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【詩的旅行記】この世のどこにもなかったものに心臓の音が宿った旅のこと

    旅の記録:
    2026年5月下旬、豊島(てしま)にて。
    わたしは筆名で心臓の音を採録し、その島に残した。

    ◆旅の行き先 ~豊島とは~

    この世のどこにもなかったものに
    心臓の音を与える
    その手前に 横たわる海  

    第一連より

     公私ともに、旅が多い方だと思う。 
     私的な旅の時は、その行き先に「島」を選ぶことが多い。船や飛行機で海を越えた先にある、非日常。日々からのほどよい、心地よい隔絶を愛している。そんなわけで、わたしの足は、ついつい島へと向かう。

     様々な用事が重なり、5月下旬に東京から西日本へとしばらく旅をした。その間、瀬戸内滞在中に数日の時間ができたので、かねてから行ってみたいと思っていた島々へ足を伸ばした。

     行き先は、香川県のベネッセミュージアムの一つとして位置づけられる、豊島。普段から現代アートに触れるのが好きで、以前から一度足を伸ばしてみたいと思っていた島だ。
    (実は今回、隣の直島にも行ったのだが、それはまた別の記事にて)

     豊かな海に囲まれた島が、かつて産業廃棄物問題を抱えていたことも、訪れる前に調べる中で知った。今は瀬戸内のアートの島として知られ、島の各所に作品や美術館などの施設が点在している。

     まずは、わたしの好みの展示がありそうな豊島美術館を訪れる予定を立てた。そして、あわせて島で見られるものは出来るだけ見ようと思って、島にあるアート施設を調べた。
     これから記す「心臓音のアーカイブ」は、その時何気なくピックアップした箇所の一つだった。数万人の心臓音のアーカイブがあるというその場所が興味深く思えて、軽い動機で立ち寄ることを決めた。自分にとって思わぬものを残すことになると、その時はまだ知らずに。

    ◆「心臓音のアーカイブ」とは

     岡山県の宇野港に前泊して、港から早朝のフェリーに乗船した。途中、家浦港を経由して、40分ほどで豊島の唐櫃港へ。
     下船してすぐ目の前のお店でレンタサイクルを借り、集落の細道を走っていくと、やがて道から舗装が消え、白い砂利道が見えてくる。自転車を停めてしばし歩くと、視界に海がひらける。
     その海の傍に、アート施設「心臓音のアーカイブ」はある。

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    「心臓音のアーカイブ」(筆者撮影、2026年5月下旬)

     ベネッセアートサイト直島(公式)によれば、「心臓音のアーカイブ」はフランスのアーティストであるクリスチャン・ボルタンスキーが手掛けたアート施設だ。公式のnoteによれば、「心臓音のアーカイブ」の詳細は以下のとおり。

     開館まで少し間があったので、王子が浜と呼ばれる、建物の目の前のうつくしい砂浜をゆっくりと歩いた。朝一番に訪れたせいか、人影もまばらで、膨大な質量の水と静かな波の音しかない。砂浜で小さな貝を拾いながら、開館を待った。

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    王子が浜。穏やかな海。

     入館して間もなく、まずは「ハートルーム」と呼ばれるインスタレーションの中へ入った。暗い中に、雷のように激しく拍動が鳴り響く。連動する灯が色を変えながら光る。
     胎内を連想した。胎児はきっと、日々とてもうるさいのだろう。生まれる前から、わたしたちは自分以外の誰かの心臓の音に囲まれているのかもしれない。

    施設内にはインスタレーションが展示されている「ハートルーム」、希望者の心臓音を採録する「レコーディングルーム」、世界中から集められた心臓音をパソコンで検索して聴くことができる「リスニングルーム」の3つの部屋で構成されています。採録された心臓音は自身のメッセージとともにアーカイブ化され、作品の一部となります。

    ベネッセアートミュージアム「心臓音のアーカイブ」より

     「ハートルーム」を出た後、「リスニングルーム」に立ち寄り、海を見ながら、知らない人たちの心臓の音を聞いた。人の胸に耳を押し当てて聞くのとは違う、くっきりした輪郭を持つ音たちに、血管の内側が妙にざわめいた。
     その時点になってようやく、アートに「参加する」ということを真面目に考えてみた。「参加する」という選択肢が生じて初めて、わたしはいつもアートを「消費」する側にいたのだ、と不意に気づいた。
     せっかくの旅先だからというのもあったが、この海の傍でアートへの見方や立ち位置を変えてみよう、変えてみたいと、率直に思った。そうしてわたしは作品の一部となるべく、心臓の音を収録することにした。

    ◆心臓の音を採る

    わたしは 私から生まれ
    笑ったり 泣いたり 読んだり 書いたりしつつ
    気づけば
    私よりも わたしになる
    止まりゆく電車のような 音を立てながら
    気づけば
    誰よりも わたしになる

    第二連

     心音の採録は、40秒。

     「レコーディングルーム」と称される真っ白い小部屋にて、一人きり服をゆるめる。目の前には採録に際したデータベースに連結するパソコンと、聴診器に似た採録機がある。
     胸の真ん中あたりに、吸盤のようなそれを押し当てる。
     耳から心音が聴こえるので、音がきれいに拾える場所を探して確認し、位置を決める。安定した音が耳に聴こえてきたら、画面上の「録音」を押して心臓の音を採録するという手筈だ。

