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願いは変わり、人生は続く

    最近、Instagramで知人が「ビジョンボード(願いのマップ)」について投稿しているのを見かけました。
    それを見て、少し懐かしい気持ちになり、自分の若い頃を思い出しました。

    私が自分の願いのマップを作ったのは、2003年のことです。
    音楽アカデミーを卒業し、「若手専門家」として社会に出た年でした。
    その頃の私は、4つの仕事を掛け持ちしながら必死に働き、友人と一緒に、古い集合住宅の5階にある祖母の部屋を間借りして暮らしていました。

    90年代の終わりから2000年代初めにかけて、風水はとても流行していました。
    母の家には、当時人気だった風水の本が何冊もあり、私も自然とそれらを読んでいました。

    願いのマップを作ろうと決めた時、私はとても真剣でした。
    何日もかけて雑誌を集め、知り合いから借りたり、自分で買ったりしました。
    そこから写真を切り抜き、最初は「使えるものが見つからないかもしれない」と思っていたのに、気づけば多すぎて選ばなければならないほどになっていました。

    大きな画用紙に、北・南・北東など方位を書き込み、
    風水の「理論」に従って、色紙で作った形をそれぞれの場所に貼りました。
    色も意味を持つので、決められた色を使い、
    裏には、同じく決められた色のペンで、手書きで願いを書きました。
    金属、水などの要素も加えて、「運気を強める」ことも忘れませんでした。

    プロセスそのものに、私は完全に没頭していました。
    ヴァイオリニストとして、こうした手作業の創作に向き合う機会は多くなかったので、なおさら新鮮だったのだと思います。

    完成したマップは、壁に飾ることも、机に広げることもありませんでした。
    くるくると丸めて、棚の奥にしまいました。
    そして「忘れる」ことになっていたのですが、当時の生活リズムを考えれば、それはとても簡単なことでした。

    ――風水の神様たちは、きっとその過程をしっかり見ていて、私の願いを聞いてくれたのだと思います。

    その後の人生で、「あの時の願いは、ほとんど叶っているな」と思い出すことが何度もありました。
    ふとした瞬間にその記憶が浮かび、ただ静かに感謝するだけでした。

    4年ほど前、日本に来てから、
    「もう一度、願いのマップを作ってみようかな」と思ったことがあります。
    興味と好奇心から、インターネットで画像を印刷までしました。

    でも、不思議なことに、心からの必要性はありませんでした。
    「前はうまくいったから、今回も」という理由では、気持ちは動かなかったのです。
    そのまま1年近く、印刷した画像は放置され、
    最終的に私はそれらを捨てて、すっきりしました。

    なぜなら、私はもう、望んでいたものを十分に持っていると感じていたからです。
    そして、もう一度、静かに感謝しました。

    その後、声に出して願ったわけではないけれど、
    心の奥でそっと望んでいた贈り物が、私のもとにやってきました。
    娘が生まれ、私たちの人生は、さらに豊かなものになりました。

    20代前半の私は、キャリア、評価、安定を求めて走りながら、人生を少しでも整理し、意味づけたかったのだと思います。
    無秩序に進むのではなく、「未来」を先に覗き込み、形にしておきたかった。

    でも今、振り返って思うのは——
    大切なのは、願いをどれだけ正確にセクターに配置したかではなく、その時、自分がどれだけ正直に
    「本当に欲しいもの」を理解していたか、ということなのだと。

    @アシェル🇰🇿📃💗

     
     
    プロヴァイオリニスト🎻|カザフスタン出身・鹿児島在住 日本で暮らして気づいたこと、音楽、人、文化について書いています。 ヴァイオリンレッスン|鹿児島・オンライン

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