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Photo bymysterion_note

【エッセイ】地続き

    ビジネスにおいて、とにかく自分が実感で、自己評価でいけるぞ、これは、となる。

    更には、他者評価でも納得のいく働きができるようになったとき、働くことよりも大事だと思うことが最近、つくづく、ある。

    それは休みが取れたと、しっかりと感じることである。これが、どれだけ大事であるか。

    若者でなくなった年次に突入してから、段々と、加速度的に、その重要度が増しているようにすら思う。

    休みがなければ、働いている時間は持続してしまう。もし休みがあっても、感覚が休みのようになっていなければ、同様だ。

    労働の地が安息の地にぬるりと侵入し、地続きにワーキングタイムとなってしまう。

    やはり、若さがなくなっていくにつれ、休みがなければ、メンタルが刻、一刻とすり減っていく実感が、ある。

    だだ、無常な世界だ。習慣だ。

    働けば働くほど、休みを休みと感じにくくなるものである。しっかりと意識を持って、リフレッシュをする必要がある。

    これが意外と難しい。

    少年時代には十全と生きているだけで完遂したはずの、あのきらめきの遊びのような感覚が、意外と大人になると、すぐにはできない。

    残酷だ。

    特に、シンプルな労働主体で働いている労働者であれば、休日の1日前、一般的には、日曜日の晩が特に苦しいものだ。

    ここで完全に休めないと、前の週からビジネス戦闘モードが地続きになってしまう。

    「サザエさん症候群」などと、世間では統一された周知の言語があるように、やはり皆が苦しんでいる。著者もかなり苦しんでいる。

    リラックスをしようと思っても、次の目標が頭に過り、絶対、やり込むと思い込み、仕事のことを完全に意識してしまう。

    もはや日曜からその目標とやらに近づけるようにと、物事をやり切ってしまおうとなると、まったく日曜日が休みがでなくなってしまう。

    短期的な仕事であれば、まったく構わないのだが、長期的なスタイルをそれにすると、かなりしんどい状態になる。

    最後の休日。

    午後2時からのリラックスを制したものこそが、ビジネスを制するようになると、著者が考えるようになった所以だ。

    実際に、著者は、この日曜日の憂鬱を乗り切るために、リラックスの意味を考え抜いた。

    じっくりしていても、頭の中では仕事のことが渦巻いている。かといって、めちゃくちゃ仕事をしていても、当然、仕事は仕事なので、疲れは取れない。溜まる。

    で、あれば、動きながら、疲れを取る。
    これが個人的にとてもよかった。
    筋トレ、ウォーキング、ダッシュ。特に休日の午後の時間は運動が最適解だと考えている。

    運動をしていると、脳が思考モードから疲れたモードに入り、強制瞑想ができる。スマホもハードな運動中であれば見れない。一石二鳥だ。

    こうして疲れをたっぷりと体の中で蓄積していくことで、夜にリラックスを実行する。
    お風呂にゆっくりと入り、体温を上げ、下げる。

    これで快適な眠りにつける。
    地続きに、ならない。

     
     
    小説やエッセイを書いています。 珈琲やウイスキーを愛飲しています。

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