「私が嫌いな町」第14話
早希の優しい運転はつかの間の安らぎを与えてくれる。
道幅は狭く対向車に出会えば一苦労するのだが、今のところその様子はない。
あれからすぐに、三人と再会したことを逢坂さんに連絡をした。
「そう」
たった一言、事実を受け止めただけの返答だったがかえって冷静になれた。そして後日モリガミサンのところへ向かう旨を伝えると、わずかな沈黙のあとで「樹里を同行させるわ」と返答があった。
そんないきさつを経て、ハンドルを握る早希と助手席の私、そして後部座席には藤戸さんがいる。ミラー越しに映る彼女はずいぶんと安らいだ表情をしている。
「中山さんの運転はとってもリラックスできます」
「そうかしら、ありがとう」
早希はまんざらでもない様子で運転を続ける。
「宮乃さんもこんな運転してくれれば」
恍惚としている藤戸さんの呟きが聞こえた。
「藤戸さんは調査事務所にお勤めしているのよね、今回はまた一体どうして?」
連絡を控えていた早希と会った時に、これまでの経緯をかいつまんで説明すると、「私も一緒に行くわ」と申し出てくれたうえ、車の手配や運転まで引き受けてくれた。
「実は時田さんのお母様に預けていたものがあったのですが、手違いでほかの方のところにあるらしいんです」
「それが今向かって行くところにあると」
「はい、その可能性があります。すみません、厚かましく同乗してしまって」
嘘なのは明白だ。しかし早希はそれ以上の言及はしなかった。
町の北西部。
道路こそ舗装されているが住宅よりも自然が多く、往来する車や人を見かけることは滅多にない。正確な場所は不明だが廃神社があり、そこでさまざまな怪現象が起こると言われている。
「ここからは歩いていくしかないみたいね」
かつて自転車で走り抜けた道。私が先頭を走り、みんながついてきた道。
そんなことも忘れていた。この先になにがあるのか知らないのならば、先頭なんか走れるわけがない。ここから先も私の案内が必要だ。
アスファルトでもコンクリートでもない土の感触。
山林への入り口。生い茂る木々が日光を遮り、体感温度が一気に下がったように感じる。森林浴といえば聞こえはいい。だけど得体の知れないものと遭遇する、そんな不安が恐怖心を煽る。
ふたりはなにも言わずに同行してくれている。きっと過去の私は自慢のものを友人たちにお披露目する、そんな楽しみに心を弾ませてここを歩いていたのだろう。西田くんたちはどんな思いでここまで付き合ってくれたのだろうか。
山中は蝉時雨や木々が擦れてざわめく音、自然に発生する音がなく静寂そのものだった。沈黙を守り進んでいると、巨木を中心に道が二又、Y字に別れた場所へとたどり着いた。右側は少し奥で曲がっており、若干傾斜がある。左側は平坦で直線に伸びている。
どっちだったかしら。
早希と藤戸さんの顔には疲労が浮かんでいる。
「左へ行きます」
迷いを隠してわざと胸を張り、左へと進む。
どちらが正しいのか、憶えていないし自信もない。昔の私ならこちらを選ぶ。ただの拙い予測や勘だ。しかし今回はその選択が功を奏した。
道の先に平屋の日本家屋が見えた。
「あれです」
近づくと異様さが浮き彫りになる。
敷地は円形になっており中心に家がある。その一帯だけ初めからなにもなかった、そう言われても納得できるほどきれいに切り拓かれている。黒くくすんだ木造建築、どれほど昔に建てられたのか判別することはできない。塀や垣は一切なく、濡れ縁台らしきものがひとつだけあり、玄関は引き違い戸になっているようだ。地面には錆が浮かぶ赤茶けたポストがあり、木板に『守上』とマジックらしきもので書かれている。
子どものころに見たのはこれだ。
かつての私の幻影が、表札を読み、発見に驚き、喜びを全身で表現して消えていく。
モリガミサンに会えば町に関してだけでなく、わが家の怪現象についてもなにかがわかるかもしれない。
「ここがモリガミサンの家なんですね?」
物珍しげに家を見る藤戸さんの様子から、緊張や不安といったものは感じとれない。早希は珍しく顔を歪めて不機嫌そうに立っている。
「どうかしたの?」
「ううん、なんでもない」
彼女の態度を不思議に思っていると、藤戸さんが玄関の前で「すみませーん」と声を張り上げた。するとしばらくして引き戸が開いて、五十代と思わしき小柄な女性が姿をみせた。
