
問いの先で、人は自分を選び始める
最近、自分のことを振り返る時間が増えた。
noteを書き始めてからなのか。
問いについて考えるようになったからなのか。
理由は分からないけれど、少しずつ自分の輪郭が見えてきている。
私はずっと自分を
「問いを届けたい人なんだ」
と思っていた。
正解を渡すのではなく、
問いを届けたい。
誰かの答えを教えるのではなく、
その人自身の答えを見つけるきっかけを作りたい。
そう思っていた。
でも最近、少し違う景色が見えてきた。
もしかしたら私は、
問いを届けたいわけじゃなかったのかもしれない。
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教員時代のことを思い出す。
授業を作る時、
私はいつも問いを考えていた。
どんな問いなら子どもたちは考えるだろう。
どんな問いなら意見が出るだろう。
どんな問いなら最後に学習のまとめへたどり着くだろう。
今振り返ると、
そこには明確なゴールがあった。
教科書の答え。
先生が持っている答え。
子どもたちは自由に考えているようで、
実はその答えに向かって歩いていた。
もちろん、それが悪いことだとは思わない。
学校には学校の役割がある。
まずは土台を学ぶこと。
基礎を身につけること。
それは必要なことだ。
でも今の私は、
別の問いに興味を持っている。
答えが存在しない問い。
人生の問い。
自分は何を大切にしたいのか。
どんな人生を送りたいのか。
誰の期待で生きているのか。
そんな問いだ。
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私は最近まで、
「問いを届ける人になりたい」
と思っていた。
でも自分との対話を通して気づいた。
問いを届けるのはゴールじゃなかった。
問いは入口だった。
問いと向き合うことで、
「あれ?」
と立ち止まる。
「本当にそうだろうか?」
と考える。
「私はどう思うんだろう?」
と自分に目を向ける。
その瞬間に、
他人軸から少しずつ自分軸へ戻っていく。
そしてさらにその先がある。
自分軸で生きていいんだ。
そう感じられた人は、
じゃあ私は何をしたいんだろう。
私は何を表現したいんだろう。
という場所へ進んでいく。
最近の私は、
その景色を見たいんだと思う。
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思えば私は昔から、
誰かが自分の答えを見つける瞬間が好きだった。
教員になりたかった理由も、
子どもが好きだから。
教えるのが得意だから。
当時はそう思っていた。
もちろんそれも本当だ。
でも今振り返ると、
もっと根っこの部分があった。
誰かが、
「あ、そうか」
と腑に落ちる瞬間。
自分の言葉で話し始める瞬間。
迷っていた人が、
少しだけ前を向く瞬間。
その姿を見るのが好きだった。
だから教員を辞めても、
その部分だけは消えなかった。
むしろ強くなった。
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日々、自分と向き合うルーティーンを取り入れてから
「自分を知ると、自分のいるべき場所が見えてくる」
そんなことを思うようになった。
人生は有限だ。
明日が来る保証なんてない。
だからこそ、
誰かの期待を生きる時間より、
自分の人生を生きる時間を増やしてほしい。
私はそう思っています。
問いを届けたいのも、
人生のハンドルを取り戻してほしいのも、
人生の執筆権を取り戻してほしいのも、
全部そのためだった。
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問いを届けるのはゴールじゃなかった。
問いは入口だった。
その先で、
自分を知り、
自分を選び、
自分を表現する。
私はきっと、
そんな人を増やしたいんだと思う。
そしてもし、
その最初のきっかけが私だったなら。
それ以上に嬉しいことはない。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございました。
あなたは何を表現したいですか。
誰かに期待された人生ではなく、
あなた自身が書きたい人生は、
どんな物語でしょうか。
今日はそんな問いをそっとここに置いておきます。