
好きなもの1:カフェラテに砂糖が沈む瞬間
アメリはクレームブリュレのおこげを割るのが好きと言ったけれど、私はカフェラテの泡にスティックシュガーを流し込むのを見るのが好きだ。
さらさらと白い粉が流れ落ち、泡の上にたまっていく。カフェラテの茶色に染まると、徐々に、ゆっくりと、砂糖は泡に沈み込んでいき、とぷんと中に落ちる。雲がかかってラピュタが遠くに消えていくのを思い出す。そこまで眺めてからやっと、スプーンでかき回して現実に戻ってくる。まっさらな雪に一歩一歩こっそりとあしあとをつけるのと、似たようなことなのかもしれない。
カフェラテの良さを語れるような知識はあまりない。でも、じわじわと砂糖が身を隠していくときと、どぽんと落ちていくときと、全然沈まないときとある。じわじわはきめ細かい柔らかい泡ということなので、好きなカフェラテの予感で心が躍る。なかなか沈まない場合は、今日はそういう日なんだと言い聞かせながらマドラーで混ぜて沈んでいくのを待つ。もはや一種の占いに近い。
ずっと、密かにカップの中の光景を愛でていた。誰に言う話でもないと思っていたし、言葉にするほどのものでもないと思っていたから。
でもあるとき、話の前後は忘れてしまったけど、「これ見るの好きなんだよね」と友人に言った。べつに深い意味があった会話ではなくて、共感してほしいとかでもなくて、ただ、一瞬だけ共有したいと思ったのかもしれない。そのとき彼女がなんて相槌を打ったのかは覚えていない。
そこから数年経って、「前にこんなこと言ってたよね」と不意に話してくれたことがあった。流されず、記憶に留めてくれていたことに驚いて、とても嬉しかった。
そういえば、アメリが好きな女は面倒だって、むかし友達の彼氏が言っていた。アメリも好きだし、カフェラテの泡が沈むのも好きだって言ったら、なおさらめんどくさがられるんだろう。
その友達がいまも彼と続いているのかは知らない。もしかしたら、その話を覚えているのも私だけだったりして。
カフェラテを飲むときにたまに思い出す、会ったことのない人のよくわからない自論。
泡に沈むのを見届けて、かき混ぜて。
姿は見えなくなったとしても、存在が感じられることに安心しているのかもしれない。