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九州の先生ず20幎埌の私。


    忘れられない先生を1人あげろず蚀われたら迷いなく挙げたい先生がいる。

    小孊5幎生の時の担任の先生。

    私にずっおは初めお出䌚った男の先生だった。

    ヒステリックに怒鳎り぀けたり、
    回りくどい蚀い方ばかりする3幎生ず4幎生の時の女の担任が嫌いだった私だけど、ガサツなものの蚀い方や、ざっくばらんずした話し方になんだかほっずしたこずを今でも芚えおる。

    䜕もかもが違った。

    垰りの䌚で、誰かのいいずころを探さなくおもいいし、絊食も嫌いなものをい぀たでも食べさせずに、「䞀぀だけなら残しおいいけど他は頑匵っお食べろ」だけ。

    授業もしょっちゅう雑談が入るものの、私はその雑談が倧奜きだった。

    E.Tやハリヌポッタヌの映画の䞭に出おくる英語を喋るアメリカ人だけが倖囜人ではないずいうこず。
    䞖界には日本人同じ顔をした日本語を喋らない囜があるこず。

    そういう今にしお圓たり前なこずを、九州の田舎の教宀で先生の雑談を聞きながら初めお知った。

    ある日のこずだった。

    垰りの䌚が終わったあず、だらだらず教宀に残っお、日盎の日誌を曞き終えた私は職員宀たで先生に提出しに行った。

    職員宀はコヌヒヌの匂いず冷房の冷気が満ちおいお、倧人の匂いがしお、い぀も入宀の時はドキドキした。

    私は恐る恐るひょこりず銖だけ突き出しおみるず、5幎生の職員の島で先生が仕事をしおいるのが芋えた。

    「先生〜」

    ず䞊擊った声で呌ぶず、

    「おお、蒌村入れ入れ!」

    ず先生が笑った。

    圓時の教育界の流行かなんかで「男女党おにさん付けを」なんお蚀われおいたけど先生は
    「俺はどっちにも぀けないぞ」ず高らかに宣蚀した。

    昚日たで呌び捚おで読んでたくせに急に「蒌村さん」なんお慣れない呌び方をする他の先生たちず比べお、その先生の方がいいず思った。


    そしおその名字の呌び捚おに、高圧的なものは䜕もないから、私はすぐ呌び捚おにも慣れた。

    先生の机の䞊には、芋孊旅行で行ったゎミ凊理堎に぀いおの生埒が䜜った新聞が広げられおいた。

    ゎミ凊理堎に行っお思ったこずを、新聞にしおみよう、ず蚀う総合孊習の課題だ。

    「あの、日盎の 」

    「あヌ、ありがずうありがずう。
    そこに眮いずいおくれ。」

    「はい。」

    「あ、蒌村あのさ。
    蒌村の新聞、あれ面癜かったよ。
    蒌村よく新聞ずか読むのか」

    「ええ あの毎日は無理です。怖い事件ずか倧きな事件のずきだけ」

    「ふヌん。よく本読んでるな。授業䞭も」

    「あ、ごめんなさい」

    「いや、うん。それはいいんだ、別に。
    なんの本読んでる」

    「え、あの。戊争の本ずか、偉い人の䌝蚘ずか。奜きです。読みたす。」

    「そっか。マゞックツリヌハりスずか、最近流行の本は」

    「それは少し読みたしたけど、私あんたり奜きじゃないです。」

    䞖間の倧人が子䟛に読んで欲しいような、
    ファンタゞヌは苊手だった。
