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「私が嫌いな町」第9話

    高乃瀬 旦

    残されていたもの

     三月も二十日ばかりが過ぎた。あれから逢坂さんたちには一度だけ連絡をした。母や父との思い出に触れるのが怖くて、ほとんど手つかずの室内を片づけることにしたのだ。
     途中で手を止めてしまうことは、一度や二度だけではなかったが、それでも一ヶ月かけてようやく納得がいくだけの形にはできた。
     見逃さないように注意を払い、ひっそりと隠されるように置かれていたものはあったが、彼女たちから預かったものはとうとう見つからなかった。連絡はその報告のためだ。

    「本当にごめんなさい」
    「大丈夫です、気にしないでいいですよ」

     電話口に出た藤戸さんは明るい声で、紛失した側である私を慰めてくれた。
     やはり母がどこか違う場所、もしくは人に預けたのだろうか。だがそれを確かめる術はどこにもない。愛用していたスマートフォンはあるが、ロックがかかっている。
     解除しようと思いつく限りの暗証番号を入力したが、どれも正解ではなかった。携帯会社にも連絡をしたが、徒労に終わる結果にしかならなかった。
     相手側が『気にしないで』と言ってくれても、はいそうですか、とはいかない。
     可能な範囲で母の交友関係に連絡するために、固定電話のそばにおいてあるアドレス帳を開く。薄黄色に変色してある紙を捲っていくと、びっしりと人名や連絡先が書いてあった。
     携帯が普及して相当の年月が経っているのに、母は誰かと連絡先を交換するたびに、この紙製のアドレス帳に記入をする習慣があった。

    「わざわざ書かなくてもいいじゃない」
    「便利だからといって、なんでもひとつにすればいいってわけじゃないのよ」

     その時は呆れたが、今は感謝をしなければいけないだろう。
     連絡先の中には店舗や企業などもあるため、それらは省いていく。

    「栗原さんは繋がらないか」

     ある程度数を減らしていくことはできたが、それでもまだかなり残っている。そこからさらに可能性が低いものを省いていく。

    「横に書いてあるマークはグループみたいなものね」

     小学校関係なら名前の横に『小』と記載してあるようだった。
     残った名前と番号をメモアプリに入力していく。

    「これはなんの意味なの」

     赤いインクのボールペンで、幾重にも丸で囲っている名前がある。

    「守上、もりかみ、もりがみ……モリガミサン?」

     口にして馬鹿らしくて笑ってしまった。
     もし守上がモリガミサンになるのなら、私はトキタサンとして子どもたちの間で噂になっている。
     久しぶりに夢で見たから過敏になっているだけよ。
     名前に続いて電話番号を入力しようとしたが、肝心の番号が記入されていなかった。気にはなるが、どうすることもできない。
     まだほかにもできることはある、とりあえず着替えるために自室へと向かった。

     数日前まで厚手のコートが必要だったのに、今日は春物の服装でも暑いくらいに気温が上昇していて、他家の敷地に植えてある植物も、ちらほらと若々しい芽吹きをみせている。
     スマートフォンの電池残量に注意しながら、メモアプリを確認しながら歩いていく。
     アドレス帳に記載してあるだけが母の交流関係ではない。ただ話をするだけの人だっている、もちろん関係性が薄い人物に預けるとは考えにくい。ましてや人からの預かりものだ。
     拙い推理をしている間にも、日射しを浴びている肌が熱を帯びていく。
     じっとしていても仕方がない、一番可能性が高い人物はすぐ近くだ。
     数歩進んだ先、隣人の泉さん。
     息絶えていた母を発見してくれた恩人ともいえる人。もし、泉さんが発見してくれなければ、そう思うだけでゾッとする。これからするのはその恩を仇で返す行為かもしれない。
     戸惑いに負けないように、強くインターホンを押した。教会の鐘を連想させる音が、泉さんの家の中から聞こえてくる。少しして玄関扉が開き、眉をひそめた泉さんが半身を覗かせる。

