
エマの小さな道具屋【第15話 言葉にできないこと】
秋の風は、乾いていた。窓を開けると、石畳の隙間に落ち葉が集まっている。黄色い葉が、坂道を転がっては止まり、また風に押される。空は高く、雲は薄い。夏の重さは消え、代わりに光が白くなった。
わたしは濃い緑のカーディガンを羽織り、棚を見渡した。瓶は整っている。空きも少ない。帳面を開くと、数字は安定していた。店の経営は以前よりずいぶん楽になっている。
ルドルフ商会への納品は続いている。日常薬の注文も増えた。調査団の影響で、街の人々は少しだけ用心深くなったのだろう。
「……ありがたいことだね。」
そう言いながら、薬液をゆっくりとかき混ぜる。火加減を確かめ、色を待つ。手はいつも通り動いている。
だが、胸の奥は静かではなかった。
瓶をひとつ棚に戻し、次の鍋を火にかける。薬草を刻みながら、ぽつりと呟く。
「……なんだか、疲れた。」
特別に忙しいわけではないし、無理もしていない。それでも、何かが重い。外では、落ち葉を掃く音がする。遠くで、子どもの声が聞こえる。
わたしは手を止めない。生活は順調だ。それは間違いない。だが、順調であることと、気が楽なことは違う。
午後の光が柔らかいころ、約束していた喫茶店に入った。窓際の席には、すでにエミリアがいた。
「エマ、久しぶりね。やっとつかまえたわ。」
「うん、本当に久しぶりだね。」
私達は向かいに座った。運ばれてきた紅茶の湯気が立っている。外では、銀杏の葉が風に舞っていた。
「最近どうなの?まだ忙しくしているの?」
「忙しくはないよ。ようやく落ち着いてきたよ。」
「そう。あなたのところは景気がいいって聞くわ。」
「噂ほどじゃないよ。」
カップを持ち上げる。熱が、指先に伝わる。
エミリアは少し視線を落とした。
「ねえ、私ね……。」
話し始める声は、いつもより小さい。
「父の仕事、少し拡大するみたいで。王都との取引が増えるの。それで……私もこれまで以上に手伝うことになりそうなのよ。」
「それは大変だね。」
「ええ。悪いことじゃないの。でも、ずっと街の中だけでやってきたでしょう?急に大きな話になると、なんだか怖くて。」
わたしは黙ったままうなずく。
「あとね、また婚約の話も、出ているの。......いい人のように思えるんだけど、決めきれないの。」
紅茶をかき混ぜる音が、小さく鳴る。
「私、何がしたいのか分からなくなる時があるの。」
黙って聞いていた。エミリアは微笑む。
「あなたはいいわね。自分の店があって、すべて自分で決めて。」
少しだけ笑う。
「そう見えるだけだよ。」
「でも、あなたはぶれないでしょう?」
カップの中の紅茶は、もう半分ほど減っている。
「……ねえ、エマは最近どう?」
問われて、わたしは窓の外を見る。落ち葉が、くるくると回っていた。
「変わらないよ。」
それだけ言った。エミリアは少しだけ不満そうに眉を寄せる。
「また、それ。」
「本当に、変わらないから。」
嘘ではない。仕事は順調だし、体調も悪くない。 店もうまく回っている。それでも、言葉にできない何かが、胸の奥に残っている。でも言葉にするほどのことではなかった。
エミリアはため息をつき、微笑む。
「まあいいわ。またお茶しましょう。あと収穫祭ももうすぐね。」
「そうだね、楽しみだね。」
店を出ると、風が強くなっていた。落ち葉が舞い上がる。私はウールコートを握り直す。
順調であること、足りていること、そして自分が選んだ生活。それらは確かに、自分の選択の結果だ。
「……よし、頑張ろう。」と小さく呟く。だが、その声は少しだけ、軽くなかった。晩秋の風は、北から吹いていた。