
「 肝っ玉母ちゃん 」 への憧れ
「え!? 熱い…… 明日の仕事、どうしよう……」
夜、子どものおでこが熱いことに気がついた瞬間、私の頭を真っ先によぎるのは、これだ。まず脳内カレンダーを開いて仕事の調整を考えてしまう。
次の瞬間、激しい罪悪感が襲ってくる。
「どうして我が子の心配より、仕事の調整のことを考えてしまうんだろう」
自分の身勝手さと、親としての器の小ささに、どっと落ち込んでしまう。
絶賛子育て中の私は、毎日こんな風に、小さなおろおろと後悔を繰り返している。
ーーあぁ、もっと「肝っ玉母ちゃん」になれたらいいのに。
実は私、なぜか昔から「肝っ玉母ちゃん」という存在が気になって仕方がなかった。
特にジブリ映画に出てくるお母さんたちが大好きだ。
『魔女の宅急便』のオソノさんとか、
『天空の城ラピュタ』でパズーを助けた親方の奥さん(おかみさん)とか。
彼女たちって、とにかくどっしり構えていて、細かいことは笑い飛ばす。あの圧倒的な包容力とカッコよさに、ずーっと憧れていたのだ。
そんなとき、ふと思い出す背中がある。
私の母だ。
今の母は、孫を前にしてすっかり目尻を下げている。おっとりとして、すっかり「丸くなった」おばあちゃんだ。
でも、私が小さかった頃の母は、違った。
まさに、絵に描いたような「肝っ玉母ちゃん」だった。
母は身内だけでなく、誰に対しても真っ直ぐな人で、困っている人がいると絶対に放っておけない。
街中で危ない遊びをしている他所の子を見かけたら、迷わず「危ないでしょ!」と本気で注意する。
自分の子も他所の子も関係なく、
ダメなものはダメと注意できる強さと、深いお節介(最高の褒め言葉!)を持った人だった。
それにとにかく、怒ったときの迫力がすさまじい。
怒ったときは頭の中でゴジラのテーマソングが聞こえてきそうな迫力で、地響きすら感じられるほどのエネルギーで大爆発するから、私たちはいつも一瞬で身動きがとれなくなっていた。
けれど、嵐のような時間が過ぎ去って、私たちがべそべそ泣いていると、母は必ず何も言わずに、優しくぎゅーっと抱きしめてくれた。
ゴジラのような強さと、すべてを包み込む優しさ。
その両方を持った母の胸の中は、世界で一番安全な場所に思えた。
自分が親になった今、あのどっしりとした大らかさが、どれほど尊いものだったかがよく分かる。
でも、あるときふと思った。
母だって、最初から完璧な「肝っ玉母ちゃん」だったわけではないのかもしれない、と。
見えないところで、仕事や家事のやりくりに頭を悩ませていた日もあったはずだ。
それでも私たちの前では、覚悟を決めて、どっしりと構えてくれていたのだろう。
すぐには、あの頃の母のようにはなれない。
今日も私は、小さなおろおろを抱えながら、頼りない背中で子育てをしている。
けれど、実家で丸くなった母の笑顔を見るたびに、少しだけ肩の力が抜ける。
「あなたは、あなたのままでいいのよ。」と、今の私のすべてを母は肯定してくれる。
完璧な母親にはなれなくても、いつか私も、子どもにとっての「肝っ玉母ちゃん」になりたい。
次に子どもが熱を出したときは、まず「仕事の調整!」と焦る自分を「人間だもの、焦るよね」と許してあげたい。
そして、そのあとに心を込めて、我が子をぎゅっと抱きしめることから始めてみたい。

☆最後までお読みいただき、
ありがとうございました!