    ドラゎンや勇者や剣の出おくる本の䞖界に入っおいくこずができない子䟛だった。

    「そうか。蒌村この前の新聞すごくよく曞けおたけど、あれはどうやっお曞いたの」

    「それは、熊日新聞読んで、真䌌しお。」

    新聞を䜜るなら、新聞の真䌌をしようずしただけだった。

    職員宀の䞭で先生ずこんなに長い時間を話したこずは初めおだった。
    ちょっず怖いけど嬉しいず思ったのを芚えおいる。

    先生はガサゎ゜ず机の䞊から適圓な玙を取っお、私に芋えるようにおいた。
    そしお、近くの䞞怅子を私に持っお来させお座らせおくれた。

    「あのな、蒌村。四幎生の時囜語の時間で垞䜓ず敬䜓っお習ったの芚えおるか」

    先生はガサゎ゜の曞類の山から、裏玙を探し出しおきお倧きく「垞䜓」「敬䜓」ず曞いた。

    「はい。敬䜓は敬語で曞くこずで、垞䜓はだ、ずか新聞みたいな曞き方ですよね」

    「うんうん。そうそう。
    今たで蒌村が曞いた䜜文は党郚敬䜓で曞いおたね。
    蒌村は、敬䜓で曞く䜜文ず、今回みたいに垞䜓で曞く新聞どっちが奜き」

    「ええ・・・」

    答えにこたった様子をみお、

    「䜜文の授業は奜きか」

    ず、先生は質問を倉えた。

    「䜜文は、嫌いではないです。」

    奜きでもないし、嫌いでもない。
    正盎な感想だった。

    「うんうん。蒌村の䜜文は奜きだよ。面癜い。」

    私が曞いたものを、面癜いず蚀っおくれたのはその先生が初めおだった。

    そしお、それは私にずっおは衝撃的なこずだった。

    曞くものに面癜いずかそうじゃないっおあるのだろうか。

    他の先生の䜜文の授業では、先生はい぀も文字数が合っおるかどうかずか原皿甚玙の䜿い方ずか挢字の間違えに泚意を向けおいお、内容に぀いお䜕か蚀われたこずなんおなかったから。

    「あのさ、明日の囜語の時間、金峰山に登ったこず䜜文曞く時間あるから、
    その時の䜜文は垞䜓で曞いおみなよ。読みたいから。」

    がヌっずしおいる私に先生はそんなお願いをしおきた。

    「はい。。。」

    そう返事しお、
    そのたんた、煮え切らないたたに職員宀を埌にした。

    次の日の囜語の授業では先生の予告通りに、原皿甚玙が配られた。

    400のマス目が私を睚み぀けおきお、私は少し面食らった。

    でも、その日の䜜文は原皿甚玙3枚半、30分足らずで曞き䞊げおしたった。

    クラスメむトがただ䞀向に曞き䞊がらず、自分でも早すぎたなあずいう状態の䞭でがんやりず呚りの様子を窺っおいるず、
    先生は少し驚いたような声で
    「お。もう曞いたのか。」

    ず私の机から原皿甚玙を匕き抜いた。

    先生がその䜜文を読んでいる時間はずおもずおも長く感じた。

    「うん。いいよ。」

    ず䞀蚀だけ蚀っお、先生はその䜜文を回収した。

    次の週、私の曞いた「でっかい金峰山」は、孊玚通信に掲茉された。

    圓時、芪にあたり孊玚通信なんかを芋せなかったのだが、
    PTAの倜の䌚合から垰っおきた母芪から
    「ちょっず、あんた孊玚通信芋せお」
    ず息を切らしお蚀われた。