「あら、家の中は散らかっているのでこちらへどうぞ」
女性は目を見開いていたが、なにも聞かずに私たちを庭側へと連れていく。庭といっても正確な区切りはない、どこからでも出入り自由な状態だ。
早希と藤戸さんに濡れ縁台を譲ると、女性縁から側に座るように促された。
「ここまで大変だったでしょう、飲み物を持ってくるわね」
「あ、どうぞお構いなく」
言うが早いか女性は奥へと姿を消していった。突然の来訪者を迷うことなく庭へと案内する、その対応の速さと慣れ具合がどうにも腑に落ちない。
それにしてもここは一段と涼しいわ、寒いくらい。
藤戸さんもそう感じているのか、両腕をさすっている。早希だけがハンカチで顔を仰いでいる。
まだ顔つきが険しいままだわ、どこか具合が悪いのかしら。
「お待たせしました」
気配もなくそばまで戻ってきていた女性に驚きながら、冷えたグラスを受け取る。
「こんなところでごめんなさいね。今日はどんなご用なのかしら」
隣で正座した女性が、誰に視線を合わせるでもなく当然の疑問を口にした。
「突然訪問してしまい申し訳ありません。失礼ですが守上さんでお間違いありませんか?」
藤戸さんが姿勢を正して訊ねた。
「ええ、そうです。私が守上蓉子です」
この人が守上さん。
髪を後ろでまとめ上げており、背丈は藤戸さんと同じくらいだろう。
見つめていると守上さんは藤戸さんではなく、私に微笑んだ。
「私は藤戸樹里です、隣にいるのが中山早希さん、そちらの女性は時田希実さんです」
「時田さん?」
微笑みが驚きに染まる。
「あなた、もしかすると時田智恵さんの」
「はい、時田智恵は私の母です」
モリガミサン探検の時、西田くんは町の人たちに怒られたと話していた。その中に怪異扱いされた守上さんがいてもおかしくはない。
納得できるように考えていると、守上さんの両手が私の手を包み込む。
「そう、智恵さんのお子さんなのね」
俯き加減で涙ぐんでいる姿に疑問が浮かぶ。
この人は母を知っている?
「智恵さんはお元気?」
「母は去年、亡くなりました」
守上さんが膝の上に置いていた手を握りこんだ。
白い肌に血管を浮かばせて、母のために声を押し殺して泣いているであろう人物を咎めるものはいない。
「ごめんなさいね、みっともないところを見せちゃって」
再び形作られた微笑みは、力なく寂しそうだ。
「それではあらためて」
彼女はことのあらましを説明する藤戸さんの話を遮ることなく、ときおり頷きながら耳を傾けていた。
「そうだったのね、話してくれてありがとう」
守上さんは感謝を述べつつ空を仰いだ。
「希実さんに起きている現象については心当たりがあります。でもそれを話すにはあなたのお母さんのことから話さなければなりません。そしてあなたに少なからずショックを与えることでしょう。それでも知りたいと願いますか?」
もちろんだ、私の返答は決まっている
「はい、お願いします。そのためにここまできましたから」
ふたりの同意を確認してから続きを促した。
「わかりました、初めに私と智恵さんとの関係についてお話しします。三十年ほど近く前、智恵さんはある相談をするために私のもとへとやってきました」
三十年近く前となると私が生まれる前だ。
「彼女は『主人がこの土地に魅入られてしまった。すでに地元の業者と売買契約を結んだため、ここに住むしかない。どうすればいいのかわからない』と話してくれました」
話ははじまったばかりだが、すでに困惑している。
「少し待っていただけますか、時田さんのお父様が土地に魅入られたというのは?」
間髪入れずに、藤戸さんが聞きたいことを代弁してくれた。
「そのままの意味です、希実さんのお父様は魅入られてしまったのです。そして智恵さんは人ならざるものを感じることができる人でした」
「それは霊感とかそういったものでしょうか?」
再び藤戸さんが問いかけた。
「ええ、その認識で間違いありません。彼女はこの土地に強い忌避感を覚え、なんとかしたいと考えているようでした」
俄かには信じ難いが、御影新町に対する母の異常な嫌悪や『よくないもの』を見た時の態度など、いくつか得心がいく部分があった。
