
「それって、あなたの意見ですよね」
毎週土曜日、息子は私の母の家に泊まりに行く。
家庭教師が来る日でもあるし、終わったあとはおやつを食べてだらだら過ごすのが、息子にとっての気分転換になっているようだ。
うちでもリラックスはできるけれど、母は良くも悪くも、なんでもしてくれる人だ。息子にとっては、きっとそのほうが楽なのだと思う。
私自身も、息子との関係は悪くない。それでも週に一度、少し距離を取れる時間があるのはありがたい。夫と二人で過ごす時間。ひとりでぼーっとする時間。どちらも、私には必要なものだ。
——こう書くと、近くに母がいて、子どもを預けられて、うまくバランスを取っている理想的な暮らしに見えるかもしれない。
でも、そう単純でもない。
*
母は「なんでもしてくれる人」だけれど、そこに相手の意見はあまり存在しない。
意見を伝えると不機嫌になり、こちらが受け入れるまで、圧のようなものが続く。
それに気づいたのは、息子を産んでからだった。
それまでは、母の機嫌をとるのが当たり前で、自分の意見があるかどうかすら、意識したことがなかった。
でも、息子が生まれた瞬間、母は「私を支える存在」から、「奪うかもしれない存在」に変わった。そのとき初めて、母が見ているのは私の気持ちではなく、母自身の感情や希望なのだと気づいた。
シングルマザーになってから、私は実家を出た。フルタイムで働き、帰宅してから母の愚痴を毎日聞き続ける生活は、もう続けられなかった。それでも、子どもを預ける必要はある。だから今も、近くに住んでいる。
*
先週の土曜日のことだった。
母からスーパーの中継ぎで電話がかかってきた。
「お昼、なににする?」
息子は即答した。「激麺」
「え〜、エビフライのパンでいいでしょ」
「激麺で」
「体に悪いよ。パンにしな」
そのとき、息子が言った。
「それって、あなたの意見ですよね?」
一瞬、間があいた。
母はしぶしぶ「わかった」と言った。
*
私はそのやりとりを聞いて、笑いそうになった。
あのフレーズを、こんなにまっとうに使っている場面を初めて見た気がした。
母の言っていることが間違っているわけではない。体に悪いものは避けたいという気持ちも、孫に好きなものを食べさせたいという思いも、よくわかる。ただ、その思いが強くなると、相手の意見は簡単に消えてしまう。
それは、ずっとこの家で繰り返されてきたことだった。
私も、弟も、父も、きっとどこかで抗うのをやめたのだと思う。母のやり方の中で生きるほうが、楽だったから。
でも、息子は違った。
自分の意見が尊重されないことに、ちゃんと違和感を持っていた。
それが、嬉しかった。そしてどこかで、時間を超えて、かつての自分が守られているような感覚もあった。
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SNSを見ると、同じように母親との関係に苦しんできた人の声をよく見かける。
昔は、それが苦しいことだとすら気づけなかった。でも今は、「おかしい」と感じることを言葉にできるようになってきた。それだけでも、大きな変化だと思う。私もその一人として、誰かの心のすみに少し残れたらと思いながら、これを書いている。
一人ひとりの気持ちに寄り添う育児が正解かどうかは、正直わからない。でも少なくとも、私たちの世代は、自分の感情を丁寧に扱ってもらえた記憶がそう多くないのではないだろうか。
だから私は、自分の心に抗わずに生きていきたいと思っている。
そしてきっと、これからも息子と、そのままで関わっていく。