
娘への向き合い方は、私がしてもらいたかった向き合い方だった
娘にしてあげることが、本当は自分がしてもらいたいことだった。
子供が帰ってくる。学校での出来事を話す瞬間に、私のスイッチが入る。娘が話してくれる内容に寄り添い、共感するために。
友達に心が傷つけられたまま帰ってくることもある。話を聞いてそれに気づくと、視界が狭まって、私の目の中には娘しか映らなくなる。でも、頭の中はフル回転。
「それは、嫌な思いをしたね」
「ムカつく気持ちになるよね」
「そんなこと言われたら、ママだって嫌な気持ちになるよ」
言葉かけをする時は、どんな言葉が今の彼女に最善手か考える。傷ついたことを受け止め、感情を拾ってあげる。
いまどんな気持ちか確認してみたり、相手に対してどんな想いがあるかを聞いてみたりする。
心のうちを吐露してもらうなかで、彼女が言語化してくれるようになる。
話を続ける中で、だんだんと彼女が落ち着いてきたタイミングを見計らって、
「貴女はどうしたい?」と意向を聞く。
先生に話を繋いだ方が良いのか、様子を見た方が良いのか、いまは嫌な思いをした子と向き合いたくないのか。
それによって、親としての出方がわかる。
時に親としての意見も言う。
「傷ついたことを相手に知ってもらうためにも、話を先生としたほうがいいんじゃない?」
「貴女がこれだけ悲しんだってこと黙っていたら、きっと気づいてもらえないよ」
やっぱり先生に聞いてもらう、ということになることもあれば、やっぱりいい。ってことにもなる。
つまりは、一緒に考えているのかもしれない。
こう言うやりとりは、30分から長ければ1時間近くかかる。労力は半端ない。
「嫌な奴はout of 眼中」と一蹴にしていた実母とは訳が違う。
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この一連のやり取りや、最善手を取ろうともがく姿を知った人からは、
「丁寧な向き合い方だね」と言われた。
それと同時に、「疲れない?」とも言われる。
疲れる。
疲れない訳がない。
でも、私は「これをしてもらいたかった」から、やっているのかもしれない。
一緒に感じて、
一緒に悩んで、
一緒に考えて欲しかった。
だから、娘に私はしてもらってないことを、してあげたい。
別に良い母親にならたい訳じゃない。でも、娘に「ママなら話ができる」と思ってもらいたい。その一心なのかもしれない。