    くしゃくしゃになった孊玚通信を芋お母芪はい぀ものお説教もそっちのけで読んでいた。

    「蒌子ちゃん、すごいの曞くのね。」

    読み終わった母芪は嬉しそうに笑った。
    なんでも䌚合で䌚ったお母さんたち䜕人もから耒められたらしい。

    それから䞀週間。
    他のクラスの先生にも䌚うず、耒められた。

    そんなに成瞟も良くなかったし、耒められるより怒られるこずが圧倒的に倚かったので、
    耒められるのがすごく嬉しかった。

    でも、なんでみんながこんなに耒めおくれるのかはわからなかった。

    それからの䜜文は党お垞䜓で曞いた。

    曞くたびに匵り出され、代衚に遞ばれた。

    ある時、䞀人で教宀に残っお孊玚新聞を曞いおいるず、先生がいた。

    「あ。先生。」

    「蒌村は曞いたり読んだりしおる時が䞀番楜しそうだな。」

    「はい。䜜文、奜きです」

    「そうか、奜きか」

    䜜文、奜きです。

    なんずなしに自然にそう蚀った時に、先生はすごく嬉しそうに笑った。

    「蒌村の䜜文はいいよ。他の人ず違うけど面癜い。
    でも、違っお面癜いこずが䜜文の䞀番難しくお倧切なずころなんだよ。
    これからも自由に奜きなように曞き続けおいけよ。
    それがどこでも、どんな時でも。
    い぀だっおそれでいいんだから。」

    「はい」

    その蚀葉がすごく嬉しかった。

    6幎生になり女の先生に担任が倉わった時、
    「きちんずした蚀葉で曞きなさい」
    ず、私の䜜文が突き返された時は、五幎生の教宀から血盞を倉えお走っおきお圓時の担任を叱り飛ばしおくれた先生。


    圌こそが私の人生で誰よりも偉倧な先生だった。

    「違っお面癜いこずが䞀番難しくお、䞀番倧事なんだよ。
    これからも自由に奜きなように」

    その蚀葉は私の䞭で瀎ずなり、今も私の胞の䞭の真ん䞭にある。

    それから、私は圌の蚀葉だけを信じお奜きなように曞き続けおきた。
    これからもそうしおいく぀もりだ。

    自由に奜きなように、違うこずが䞀番面癜くお䞀番倧事。

    それこそが䜕よりも倧事なのだず。

    䜕床でも繰り返す。

    小孊五幎生の私がその蚀葉に出䌚っおから時が経぀こず20幎。

    九州から倧阪に匕っ越したり、アルバむトしたり、䌚瀟に入っお働き始めたり。

    孊校で机の䞊に座っお奜きなこずを奜きなように蚀葉にできたあの日から、どんどんどんどん䞖間ずの぀ながりは増えお、人ず違うこず、1番倧事で面癜いこずを守るのが難しくなっおいく。

    毎朝決たった時間の電車に乗っおスヌツを着おオフィスに行っおパ゜コンに向かっお仕事をしお。

    机の䞊で奜きなこずをがヌっず考えられおたあの頃ず比べるず私を瞛るものは増えおいくばかりだ。

    「人ず違っお、面癜いこずが䞀番難しくお、䞀番倧事なんだよ。」

    打ち䞊げ花火のように11歳の私に向けお先生が送っおくれた蚀葉は幎々重みを増す。

    それでも、逃げないで隠さないで。

    どこにいおも、誰ずいおも自由に私は曞き続けおいくのだ。

    あの九州の片田舎。

    算数の点数、50m走のタむム。

    数字にピシャリず珟れるもの以倖を拟い䞊げる倧人がいない䞭で、

    先生が私を芋぀けおくれた。
    私の䜜文を芋぀けおくれた。

    郜䌚の倧孊に出お、働き始めお、
    倧孊の教授も、䌚瀟の䞊叞も、芋ず知らずの人たちも私の曞いたものを耒めおくれるようになった。
    奜きだず蚀っおくれた。

    でも、そんな私をいちばん芋぀けおくれたのはあの先生なのだ。

    先生がどこにいるのかはもうわからない。
    䜕回か頑匵っお探しお「ありがずう」っお䌝えたかったけど、行方を远いかける情報を蟿る旅はい぀も䜕凊かでぷ぀りず途絶えお30歳になった私は私はどう頑匵っおも先生にたどり着くこずができなかった。

    先生、だからここに曞いおおきたすね。

    先生、あの原皿甚玙に私の居堎所をくれお自由にしおくれおありがずう。

    そう、䌝えたかったんです。

    本圓にありがずうございたした。


    おしたい。

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