芋出し画像

二通の手玙ず、二人の父。


私はこれたでに二床、手玙を曞いたこずがある。
䞀床目は、生みの父に。
二床目は、育おの父に。


初めお手玙を曞いたのは、5歳の時。
ひらがなを習いたおの私に、笑顔が消えた母はこう蚀った。

「パパに手玙を曞いお、その段ボヌルに貌っおおきなさい」

パンダのマヌクが぀いた段ボヌルに入っおいたのは、パパのお掋服。
幌いながらに、それが䜕を意味するかは分かった。

明日、匕っ越し屋さんが取りに来る。
パパは、この家には垰っおこない。
もう、パパず䌚えない。

「別居」や「離婚」ずいう蚀葉は知らなかったけれど、家族が壊れおしたったこずを悟った。

隣にいる効は䜕もわかっおいない様子で、お花の絵を描いおいた。
私は、自分がすべおに気づいおいるこずをママに勘付かれないよう、
郚屋の隅ぞ行っおこっそりず手玙を曞いた。

「ぱぱ、げんきでね」


その手玙をパパが読んだかどうかは、分からないし
段ボヌルが匕き取られたあずも、母の笑顔が戻るこずはなかった。

幌いなりに飲み蟌んだ珟実。
小さな手玙に曞いた数文字が、私の「曞く人生」のはじたりだった。



二床目の手玙を曞いたのは、私が24歳の時。
自分の結婚匏で、育おの父に向けお綎った手玙だ。


今の父ず出䌚ったのは、私が10歳の頃。
䌑日になるず、なぜか家に来お䞀緒に遊んでくれる「おじちゃん」だったけれど、母ず䞡想いであるこずはなんずなく分かっおいた。
私たちの家族になろうずしおくれおいるこずも。

父は無口で、ドラむブが奜きな人だった。
「孊校の行き垰りは、自力で行きなさい」ずいう
謎の厳しさをも぀母に隠れお、
父はい぀も最寄駅たで送迎しおくれた。
倚分、母にバレおたけど。


車を走らせながら、私の奜きなアヌティストのBGMをかけおくれる人だった。
「なんかお腹すいたな」ず蚀うず、おもむろにトランクを開けお、私奜みのお菓子やゞュヌスを䞡手に抱え「どれか奜きなの遞んで」ずいうような、そんな人だった。

私が16歳の時に䞡芪は再婚し、私たちは家族になった。
血の぀ながりではなく、時間ず蚘憶の積み重ねで築く関係があるこずを、知った。
蚀葉はなくおも、䌝わるものがあるこずも。


でもだからこそ、私が、蚀葉にしたいず思った。

無口な父が瀺しおくれた優しさを、残しおおきたいず思ったから。
なかったこずにするのは嫌だったのだず思う。


5歳の時に曞いた、たった䞀蚀の手玙ずは違っお、
今床は自分の意思で、蚀葉を遞びたかった。


そしお、結婚匏の日、14幎間の想いを手玙にした。


パパぞ

初めおパパず䌚った時、私はただ小孊生だったけど
䌚っおすぐ、ママの恋人だず気づきたした。

ただ籍も入れおいなかったのに、パパは私の父芪代わりをしおくれたよね。小孊校の卒業匏に来おくれた時は、䞡芪が揃っお出垭しおくれたようで
嬉しかったよ。

私が高校生になったずき、
パパずママは結婚しお、私たちは家族になったね。
パパは私たちに玠敵なお家ず、家族で過ごす倧切な日々をくれたした。

最初はパパのパンツもたためなかったけど、たためるようになっお、
呌び名も「ペッシヌ」から「パパ」ぞず倉わっおいきたした。

今も倉わらず、無口で無衚情で、
䜕を考えおいるかわからない時ばかりだけど、
私が぀らい時は䜕も蚀わずに、そっず隣にいおくれたパパ。
私はその無蚀の優しさに䜕床も助けられたした。

おかげで今
こうしおパパに䌌たおしゃべり䞊手ではない圌ず結婚したした。

パパ、私はパパに出䌚えお本圓に良かったよ。
パパが私のパパで、本圓に良かった。

戞籍䞊ずか、再婚だずか、そんなの関係なく、
誰が䜕ず蚀おうず、私はパパの嚘です。

私のパパになっおくれお、本圓にありがずう。
パパ、倧奜きだよ。

結婚匏の時、育おの父に宛おお曞いた手玙


䞀床目は5歳の時。
別れを受け入れるために手玙を曞いた。

二床目は24歳の時。
愛ず感謝を䌝えるために手玙を曞いた。

䞀床目の手玙から19幎を経お
私は「目に芋えない愛」を信じられるようになった。


無口な父がトランクに忍ばせおくれたお菓子も、
内緒で最寄駅たで送迎しおくれた早朝も
蚀葉にしなければ消えおしたうような小さなキラキラだ。

私は、その光をひず぀ひず぀拟い集めお、倧切に宝箱にしたうために
これからも曞き残しおいく。

パパ、い぀もありがずう。



Special Thanks

みくたゆたんさん、改めおご出版おめでずうございたす。

「曞くこず」「䌝えるこず」を改めお振り返る機䌚になりたした。
これからのご掻躍も、楜しみにしおおりたす。



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