
【短編小説】接続やめた女【推しへの愛が重すぎる】
『国民SNS』
テーブルの上で、タブレットが短く通知音を鳴らした。公式動画チャンネルにコメントが入ったのだろう。ライブ用の楽譜ファイルをまとめていた手を止めて、ヨウコはタブレットを一瞥した。
ああ😭エースくん🎸エースくんのベース……最高です‼️‼️‼️
ヨウコはスタジオの片隅を見た。そして、ベンチに根をはやしたように座り、ベースの弦を鳴らし続けている男に言った。
「ねぇ、エース君のベース最高です!!! ってよ?」
返事はない。ヨウコは頬をふくらませた。ベンチにどすんと座り、男の青いベースに身体を押し付けて叫んだ。
「なんとか言ってやればぁ!」
「さわらないで、俺の彼女に」
「キッモ!!!」
ヨウコは目をむいた。
「あのねぇ! みんなねぇ! 自分のファンには個別にちゃんとお返事書いてんだから。あんただけよ、そうやって延々とシカト続けてんの……」
「ヨウコが悪いんだろ」
「は?」
「変なもん見せるから」
「あ、ああ~」
ヨウコは気まずい顔をして、ポケットから最新型のスマートフォンを取り出した。
ヨウコのバンド『HEN』でベーシストを努める滝川英数通称エースは、重すぎる前髪で隠された顔はともかく腕利きのミュージシャンだった。クール気取りで愛想はかけらもないがベーシストとはそういうものか——いや、そんなのは熱狂的ファンに一切リアクションしないことの言い訳にはならない。
——ただ。
ヨウコはスマホのロックを解除して『国民SNS』の画面を見た。未読のタイムラインをさかのぼると、やがて一人の女のアイコンに行き当たる。
西暦20〇8年。人類が増えすぎたSNSにドーパミンを過剰供給され脳を焼かれて半世紀……。
各国首脳は国際協議を繰り返した結果ようやく重い腰を上げ、官製SNSの開発に着手した。そうして誕生したのが『国民SNS』だった。
マスコミも当初は懐疑的であり、国民監視だ、表現の自由が奪われる等と騒いだが、開発に際しては政府も民間企業と合議し慎重に進めたため、実装後は声高な批判も減り、人々は『国民SNS』を愛用するようになっていった。
アイコンは自由選択、運転免許証のような証明写真を強制されることもない。ニックネームもおおむね自由に利用することができたが、対人トラブル等でアカウントが凍結されると半年間は再発行が不可となる。そのためネット中毒の若年層は特に言動や行動に気をつけるようになった。人は『国民SNS』で出会い、子を産み、そして死んでいった(cv.永井一郎)。
——てかむしろ中高年層のほうがヤバいのよ。
ヨウコは女のアイコンを凝視した。かわいいアニメヒロインが両手でピースしている。続いてプロフィール欄を見た。
——いつ見てもビビるわ。
ホーム画面の写真で私室らしき壁一面に貼られているのはエースの、いやヨウコのバンド『HEN』のポスターのエースの部分だけを切り取ったものだった。しかし切り取ったものだけで壁面を覆っているわけなので、ふつうにポスターだけで覆う場合よりも枚数はたくさん必要だろう。
——こわ。
ヨウコは一人ごちてエースを見た。そして、
「ごめんて」
と言った。
「知っちゃうとね。知っちゃうとこわかったよね。ごめんて」
「いや」
エースはベースの弦からようやく指を離し、ヨウコを見た。
「もうそういう段階じゃないからいい」
「どういう段階」
「もう俺……『HEN』抜けようと思う」
「ハアアア?????」
ヨウコの叫び声が控室に響き渡った。
「ちょ待ってぇ。冷静になろ」
「俺は冷静だよ」
「じゃあなんで。なんで抜けるとか言うん。全国ツアーどうすんの!」
「他のベース探して」
「無理無理無理無理」
立ち上がってどこかへ行こうとするエースの服をヨウコが掴むと、
「トイレ行かせて、漏れる」とエースは言い、去っていった。
デルフィ
女のアカウントネームはデルフィという。それは彼女にとってはアイロニカルなネーミングだ。SF作家ジェイムズ・ティプトリー・Jrが70年代に発表した短編小説『接続された女』、その主人公の醜い女がまとう人工の美女の名前、それがデルフィだった。
