ほどきながら、ちぎりながら、書いています― ハッピーライティングマラソン #55
私は、まだnoteを書き始めて半年ほどしか経っていません。
これまでの私は、しばらく、文章を書くことからも、読むことからさえも遠ざかっていたくらいでした。
だから正直に言うと、「書くことが自分にとって何か」をきれいに言い切れる段階ではありません。
それでも、私なりに、半年間書き続けてきて分かったことがあります。
書くことは、立ち止まることを許す時間
私にとって書く時間は、前に進むための時間というより、立ち止まることを許す時間でした。
うまく言葉にできない感情や、まだ形になっていない考えを、無理に整えず、無理に正解にせず、そのままありのまま置いておける場所。
書くことで何かを「まとめている」というより、自分の中で絡まっていたものを、少しずつほどいている感覚があります。
うまく書くことで何かを生み出そうとするというより、日常の流れから少し逸れて、いったん立ち止まる。
自分の内側にあるものに触れるための、内省のための、少し贅沢な余白。
その感覚を味わうために、私は書いています。
ちぎって、そのまま置いてみる。アンパンマンみたいに
―頭の中に浮かんだ考えを、ぱかっと外に出す―
私の書き方は、たぶん少し遠回りです。
頭の中にあるものを、ぱかっと取り出す。
取り出したそれを、映像のように眺めてみて、
そして、そこにセリフのように言葉を載せてみる。
意味づけをする前に、中身を整理する前に。
とりあえず、まずは外に出す。
すると、その映像が動き出す。
─── そんな感覚。
そんな書き方が私には合っていて、そして最近ふと、「おぉ、これはなんだかアンパンマンみたいだな!」と思いはじめました。
お腹が空いている人が目の前にいる。
だから、自分の頭をぱかっと差し出す。
理由を考える前に、判断と行為が同時に起きる。
ここで言う「差し出す」は、誰かのためになにか立派なものを渡す、という意味ではなく、ただ単に、まず自分の中から外に出す、ということ。
考えをまとめてから書くのではなく、いま頭の中にあるものを、ぱかっとちぎって、いったんそのまま白紙(note)の上に置く。
整えてから形にするのではなく、今ちぎれるところを、そのまま置いてみる。
そうやって書いているうちに、絡まっていたものが、少しずつほどけていく。そして自然と自分の中で整理されていく。
今の私にとって、考えてから書くのではなく、
書いてから、考えが始まる。
書いている最中に、出したあとから、
「あぁ、なるほど、そういうことだったのか」と腑に落ちることも少なくありません。
書けなかった頃の私
かつてサロンを始めた頃に、アメブロを書いていた時期もありました。
自分の文章は嫌いではないのに、書き始めると考えや感情があふれすぎて渋滞し、結局、書けなくなって下書きのままフェードアウトする。そんなことを何度も繰り返してきました。
出す前に完璧に整えようとし過ぎて、結果として何も出せなくなっていたのだと、今なら思います。
今は、亀の歩みでも
まだ亀の歩みですが、それでも、私は今日もこうしてnoteで文章を書いています。
見栄えのいい知識や完成した答えよりも、その瞬間に自分の中にある考えや感情、違和感、なんでもなるべく誠実に、加工せずに出しています。
文章にムラもあるし、きれいじゃない部分も多い。
けれど昔の私のように、出す前に整えようとして何も出せなくなっていたころよりも、不思議と今は、書くことを楽しめています。
「自分も作家になれるかもしれない」
「少なくとも、射程圏内にはいるな」
そんな傲慢なまでの脳のドーパミンの仕業を、ワクワク素直に楽しんでいます(笑)。
ほどきながら、ちぎりながら
書く時間は、自分の中で絡まっていたものを、少しずつほどいていく時間です。
そのままの想いを、ちぎって、ちぎったものを、書くことでほどく。
分からないままでも、座っていていい。
答えを急がなくても、そのままでいい。
私にとっての「書くこと」
だから、今の私にとって「書くこと」は、
人生の遊歩道の途中に置いた、小さなベンチのような時間なのです。
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