
マイ・ブロークン・アサミ〜死ねばいいのに
都内の雑居ビルで鹿島阿佐美(伊東蒼)が殺された。渡会映子(奈緒)は阿佐美のことを知ろうと上司の山崎寛之(前原滉)・隣人で先輩の篠宮佳織(高橋ひかる)・彼氏の佐久間雄也(草川拓弥)・母親の鹿島尚子(田畑智子)の元を訪れる。一方、弁護士の五條陸(平原テツ)が、この事件の本当の姿に迫ろうとしていた。
私はこの映画を見て、2022年公開の『マイ・ブロークン・マリコ』を思い起こした。
『マイ・ブロークン・マリコ』と『死ねばいいのに』の共通点は次の3つである。
①映画が始まった時点で、主要登場人物の1人が死んでいる。
②死んだ女性と関わりのあった女性が行動を起こす。
③奈緒が出ている。
麻里子(奈緒)も阿佐美もパートナーからDVなどのひどい目にあっていた。
DVに苦しみつつ、なおパートナーに会おうとする麻里子に椎野(永野芽郁)は言う。
アンタ、感覚ぶっ壊れてるんじゃないの?
麻里子は虚ろな目で答える。
そうだよ、アタシぶっ壊れてるよ。
麻里子も阿佐美もぶっ壊れてるのだろう。パートナーにDVを受けつつ、それは相手が自分を必要としているからだと思い、関係を続けてしまう。依存である。
麻里子は椎野に
アタシ幸せになれないね
といい、その後、自ら死を選ぶ。
阿佐美は映子に
あー私って幸せだな
と言うが、映子に
死ねばいいのに、幸せなら
と言われる。すると、阿佐美は
死にたい
といい、映子に暗に自分を殺すようせがむのだ。
幸せになれないことに絶望して自死した麻里子と、幸せの絶頂のなかで最近出会ったばかりの「大好きな友達」に頼んで殺された阿佐美。似ているようでだいぶ違う。
麻里子はこれ以上生きていていいことがあるなら生きていたいが、なさそうなので衝動的に死を選んだのだろう。
阿佐美は(その認識が正しいかはさておき)、幸せの絶頂にあった。これ以上幸せにはなれないので今死のうと映子に自分を殺させた。
麻里子は絶望の果ての死であり、阿佐美は確信の果ての死であった。
だが、どちらも死に変わりはない。自死だろうが、殺人だろうが死は死だ。たとえ相手に頼まれようが頼まれまいが、人殺しは人殺しだ。
そんなあきらめのような自暴自棄のような感情の中で映子は五條に自分を「殺人」として裁くよう頼んだのだろう。
『マイ・ブロークン・マリコ』ではDVに苦しみ、死を選ぶ麻里子役を演じた奈緒が、『死ねばいいのに』では同じようにDVなど男に苦しめられる阿佐美の想いを辿る映子役を演じる。立場が逆になったのだ。阿佐美と関わった人々のもとを訪ね、彼ら彼女らの阿佐美への行動や想いが如何に自己中心的で欺瞞に満ちたものであるかを暴き出す。奈緒のとことん相手を追い詰める演技が圧巻であった。
「死ねばいいのに」は、この先生きていていいことがあるなら、「生きたい」へと転化してゆく。ラストシーンにおける映子の涙はそれでも「生きたい」と言う希望のあらわれである。