     心臓の音は緊張に高鳴り、やがてゆっくり静まっていく。

     目を閉じていたので、却って自分の心音は明確に聞こえた。さまざまな雑音の奥、ごとん、ごとん、がたん、…ごとん、……ごっとん。
     聴覚から真っ先に連想したのは、速度をゆるめながらホームに入ってくる列車だった。数十秒の間でも、緊張が解ければ心拍はすぐにそれを反映し、ゆるやかになるのだ。心臓は意思とは関わらずに打ち続けるものだと思っていたけれど、心身は思っていたよりもずっと連動しているのだと知った。

     わたしは、止まりゆく電車みたいな存在なのだ。
     そう思うと、なんだかちょっと心が軽くなるような気がした。採録の40秒、そしてそれを聞き直して確認する40秒が、純粋に面白かった。

    ◆置いてきた方の「心音」

     心臓音のアーカイブは、この40秒の音と名前、そしてメッセージで出来上がる。

     何気なく本名を書こうとして、わたしはそこで初めて少し迷った。登録する名前が、本名でなくてもいいらしいと聞いたからだ。
     この心臓の音の前で、わたしは誰であってもいい、どう名乗ってもいいという選択肢が生じた。そして、わたしには本名と筆名、二つの名前がある。
     画面の入力欄を前にして、指が止まった。

     数秒後、わたしは【AUKO YUKIYANAGI】と書いた。

     書いてしまうと、不思議な感覚に陥った。
     書くために生まれた「雪柳あうこ」という筆名に、心臓の音が宿った。どこにもいなかったものが、確かに鼓動したのだ。
     私が「わたし」でいることを、このアート作品に寿がれてしまった。そう感じた。その感覚は少しむずがゆく、同時にどこか心地よかった。

     かくして、電車に似たわたしの心音は、「AUKO YUKIYANAGI」の心臓音として、その島のアーカイブに残された。
     添えるメッセージには何も書けなかった。事前に準備して、詩を持って行っておけばよかったと思う。自分にとってはそれくらい、発作的で直感的な行動だった。

     建物を出て、波音を聞きながらレンタサイクルに再び乗って、次の目的地である豊島美術館へと漕ぎ出した。
     むずがゆさと心地よさ。胸に灯ったその感覚は、波のように何度もわたしの胸に打ち寄せ、長く尾を引いて残った。
    (ちなみに、豊島美術館でも言葉にできないほど素敵な時間を過ごしたのだが、その体験もまた別記事に譲りたい)

    ◆持ち帰った方の「心音」

    この世のどこにもなかったものに
    心臓の音を与える
    その先に ひらける旅 

    第三連

     「心臓音のアーカイブ」は、詩のようだな、とも思う。
     詩は、形のないものに、言葉で輪郭を与える行為だ。クリスチャン・ボルタンスキーのアートは、心臓の音という一人ひとりに固有の現象を通して、それを行ってくれる。

     アート作品に参加すると、採録した心音は、作品の参加の証として持ち帰り用のCDも作ってくれる。
     今もそのCDは、旅から帰ったわたしの部屋の片隅にそっと置かれている。そして、島から持ち帰ったむずがゆくも心地よい実感は、今もじんわりと。熾火のように、今もわたしの心臓のすぐ傍にある。

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    持ち帰ったCD。

     旅先の島に置いてきた心音が為してくれるものは、今もこれからも「わたし」を生きよ、という、小さな自己暗示かもしれない。 
     筆名での活動をいつまで続けられるかはわからない。それでも、今回残した心臓音のアーカイブが、「わたし」が「雪柳あうこ」という存在であることを、けれど確かに同定してくれるだろう。今もこれからも、ほんの少しだけでも。

     わたしの旅は、仕事を除けば、何度も同じ場所を再訪することはほとんどない。けれども、「わたし」が止まりゆく電車のように本当に途絶えそうになったとき、あるいはわたしが「わたし」の感触を思い出したくなったときには、また海を越えてこの島へ向かいたい。
     誰かを、何かを、いとおしむように確かめることができるアーカイブへ。 
     存在が不確かなものにさえ輪郭を与える、名も知らない誰かの生きた記録が待つ、海の傍へと。

    ◆心音の行方


    この世のどこにもなかったものに
    心臓の音を与える
    その手前に 横たわる海

    わたしは 私から生まれ
    笑ったり 泣いたり 読んだり 書いたりしつつ
    気づけば
    私よりも わたしになる
    止まりゆく電車のような 音を立てながら
    気づけば
    誰よりも わたしになる

    この世のどこにもなかったものに
    心臓の音を与える
    その先に ひらける旅


     
     
    詩や小説、ことばをのんびりとつとつ紡いでいます。最近は作詞、エッセイ、書評もあれこれと。第一詩集『追伸、この先の地平より』(土曜美術社出版販売)。第二詩集『骨を撒く海にて、草々』(思潮社)。詩誌LaVague主宰ほか。ご依頼はnote仕事依頼ページのメールアドレスへ。

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