
色のない世界
先日、新聞ある記事を目にした。そこには、お馴染みのお菓子のパッケージが、すべて白黒のモノトーンに変えられた写真が掲載されていた。子供の頃から慣れ親しんできた、あの海老のスナック菓子。それが、色彩を奪われた状態で棚に整然と並んでいる光景だった。
このカラフルで、見ているだけで心が躍るような売り場が、まもなく味気ない白黒の世界に染まってしまう。そう想像した瞬間、胸がキューと苦しくなり、息苦しさを覚えた。
色彩とは、自由と明るさの象徴である。
白黒(モノトーン)が洗練されたものに見えるのは、溢れる色彩の中にそれがある時だけだ。すべてが白黒になってしまった先には、ただ重苦しさしか残らない。そんな気がしてならないのだ。
子供たちは、このモノトーンの世界を見て一体何を思うのだろうか。大人の私でさえこれほど重苦しい塊を胃の底に落とされたのだから、感性豊かな彼らの心には、もっと複雑で、言葉にならない動揺をもたらすに違いない。
もちろん、パッケージの簡素化という試み自体は素晴らしいことだと思う。エコロジーの観点から見ても、日本の包装はあまりに過剰だと常々感じていたからだ。そこにある理屈は理解できる。
けれど、お菓子のパッケージにだけは、やはり「夢」が宿っていてほしいのだ。手に取った瞬間のワクワク感があって然るべきではないか。なぜなら、お菓子とは生きるための必需品ではなく、人生に楽しみや喜びを添えるためのものだからだ。
世界がにわかにきな臭さを増していくにつれ、私たちの身の回りから、少しずつ「色」が没収されていくような気がしてならない。
スナック菓子のパッケージはほんの小さな始まりに過ぎない。
それに続くのは、ペットボトル飲料のパッケージ?アイスクリーム?それとも、箱のお菓子?お茶紅茶コーヒーなど茶葉や豆?慣れ親しんだカップラーメンや袋麺?ペットフード?日用品?文房具?衣料品?・・・・
色彩は心の栄養だ。
この豊かな色彩が完全に消え去った先に、一体何が待っているというのだろう。
いつまでも、とりどりの色彩が身の回りに溢れていること。それこそが健全な社会であり、平和な世界の証なのだと、私は信じたい。