生きる

旅行から帰って、私は体調を崩しました。

胃が痛くなって微熱。

これはやはり‥旅の疲れ、心の疲れ?

楽しかった時間もありました。
母の願いを叶えられてよかったと思う気持ちもあります。

でも、身体は正直でした。

私はまだ、母の言葉に反応する。
母の期待に応えようとする。
母の「正しい」に合わせようとする。

そんな自分が、まだ私の中にいることに気づきました。

でも、気づけたことは大きかったと思います。

母の言う通りにできない自分を責めて、
母をがっかりさせる自分を責めて、
自分の気持ちをどこかに置いてきました。

75歳の母と行った今回の旅行は、
親孝行の旅行だったのかもしれません。

でも私にとっては、
母の人生から、私の人生を少しずつ切り離していく旅でもありました。

これからも、母との距離に迷うことはあると思います。

それでも私は、
母の正しさではなく、
私の幸せを基準にして生きていきたい。

そう思っています。

親孝行って、
どこまでが親のためで、
どこからが自分をすり減らすことなんでしょうね。


この旅行のあとで気づいたこと

母との旅行では、何気ないひと言を聞いただけで、私は昔の自分に戻りかけました。

母に分かってもらわなければ。
私が間違っていないと、説明しなければ。

50代になった今も、私は母の前で「説明して許してもらう娘」に戻ってしまうことがあります。

メンバーシップでは、旅行中に母から言われたひと言と、私がなぜ必死に弁明してしまったのかを、もう少し深く書いています。

▶︎ 50代。母のひと言で、私はまた“弁明する娘”に戻っていた


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