「智恵さんがなぜ私のもとへとやってきたのか。当時、私が霊媒師として活動していたのを耳にしたようです。そして私は彼女に二つの方法を提示しました。ひとつは住居を清浄の場、領域とすることでよくないものを寄せつけない方法。もうひとつは住居にさまざまな種類の念が込められたものを集めることで、清浄も不浄も打ち消し合う中立の領域を作る。この二つです」
予想を遥かに超える内容だからか、なにかを訊ねようとしても言葉にならない。
母はどちらを選んだのだろうか。
自分の唾液を飲み込む音が聞こえた。
「彼女が選んだのは後者でした、しかしこれには問題があります。|要≪かなめ≫となるものがなければ成立しません。数々の念や不浄なものには、それ相応の数もしくは質の高い清浄なものが必要となります」
仕組みはわからない、だけど感覚ではわかる。
守上さんの口調は淡々としているが、スルスルと内容が頭に入ってくる。
「そこで彼女にあるものを渡しました。それはこれくらいの木箱に書物と石が入ったものです」
聞き覚えのある言葉と身振り手振り。
「それって」
濡れ縁台の藤戸さんに視線を向けると、戸惑っている様子が見受けられた。
「ごめんなさい、知りませんでした。おそらく間違いないと思いますが念のため確認してみます」
スマートフォンを片手に藤戸さんはこの場から離れていく。
「私も少し失礼します」
早希も同様にスマートフォンを持って離れていった。
今すぐに質問攻めをしたい、そんな欲求が溢れてしまいそうになる。それを抑えるために冷えたグラスに口をつけて、中身をすべて飲み干した。
「ふふ、新しいのを持ってくるわね、少し待ってて」
会って間もないが妙に落ち着くような、安らぐような不思議な雰囲気の人だ。
私から見て右側、山林と家との中間辺りで藤戸さんは電話をしている。そして左側の山林のそばには早希がいる。ふたりの話し声が聞こえそうなものだが、言葉ひとつ聞こえてこない。まるで観客席から無音の演劇を見ているようだ。
意識をふたりに向けていると、またもや気づかぬうちに守上さんがそばに立っていた。
「お待たせ、どうぞ」
彼女は私の分だけでなく、濡れ縁台まで行ってふたりの分も差し替えた。
「お待たせしました」
藤戸さんが先に戻り、遅れて早希も濡れ縁台に座った。
「どうでしたか?」
「はい、うちの所長が預けたものと同じものだとわかりました」
三十年ほど前に母が預かったものを、どうして逢坂さんが所持していたのだろうか。
「それでは続きを話しましょう。智恵さんに預けた品物は死者の霊を慰める鎮魂の意味を持つものです。ですが先ほど説明したように際限なく鎮めるわけではありません。定期的に清めなければならないのです。これは守上家で代々受け継がれている決まりごとなのです」
彼女はいったん話を区切り、藤戸さんを見る。
「間違いありません。所長、逢坂は去年の初めに希実さんのお母様から依頼を受けて預かったそうです。その後、浄化をしてお返ししたと」
それで目録に逢坂さんの名前があったのか。でもなぜ母は彼女に依頼したのだろう。
「ちょっと待ってください。守上さんは定期的に清めてはくれなかったんですか?」
「いいえ、定期的に時田家には訪問していたのです。藤戸さんが話しているのはその後のお話です」
訪問など一度もなかったはず、いつの間にわが家を訪ねていたのだろうか。
「藤戸さん、なぜ今頃になって浄化されている木箱を引き取りにきたんですか?」
「逢坂いわく『胸騒ぎがした』と言っていました。だから様子を見に行ったんです。そして希実さんに声をかけられたのでとっさに理由を誤魔化しました。でも」
「でも?」
「木箱は無く、通常ではありえないほど霊がいた。それこそ希実さんに影響を及ぼすほどに」
藤戸さんの説明に守上さんが奇妙な声を上げた。
「木箱が失くなったのですか!?」
「はい、母が存命の時はあったと思います。その後で逢坂さんたちに出会うまでの間に」
「なんてこと……」
力なく崩れる守上さんをとっさに支えたが、その顔は青ざめている。
「大事なものを失くしてしまったのは私の責任です、必ず見つけます」
この言葉に嘘や偽りはない。
「……わかりました。希実さん、智恵さんが集めていたものはまだありますか?」
「はい、奥の部屋に人から預かったものが沢山ありました」