デルフィはドレッサーの椅子に腰かけ、念入りに髪にブラシをかけた。それは『国民SNS』で美人インフルエンサーが激賞していたブラシだ。壁に目をやれば、そこには長い前髪で瞳を隠したベーシストがいる。デルフィはドレッサーの鏡に向き直り、嫣然と微笑んだ。しかしすぐ表情を曇らせた。
——コメントの返信、つかないな。
ブラシをドレッサーに置いた。膝の上で揃えた両手の上に涙がぽつんと落ちる。しかしデルフィは頭を左右に振った。
——私はこんなに醜いのだから当たり前。だからあんなにSNSにポストしてるのに〝いいね〟もしてもらえないし、公式アカウントにフォローもしてもらえないし……。
ほんの数日前。職場で若い女性が〝推し〟のアカウントにフォローバックされたことを自慢していたのを思い出す。
デルフィは手の甲で涙をぬぐった。そしてベッドサイドに置いたイヤホンを取ると、音楽を聴き始めた。
数ある『HEN』の曲の中でも、どれよりベースがセクシーな一曲。
音量を上げるとますます、その低音が現れるたび胸が震えた。
ベースは……時々いなくなる。リードギターもデジタルパートもいい。ボーカルのヨウコちゃんの声もエモい。ああ、ベースは。エース君はどこ?
デルフィは目を固くとじて音を追う。終わった。一曲リピートなのでまたすぐ始まる。ああ、いたいた。ずっといて……。そしてここから。ここから……ああ、また消えちゃった。どうしてベースってこうだろう。でも。
途中、ボーカルの声にはっきりとベースだけが寄り添うパートがある。
デルフィはその短いフレーズが他のどこよりも好きだった。
「好きなバンド女性ボーカルなの? 妬けない? 私は無理」
学生時代の友人に言われたことがある。
——どうして? 考えたこともない、そんなこと。
ヨウコちゃんだからいいのよ。かわいいのに、表現力もある。ナイーヴなときも、強いときもある。それに歌詞がいいわ! どうしたら思いつくんだろ、こんな言葉を。
いつの間にか瞳から涙があふれ、こぼれおちた。
心を届けたいなんて思わない。ただ言いたい。言わないと。
胸がはりさけて私は死んでしまう……。
エース
ちょっと売れ始めたからってシャレた部屋に引っ越すなんてイヤだ、とエースは思っていた。
父親に頭を下げて印鑑を押してもらってまで借りたアパートだ。ここで書いた曲のことを死ぬまで忘れないため、いられる間はずっとここに住んでやるのだと思い続けてきた。しかし。
「エース君て、ちょっと熱いファンいるって? だいじょぶそ?」
夜のミーティングでマネージャーが言った。
「やっぱオートロックとか。監視カメラあるとこ借りたがいいよぉ」
「そっすね」
「お金なんに使うの。ベース? 手は二本しかないんだからさぁ」
マネージャーは古典的なことを言った。
「別にファンとか。俺なんか別に」
「そう? 気になんない? そんならいいけど。ツアーも控えてるし……人気爆発したら悠長なこと言ってらんないし、手続きとかあるからね、出るなら早めに相談してよ」
薄いカーテンからパチンコ屋のネオンサインがチラチラ透けた。
エースは、このいかにもバンドマンという環境が気に入っていた。それにあの人は、そういうことをするような人じゃない。
そういうことをする人ではないと思うけど……。
ベッドに身体を投げ、エースはスマートフォンを手にして『国民SNS』を開いた。ヨウコが言っていたアカウントをサーチするとすぐ見つかった。
自分を好いてくれる人がいる、ということに永遠に慣れなかった。
——それに、俺はただ。
エースは、壁に貼った憧れのベーシストのポスターを眺めた。
俺はただベースの音が好きなんだ。俺自身なんて透明になっちゃえばいい。でもあの人は……たとえ俺が透明になったって。
だってあの人は、俺の音そのものが好きなんだ。俺の音。
エースは目を閉じ、デルフィがSNSに投稿したポストを思い返した。
音を聴くだけで幸せで。生きていく力が湧いて来る。
へんな意味じゃなくて、でも、そばにいてくれる気持ちがしてしまう。
