
【令和ファーストガンダム考】#1「ララアはなぜ守るべきものがないのに戦うことは不自然だと言ったのか」
はじめに
昭和42年に生まれた俺は生物学的には女だがファーストガンダム世代のオタクであり(そんなやつはいないと言われても実際ここにいるんだから仕方ないよ)、そろそろ年も年なので、いつお迎えが来てもいいように、俺にとってファーストガンダムとはなんだったか、そして令和の今、アラ還になってようやくわかったいくつかのことなどを言い残しておきたいと思った次第だ。
その記念すべき第一回は「あの時のララアのセリフについて」です。
あの日ララアはアムロに言った
「あなたには守るべきものがない」「なのにどうしてそんなに強いの」的なことを。
アムロはそれに対し「守るべきものがないのに戦っちゃいけないのか」と聞く。ララアは言う。
「それは不自然なのよ」と。
ララアには「シャアのために戦う」という理由があった。愛。恩義。そういったもののため。そしてニュータイプとして覚醒したララアにはアムロの心にそうした明確な理由がないことがわかってしまう。だから問う。アムロは強い。このままではシャアは死ぬ。だから倒さなくてはならないが倒したくないから、アムロにシャアと戦う理由を問うて戦いを辞めさせたかったんだよな。
ずっと長い間
俺はこの「守るべきものがないのに戦っては云々」というアムロのセリフに引っかかりを感じて生きてきた。
え、ないの? 守るべきもの。
ホワイトベースとか……フラウとか。
この際もうセイラさんでもいい。
なんらか守りたくあれよ……と。
しかし今日、急になぜかわかったのよ。
これあれもしかして。
ララア = 家族や恋人など実際に触れられる自分にとって大切な誰かのために戦う人
= 先の戦争で実際に家族のために戦って死んだ英霊あるいは戦後PTSDに苦しんだ帰還兵たちのメタファー
アムロ = 家族や恋人、友人といった守りたい誰かがいないにも関わらずモビルスーツに乗ってジオン軍の戦力をバリバリ削っていく人
= 明確な目的も意志もなく自分ではない誰かがかかげるイデオロギーや目的のため人殺しも辞さない「得体の知れない何者か」のメタファー
だったんじゃないかって。ようするにかなり政治的なお話だったろこれ、と。
戦後日本のクリエイターの多くは
こうした表立って大きい声では言えない政治的な思想をSFとかとっぴな設定に隠して描いてたんじゃないか、というのは聞いたことのある話だった。
でもこれもしかすると実は令和の今も表立って大きい声で言っちゃダメなことだったりする?
こわ。
サイボーグ009の歌にも
誰がために、という名曲がありましたな。
こないだのnoteでも触れたけど。
戦争って人を殺すことなので手放しに推奨するようなものじゃないというのは大前提なんだよね。
でも、万が一にも人を殺めなくてはならなくなったなら「せめて心に置いた大切な誰かのためであれ」と考えるのは極めて人間的なことだとも思う。
だからあのララアのセリフは、
人を殺すな。→ 当たり前
でもどうしてもそうせざるをえないなら。→ せめて生きてる誰かのためであれ
ということだったんじゃないのか、と。
おわりに
富野監督がどう思ってたかはわからないけど、45年以上の月日を経て俺がふいにたどり着いたのはこうした思いでした。
概念とか思想とか目に見えない何かのために人を殺すことまで辞さない人なんているのか?
うん。います。
いるんだよな……。
いるから困っちゃうのよ。
いなくならないと、うん。
ファーストガンダムの仕事は終わったことにならないと思うの、俺。