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Photo byhoshizoramochi

白い巨塔を3分見て、私は少し健康になる

    食事のあとにフィットネスバイクをこがないと、なんだか気持ち悪い。

    フィットネスバイクというのは、室内で使う運動用の自転車だ。外には進まない。景色も変わらない。それでも、しばらくこいでいると、身体が少しずつ起きてきて、気分も晴れてくる。

    昔の自分なら、絶対に信じなかったと思う。あの頃の私にとって運動器具というのは、買った瞬間だけ希望に満ち、そのあとは静かにホコリをかぶっていく家具の一種だった。

    ホコリをかぶっていた日々

    フィットネスバイクを買ったときも、プッシュアップバーを買ったときも、やる気は十分にあった。むしろありすぎたくらいだ。「よし、今日から毎日やるぞ」という気合いは本物だった。

    しかし、その気合いは長くは持たなかった。三日、いや、正確に言えば一日で終わることもあった。器具は部屋の隅に置かれ、そのうち洗濯物の一時置き場になり、気づけばホコリをかぶっていた。

    やる気があるのに続かない。これがいちばん厄介だった。「意志が弱いからだ」と自分を責めたこともある。今振り返ると、たぶんそういう話ではなかった。

    動画を見ていたら、20分経っていた

    転機と呼ぶほど大げさなものではない。私はただ、動画を見ながらフィットネスバイクに乗ってみただけだった。

    『白い巨塔』を三分。『古畑任三郎』を三分。『地獄に堕ちるわよ』を三分。『進撃の巨人』を三分。『はじめの一歩』を三分。『将棋放浪記』を三分。『コブラ会』を三分。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を三分。

    内容の脈絡はまったくない。ないどころか、脈絡という言葉に謝ったほうがいい。財前教授の権力闘争を見たあとに、いきなり宇宙へ飛ぶ。なんで財前教授のあとに宇宙なんだよ、と自分にツッコミを入れたくなる。プロ棋士が将棋ウォーズで鮮やかに指す動画を見たあとに、ボクサーがパンチを打ち、その横でコブラ会まで始まっている。我ながら雑食すぎて笑ってしまう。たぶん、この節操のなさこそ良かったのだと思う。

    「運動するぞ」と身構えていない。ただ、いろいろな世界を少しずつつまみ食いしているうちに、ペダルが回り、時間が過ぎ、気づけば20分以上も運動をしている。

    そういえば、古畑任三郎もよく自転車に乗っている。画面の中の彼がこいでいて、画面の外の私もこいでいる。それに気づいたときは、さすがに笑った。

    正直、私は運動を好きになったのか。それとも「運動をすればこのあと動画の続きが見られる」という、ある種のご褒美を無意識に刷り込まれているだけなのか。自分でもよく分からない。たぶん、どちらも少しずつ本当なのだと思う。好きだから続くのか、報酬につられて続くのか。その境目は案外あいまいだ。

    「ついで」の正体

    ここまで書いてきて、これはジェームズ・クリアの『アトミック・ハビッツ』が言っていたことと近いのではないか、とあとから気づいた。先に本を読んで実践したわけではない。むしろ逆で、自分がやってきたことを振り返ったら、そこに書いてあることと重なっていた、という順番だ。

    大きな変化というのは、意志の強さで一気に起こすものではなく、小さな習慣を積み上げた結果として、あとからついてくるものらしい。そして習慣を続けやすくするコツは、根性ではなく「設計」にある、とも言う。

    私の場合で言えば、「食事のあと」というすでにある行動に、「フィットネスバイクをこぐ」を重ねた。さらに、「動画を見る」という楽しみに、「ペダルを回す」を重ねた。気合いを入れる場面は、どこにもない。歯を食いしばる場面もない。歯を食いしばっているのは、「Yes!先生!」と空手の稽古に勤しんでいるアメリカの学生たちだ。ただ、すでにある行動の上に、もう一枚、薄く重ねただけだ。

    意志力より、導線。根性より、配置。気合いより、ついで。

    そう考えると、続いている理由は「私の意志が強いから」ではなく、「続けやすい形に、たまたま組み上がったから」なのだと思う。それは少し気が楽になる話でもある。

    眠気覚まし、そしてもう一つの復活

    もうひとつ、地味に驚いていることがある。眠いときにこの自転車をこぐと、目が覚めるのだ。

    脳に酸素が回っているのか。単に身体が動いて起きているだけなのか。正確なところは分からない。ただ、感覚としては、ぼんやりしたままペダルを回しているうちに、少しずつ頭がはっきりしてくる。仕事や作業に戻りやすくなる。理屈はさておき、実感としてはそうなっている。

    そしてもうひとつ、思わぬ副産物があった。フィットネスバイクと同じくホコリをかぶっていたプッシュアップバーが、また生活に戻ってきたのだ。YouTubeで見つけたライオンプッシュアップというやつを、20回くらいやっている。かっこよく筋トレをしている自覚はまったくない。ただ、ひとつの習慣ができると、隣にあった別の習慣にも、なぜか火が移っていくらしい。

    おわりに

    習慣というのは、人生を一気に変える大事件ではないのだと思う。

    けれど、食後の20分を変えると、一日の感じも少しだけ変わる。一日の感じが変わると、自分への見方も少しだけ変わる。

    「誰でも必ず続く」とは言わない。第一、私自身、これがいつまで続くのかも分からない。ただ、ホコリをかぶっていた道具は、いつの間にか毎日の生活に戻ってきていた。その事実だけは本当だ。

    習慣とは、自分を責めるための物差しではなく、案外、自分を助けるための小さな仕掛けなのかもしれない。もしそうなら、部屋の隅にも、まだ再起動を待っている道具があるかもしれない。

     
     
    1979年福岡県旧庄内町出身。自称・闘魂プログラマー。中学生、高校生、専門学校生、大学生、社会人を対象に、クラウドやブロックチェーンなどを教える。「日本マイクロソフト賞④」など受賞歴多数。著書『Elixir実践入門(技術評論社)』。趣味は将棋、読書、プロレス好き、アントニオ猪木。

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