スタジオからの帰り道、エースはヨウコと少し言い争いのようになった。
「だからさ、顔とか年とか関係ないんだよ、出会い系じゃないんだから」
「誰もそんなこと言ってないじゃん! じゃあ何が嫌なのよ」
「だって……俺はただベース弾いてるだけ……」
「だけだから何?」
「お、俺にとってベースていうのは、俺の好きな……ベースと俺の」
「ベースと俺の何!?」
「いちいち大声出すなよもう!」
「ああああああもううう、めんどくさい!」
ヨウコはスマホを取り出し、イライラしながらタップして画面を突き出した。
「あたしだってねぇえ! キモいことポストするファンの一人や二人いんだから! しょがないでしょ?! バンドだって人気商売なんだから」
「ファンにキモいとか言うなよお前」
「キモいポストつってんの! ファンがキモいとは言ってない!」
「そんな詭弁」
「あんたが言ってることのほうが万倍キモいでしょよ!? 何よベースと俺のって。そんなこと言うならベースと結婚すれば? 役所で書類出してこい」
「な、なんの」
「婚姻届」
「できるか!」
「お前らさ」
遅れてスタジオを出てきたドラマーが口をはさみ、
「うるさいよ」
とだけ言い残して帰っていった。
エースは深くため息をついた。
まあそうだ。俺のほうがキモい。
——正直に言おう。
こんなに人に聴かれちゃうなんて思ってなかったんだ。
田舎で初めてベース慣らして。
俺は恋しちゃったんだ、ベースの音に。
どうせやるならと思ってバンド組んで。メンバー変わって、田舎出て、またメンバー変わって。解散ってなったとき、ヨウコに誘われて。そんで。
こんなに人気出るなんて思わなかったんだ。あなたの音を愛してしまった、なんて。そんなこと言われるなんて、思ってなかったんだ。
そうさ。
キモい。だってあれは俺だけの音だと思ってた。
いや、当然だ。ひとたび世界に放たれたら止まらない。俺の音、俺のベースの音は数えきれないところで鳴り、顔も知らない人の耳で鳴る。
寄り添ってしまう。
——バンド抜けたって無駄だ。音源は残るんだから。
俺一人の意向で撮り直せとか言えないし。
消えちゃうのだって正直寂しい。
だからわがままなんだこんなの全部。
俺の覚悟が足りなかった。
ひとたび世界に放たれたら……。
エースは手を伸ばし、青いベースに触れた。
涙がこぼれた。
——ごめんな。
何に対する謝罪かわからない。ただ言いたかった。
エースはスマホをもう一度手に取った。
そして自分の『国民SNS』のアカウントから、ひとことポストをした。
消えた女
翌朝、エースがスタジオに出ると、テーブルに両手をついていたヨウコが顔を上げた。そして、
「デルフィが」
と言いかけて言葉を飲んだ。
「なに?」
「アカ消し……」
エースはヨウコを見た。
「いつ」
「今見たら消えてた全部。あ、あたし何もしてないからね?」
「そんなこと疑ってもないよ」
「じゃあなんで、あんたまさか」
そう言われた瞬間、氷が滑り落ちたような冷気を背中に感じた。
「俺……」
エースはスマホを取り出した。昨夜、自分が投稿したポストを確認しようとしたが、手が震えて開くことができない。勢いよくヨウコが横にやってきた。そしてエースの指ごとスマホを持ち上げ、代わりにポストを開いた。
『自分の音を守れない人間に音楽をやる資格があるんだろうか』
「何、これ」
刺すような声でヨウコが言った。
「これ何、どういうことよ」
「待って、ちょっと待って、そんな」
自分のうろたえた声を自分で聞きながら、それを不思議に思っていた。ヨウコの指が、ポストに〝いいね〟をしたユーザーの一覧を横から開いた。が、そこにデルフィはいなかった。
——それはそうだ。アカウントを消してしまったなら。
「あんたが言ってたのそういうことか! 大好きな彼女(ベース)の〝声〟を守りたかったってか!」
「おはよぉ~ス」
ヨウコの声とドラマーの寝ぼけ声がハモった。
「え、あんたたちまたモメてんの? おやめなさいよ」
「もうキレた、あたし帰る」
「えっ? はあ?」