私の手に守上さんの手が重なる。
「よく聞いてください。智恵さんはさきほど話した方法を実行することで、霊的なバランスをとりお父様とあなたを守ってきた。しかし木箱の紛失によりバランスが崩れてしまい、今あなたが体験している現象が起きるようになってしまったのでしょう」
「ではそれらを無くしてしまえば」
守上さんの手から温もりが伝わってくる。
「いいえ。ここからは少し長い話になります。元々この辺り一帯は大部分が川でしたが、大正初期に大規模な開発がおこなわれました。しかし工事はさまざまな理由により困難を極めたと聞いています。ところがある日を境に開発は順調に進むようになりました」
町の沿革は授業で習ったことがある。国や行政の新事業の一角として、御影新町がいわゆるモデル都市に選ばれたのだ。
「そこには決して表には出ない、あまりにも悍ましい歴史があるのです。この開発には多額の予算が振り分けられており、政財界や宗教団体などの関わりがあったため、失敗は許されないものでした。そこで開発を進めるために、当時の有力、高名な霊媒師たちに助力を求めました。そして雇っていた人夫やその家族を集めて……人柱、生き埋めにしたのです」
絶句するしかなかった。どう捉えればいいのかわからない。
そんなことあるはずがない、頭では否定しているのになぜか心は受け入れている。
「なぜ、そんなことを」
藤戸さんの声が震えている。
「おそらく死者の霊を集めることで人工的な霊力の場にしたと思いますが、資料すらなくこれ以上はわかりません」
「どうして守上さんがそのことを知っているんですか」
声だけではなく、全身が震えていると遠目からでもわかる。
「私の曾祖父が開発に携わっていたからです」
「どうして! どうしてそんなひどいことができるんですか!」
犠牲になった人々を嘆く、悲痛に満ちた叫び。
「藤戸さんが仰るとおり、到底許されるものではありません。曽祖父も反対をしたひとりでした」
憂いを帯びた表情と口調、私たちには推しはかることのできないものがあるのだと感じた。
「ある日、反対派の中心にいた曾祖父にひとりの霊媒師が接触してきたそうです。人柱となった人々の怒りを鎮めるために作られたのが、あの木箱の中身であり、それをこの地で守り続けてほしいと言われたそうです」
凄惨な過去を隠し持つ町、そして百年近くも土地に縛られている守上家。どうしようもなく歪んでいる、そう思えてならない。
「そうして御影新町が完成しました、しかし数十年が経ち、今度は町で不可思議な現象が多発するようになったのです。事件、事故、病気、不幸は治まることなく続きました。それでもこの土地に移住する人は増え続けました。そんな時に再開発の話が舞い込んできたのです。山を切り拓いて新たな居住地を造るという話が」
考えることもなく、その後に続く言葉が予想できてしまう。
「新しい地区を依代にしてしまえばいい、そうなるように造ればいい。そうして造られたのが新地区、そしてその起点となっているのが時田家です」
新地区を嫌う旧地区の住民たち。当然だろう、あの人たちからしてみれば穢れた土地に住んでいることになる。自分たちの犯した罪が形になっているのだから。
「中山さん、あなたはこのことを知っていたんですか?」
逢坂さんや藤戸さんには、事前に早希のことを話している。
「……知りませんでした。知っているとしても一部の人たちだけだと思います」
グラスを持とうとした彼女だったが、滑るように地面へ落ちて破片が飛び散り、中身の液体はみるみるうちに土が吸い込んでいく。
演技ではないとわかっている。彼女は昔から裏表のない性格だ、だからこそ好きになった。
「希実さん」
守上さんにふわりと優しく抱きしめられた。
「木箱がない以上あの場所にいるのは危険です。どのようなことが起きるのかわかりません」
そうなのだろう、あそこはもう私たちの住む場所ではない。だけど、
「それでも私は住み続けます」
母が守り、父が愛し続けたあの家を離れることはできない。
守上さんの強い意志が込められた眼差しが、私を見つめている。
「あなたのことは私が守ります」
返事の代わりに深々と頭を下げる。
「日暮れが近づいています、今日のところはこれぐらいにしましょう」
また一日が終わっていく。