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人はもっと複雑なのに、なぜ組織は単純化したがるのか——コンテキストワークという問いの源流

    私は昔から、「コミュニケーション能力」という言葉に違和感があった。

    組織で問題が起きる。

    レビューで衝突する。 部署間で対立する。 プロジェクトが停滞する。

    すると、しばしばこう説明される。

    「コミュニケーション能力が低い」 「心理的安全性が足りない」 「協調性がない」

    もちろん、それらが原因である場合もあるだろう。

    しかし私は、どうしても納得できなかった。

    本当に問題は、そんな一言で説明できるものなのだろうか。


    例えば、技術的な指摘が人格否定として受け取られることがある。

    成果物について議論しているはずなのに、自分自身を否定されたように感じる。

    シニアエンジニアが長年の経験から危険性を指摘する。 ジュニアエンジニアは反発する。

    その結果、関係が悪化する。

    すると周囲は言う。

    「言い方の問題だ」 「心理的安全性が足りない」

    しかし、本当にそうだろうか。

    そこには経験差がある。 認知差がある。 評価への不安がある。 自我防衛がある。 組織文化もある。

    人はそんなに単純ではない。

    それなのに組織は、複雑な問題を便利なラベルへ変換してしまう。

    私は長い間、そのことに違和感を持ち続けていた。


    ただ、冷静に考えると、組織が人を単純化したがることには理由がある。

    昔は、その複雑さを扱う手段がなかったからだ。

    誰が何を考えていたのか。

    なぜその判断をしたのか。

    どんな議論があったのか。

    どんな違和感があったのか。

    そうしたものは会議室の中で消えていった。

    担当者が異動すれば失われた。

    退職すればさらに失われた。

    だから組織は、人を単純化するしかなかった。

    「コミュニケーション能力」 「協調性」 「主体性」

    複雑な現実を管理可能なサイズに圧縮する必要があったのである。


    しかし今はどうだろう。

    技術は大きく変わった。

    チャットは残る。

    ドキュメントは残る。

    会議は録画される。

    判断の経緯も記録できる。

    そしてAIは、それらを検索し、要約し、再利用できる可能性を持ち始めている。

    私は最近になって、一つのことに気づいた。

    もしかすると、私たちはもう、人間を単純化するしかなかった時代を抜けつつあるのではないか。


    このことを考えていて、私はある技術に思い至った。

    Gitである。

    エンジニアにとっては当たり前の存在だが、改めて考えると驚くべき発明だった。

    Gitは単なるソースコード管理ツールではない。

    誰が、いつ、何を変更したのか。

    そしてなぜ変更したのか。

    その履歴を残す仕組みである。

    さらにIssueやPull Requestまで含めれば、

    なぜその設計を選んだのか。 どんな懸念があったのか。 どんな議論を経たのか。

    そうした判断の背景まで残る。

    ソフトウェア開発の世界は、実はかなり早い段階から「文脈管理」に取り組んでいたのである。


    そして私は思った。

    組織にもGitが必要なのではないか。

    もちろん、Gitそのものではない。

    私が言いたいのは「組織版Git」という比喩である。

    組織で本当に失われているのは情報ではない。

    判断の履歴だ。

    なぜこの制度になったのか。

    なぜこの顧客を重視しているのか。

    なぜこの案件を断ったのか。

    なぜこの評価基準なのか。

    組織は驚くほど同じ議論を繰り返している。

    人が忘れるからではない。

    判断の文脈が失われるからだ。

    残すべきなのは、決定事項だけではない。

    むしろ重要なのは、却下された案とその理由、途中で出た違和感、判断に至るまでの迷いである。

    組織で失われやすいのは、結論そのものではなく、結論に至るまでの道筋だからだ。


    ただ、ここで新たな問題が生まれる。

    記録を残しただけでは意味がない。

    人間は膨大な文脈を読み返せない。

    Gitの履歴ですら読み切れないのに、組織全体の文脈などなおさらである。

    だからAIが必要になる。

    AIは正解を出すためではない。

    人間を理解するためでもない。

    散らばった文脈を蒸留し、必要なときに取り出せるようにするためである。

    AIが人間の代わりに判断するのではない。

    人間が判断するために、失われかけた文脈を取り戻しやすくする。

    その役割にこそ、AIの重要性がある。

    私はここで初めて、AIの本当の可能性が見えた気がした。

    AIは単なる効率化ツールではない。

    人間の複雑さを扱うための補助線になり得る。


    ここまで考えて、私はようやく自分が何に違和感を持ち続けていたのか理解できた。

    人が複雑であることではない。

    人が防御することでもない。

    人が迷うことでもない。

    それらは人間の現実である。

    私が違和感を持っていたのは、その現実を見ながら、組織や社会があまりにも単純な説明で済ませてしまうことだった。


    人は複雑である。

    迷い、執着し、防御し、そして忘れる。

    その現実は、おそらく昔から変わらない。

    しかし技術は変わった。

    Gitはコードの文脈を扱えるようにした。

    インターネットとスマートフォンは文脈を流通させる基盤になった。

    そしてAIは、文脈を蒸留し、再利用する可能性をもたらした。

    私たちは長い間、人間を単純化することで組織を運営してきた。

    だが、もう別の道を考えてもいいのではないか。

    コンテキストワークとは、単なる働き方論ではない。

    文脈を記録し、蒸留し、必要なときに参照し合える状態をつくること。

    仕事の文脈だけでなく、人の間に流れる文脈さえも、失われないように扱うこと。

    それは、人間の複雑さを前提に、仕事と組織を再設計するための試みである。

    そしてその問いは、まだ始まったばかりだ。


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