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エッセイ:人間でいて、ただの子供

     ずっとずっと、自己を持てずに生きてきた。

     生まれ持った障害、子供のような父と過干渉な母に自分たち以外の存在は悪だと言われ続けて、そんな私に与えられた世界は狭苦しくて窒息してしまいそうで、だけれど逃げ方さえ教われなかった私にとってのそれは、どうしようもなく目の前に存在してしまう日常だった。

     幼稚園はいつの間にか父によって自主退学させられていて、小学校は適切な配慮が受けられず通えずに、気づけばまともな生活を送れずただ時間が消費されていくのを待つようにベッドの中で過ごしていた。このころにはもう、父はうまくいかない家庭に嫌気がさして出て行った後で、家には私と母だけがあった。

     死んだように横たわる私と母と、放置され切ったゴミ屋敷。そんな状態が六年続いた中学一年生の夏、異変を感じた近所に住む人が通報し警察の介入が入った時に、私の日常は終わった。

     助け出されてからの私は良縁に恵まれ、少しずつではあるものの前進できている。それでも、やることなすこと誰かに許可を取ろうとする癖や、安心できると判断した相手へ幼児的なまでの盲目的信頼を寄せる傾向、そして、こうやって自分の感情を分析説明して理解を得ようとする性格は、父からの抑圧や母からの無理解に耐えるため、自己分析を続けた影響によるものなのだろう。

     どうしようもなく停滞したあの日々の中でも私を助け出そうとしてくれた方々はいた。学校の先生も病院の担当医も、児童相談所の人だって、どこか異様なものを見る目で私を見つめて「つらいことがあったら言って」と警告してくれていた。あの時手を伸ばしていたら、なんて考えることもあるが、当時の私にはどうしたって無理だっただろうと思う。つらさをつらさと認識できない子供が、つらいと声をあげられるわけもない。それほどまでに、あの日常は私になじみ、蝕んでいたのだから。

     介入があったあの日から、もう五年の月日が経過した。今、父は私に会うとばつが悪そうに眼を逸らす。いまさら何を気にしているのかなんて私の知るところではないが、家庭からも責任からも逃避したあの日から、父はずっと変わっていないのだろう。

     母はあの日常を振り返って「お前が望んで引きこもっていたんだ。私はそれに従っただけ」と繰り返す。選べるはずの選択肢さえ知らない子供に、何が望めるというのか。そう返しても「お前はあの時から口が達者でずる賢かった、判断くらいできたはずだ」と喚き散らすばかりだ。
    今の私にとって、父や母はただの「大人になれなかった大人未満」でしかない。だけれど、何も知らなかった当時の私にとって彼らは唯一の世界だった。命が生まれて初めて見る存在が親であるように、親とは子供の世界を形成するため、子供が歩んでいく世界を形成する最初の生命維持装置だと私は思う。

     私の世界は歪んでしまった。少しずつ矯正されている今でもふと、自分が存在していてはいけないような感覚を覚えてしまう。その感覚が正されるのには、数十年かかるか、はたまた一生かけても直らないのかもしれない。私の傷は不可逆かもしれない。だけれど、私の体験を書くことで、まだ傷ついていない子供につく傷を少しでも防ぐことができたなら、と思う。そして今、私はこの文章を書いている。

     これを読んでいるあなたに子供がいるなら、もしくは将来できたのなら「子供は一人の人間で、そして、ただの未熟な子供である」ということをどうか忘れないでいてほしい。彼らは尊厳を持つ対等な存在でありながら、まだ世界も自らの可能性をも知らない小さな存在でもあるのだから。

     もしあなたが過去の私と同じような状況にあるなら、一つ伝えたい。世界は残酷でどうしようもない。それでいて、とても美しい場所だ。それがあなたを救うかは定かではない。ただ世界は事実として存在している。それだけのことであり、そこに意味を与えるのはほかならぬあなただ。

     
     

    aster

     
     
    書きます。大学生でもある。

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