ヨウコは上着とカバンをひっつかみ、慌てるドラマーの横をすり抜けて出ていってしまった。
「何あったの、もう……」
「ごめん」
壁ぎわのベンチに落ちるように座ってエースは言った。
「ぜんぶ俺が悪い」
「そんなことある?」
ドラマーは肩を落としてため息をつき、
「とりあえずなんか飲むか。コーヒーでいい?」と言った。
ヨウコ
公園のブランコを漕ぐでもなく座って、ヨウコはぼんやりと昼下がりの空を見上げていた。
——バカみたい。あたしキレすぎだ。
てかあたしもバカだ。察し悪すぎ……。
ヨウコは昨夜、遅くまでベッドにうつぶせになって作詞ノートにペンを走らせていた。とても集中していて、SNSの通知にもずっと気付かなかった。少し腰が痛くなったので、体勢を変えるついでにスマホを手に取って『国民SNS』を開き、ヨウコは声を上げた。
「あ……」
ヨウコの、
『今日もいっぱい歌った! おもしろかったよ』
というスタンドマイクの画像ポストに、リプがついていた。
『おつかれさまでした🕊️全国ツアー楽しみにしています。お身体にお気を付けて。いつまでも応援しています🎸』
デルフィ——あの時間は、まだアカウント生きてたんだ。
返事は朝しようって思って。なんですぐしなかったんだよ。すぐリプしてたらアカ消さなかったかもしれないのに。てか。
『いつまでも応援しています🎸』
ヨウコは顔をくしゃくしゃにした。
——ギターの絵文字。エースのことじゃんか。エースに言えなくて、あたしに言ったんじゃん。なんでアカ消す? なんで。
消しちゃったら半年は作れんくなるのに。なんで。
ブランコの鎖を握りしめてヨウコは肩をふるわせた。
遠い昔。自分にも覚えがあった。
まだ中学生。インディーズバンドのアカウントをフォローした。リプをつける勇気はないから、ファンや関係者との交流をただ眺めていた。
きっかけは、なんだったか。もうあまり覚えていない。
ほんとうに覚えていなかった。
ただ自分が衝動的にアカウントを消したことだけ覚えていた。
——覚えてないけどたぶん、メンバーのなんてことないポストが勝手に刺さって苦しくなって、勝手に逃げたってことだ。たぶん……。
ヨウコは、年末に実家に帰ったとき、『国民SNS』で、俳優に迷惑ポストをしたファンが凍結された、という話が出たのを思い出した。
ヨウコの母は、つくづく呆れたように言ったのだった。
「ほんと、最近の芸能人は大変だね。あたしらの頃は、テレビの前でトシちゃーん! て叫んでりゃよかったんだもん! まぁそのかわり、どんだけ叫んだって肝心のトシちゃんには聞こえやせんのだけどねぇ!」
ヨウコは服の袖でごしごしと涙をぬぐい、思った。
——たしかにね。そりゃそうだ。
いらんこと言われるのの何万倍、応援もらえるもん!
てか誰よ、トシちゃんて……。
全国ツアー
かくして『HEN』は一人も欠けることなく全国ツアーを成功させた。
ただ一人、熱狂的ファンだったデルフィの影を除いて。
全国ツアー最後のライブ会場は、屋外に面した窓にマジックミラーが入っていて、会場を出て駅に向かう観客を見送ることができた。
ヨウコとエースとドラマーとギターとキーボードの五人で、電車の窓で外を見る小さい子どものように、窓際のソファに並んで見ていると、ヨウコが言った。
「見て、すごいきれいな人。みんなスマホ触ってんのにあの人だけさ」
きれいな人という言葉にドラマーとギターはことさら身を乗り出した。
やや遅れてキーボードとエースも目をこらした。
高価そうなコートに黒いブーツを合わせた品のいい装いをしていた。
たしかに、周りの客はみなスマホを手に信号を待ったり、会場を振り返って写真を撮ったりしているのに、その人はただ黙ってこちらを見上げている。
「あたしも何かっていうとついスマホ触っちゃうけど、やっぱ持ってないほうが目立つよねぇ。きりっとして」
ヨウコが言うとメンバーたちもうなずき合った。エースを除いて。
「どしたん」
ドラマーが尋ねた。エースは黙って女の人をじっと見ていた。が、
「いや、なんでもない」
と言った。
(了)