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蝶の意識に映るもの

    梅雨の晴れ間に国立公園へ行った
    水芭蕉の時期だけれど、桜や菜の花、ポピーの時と違い、人とすれ違うことがなかった

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    サンドイッチを買っていき、だだっ広い芝生で食べ、昼寝する。ウインドブレーカーを着ていて丁度いいくらいの気温と湿度、雨上がりの木々と鳥たちのざわめき。数えてみると、8種ほどの鳥が声を掛け合っている。管楽器のような声が2度だけ高く鳴いて、それきり止んだ。文明社会が始まる前の地球を想像した。初めてキンカチョウの声を聞いたとき、まるで恐竜かポケモンのようだと思った。科学博物館の鳥展へ行って、恐竜から派生したのが鳥だと知る。一部の鳥の声帯器官は実際、管楽器の作りになっていることも。1万以上の種を持ち、人類より遙か昔から繁栄し続けている、鳥と木々たち。だだっ広い国の敷地に、私はひとり寝転がって、居る

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    蝶をみつけて、写真を撮る。カメラを向けたときはその花の上に止まっていることに気がつかず、モニターの中に発見してはっとする。焦点を合わせていると、蝶は何かを察して場所を変える。向こうにとって私の「シャッターを切りたい」という意識は、どんな形となって伝わるのだろう。草花は、分子を飛ばして意思疎通を行っているという。「今、(虫に)噛まれている。(虫のお腹を壊す)毒素を出せ。」分子を受け取った固体は、葉に毒素を行き渡らせる

    人は、未来を想像し、解釈を混ぜる。もし、時間概念と想像力がないのならば、他者の存在自体がないと、思う。確立に左右されているだけの、空腹に突き動かされる個体として、腸を満足させるために動き、摂取する。自由に、勝手に振る舞えばいい。けれど人は、社会に生きるために、自分の振る舞いがどう周りへ影響し、あるいは自分が他者からどう影響するかを予想し、それを恐がり、自分なりの解釈で納得し、行動を選ぶ。鳥は飛び、木々は葉を伸ばし、人は解釈し続ける・・

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    蝶のように何かを察して場を変える、ただそれだけのシンプルな一生は、どうだろうか。そこに、うまくいった喜びや美しさへの畏怖、偶然に出逢ったときの驚きは在るのだろうか。できる限り、シンプルに、蝶で居られたらと思う。けれどそれは唐突に天の羽衣を着せられたかぐや姫のように、無慈悲で空しく、非情な世界だろう。いやがおうにも私は、人間の弱さを知っている。一人では生きられないことも

    それらを知り、自分の力で解釈して生きている人とならば、時代を共にしたいと思う。彼らは鼓舞せず恐れず静かに見極めている。一方で私は恐れ、位置を確認せずには居られない。この、惨めさこそが、自分の本体だ、と思う

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    雨音を聞きながら。

    音声配信を再開しました


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