    「泉さん、こんにちは。希実です」
    「希実ちゃん!」

     サンダルのまま言葉どおり飛び出してきた泉さんは、包むように私の手を握った。

    「生活はどう? 困ったことはない?」

     弔問にきてくれた時も、彼女は私のこれからについて心配してくれていた。私たち家族の次に引っ越しをしてきた時から、それこそ物心がつく前からよくしてくれていた、と両親から聞いていた。
     そんな泉さんだからこそ、母は大事なものを預けているかもしれないと考えた。

    「その節はありがとうございました。はい、生活のほうはなんとかしています」
    「そう、それならいいんだけど。今日はどうしたの」
    「お聞きしたいことがあるんです、母が泉さんになにかを預けることはなかったですか?」

     預かっていなくても、なにかしら収穫はあるのではないか、と密かに期待は膨らむ。
     少しして、腕組みをしていた彼女は首を振る。

    「考えてみたけど、なにかを預かったことはないわ」
    「そう、ですか。あの、去年ぐらいに母の様子に変わったことはありませんでしたか」
    「変ったこと、そうねえ」
     泉さんは不躾な問いかけにも気分を害した様子もなく、まぶたを閉じて思案している。

    「時田さんのところに、何度か人が訪ねてきていたのを見たことはあるんだけど」

     母に訪問客となると状況的に考えれば、栗原夫妻や逢坂さんたちと同じ用件だろう。だけど目録に記載している通りなら、去年は一件だけ。逢坂さんだけだ。彼女は何度も訪ねてきたのだろうか、それとも別人なのか。

    「どんな感じの人ですか?」
    「それがね、ひとりはショートヘアぐらいのスラリとした若い女の人」

     これはおそらく逢坂さんだろう。

    「もうひとりはあれよ、自治会長さん」

     なにかと町内会の活動が多い地区だ、自治会長であるなら訪ねてきてもおかしくはない。残念だが情報収集は不発に終わりそうだ。

    「ほかにはいますか?」
    「そのふたりだけ。女の人は一度しか見ていないもの、でも自治会長さんどんな用事だったのかしらね」

     その言葉に引っかかるものがあった。

    「どういうことですか?」

     泉さんは顔の横で手を振り、声量を小さくする。

    「やれ町内清掃だの自治会の集まりだので、たまに参加のお願いに会長が訪ねてくることはあるけど、そう何度もなんてよっぽどじゃない? 時田さんは古株だから次の会長になってほしいって頼まれでもしていたのかしら」

     泉さんに感謝を告げて、いったん帰ることにした。
     確かにどのような要件だったのかは気になるが、今更聞きに行っても不審がられるだけだろう。

    「そうですか、ありがとうございました」

     メモアプリからまたひとつ名前を消していく。泉さんのところを訪ねてから、ずっと電話をかけ続けている。大半の名前が消えているものの、有益な情報はまるでない。
     これ以上電話をかけ続けても無駄かもしれないわ。
     時刻は十四時を過ぎている。腹の虫が鳴り、昼食を摂るのも忘れていたことに気がついた。
     休憩しようと椅子に腰かけて、テーブルに頬杖をつく。
     お腹はすいているけど、準備をして調理をして片づけをする、この一連の流れが面倒で動く気がしない。すいぶんと疲れている、こんなにも疲れやすかっただろうか。去年までひとり暮らしをしていたし、仕事が深夜近くになることもあった、そのころとは比較にならないほど疲労を感じる。
     疲れ具合がおかしい。身体が重く、気持ちが暗くなることが多い。まるで少しずつ体力や気力といったものが抜け落ちているようだ。
     両親を亡くし好んでいない土地での生活をしているせいだ、と思っていたがどうにも腑に落ちない。些細なことでも敏感になり、記憶にないことも増えて、おかしな夢を見るようにもなった。
     うんざりだ。
     こんなことなら家を引き払って、引っ越しでもすればよかった、と考えたことはある。
     しかし家を売却したところで、築年数の古い物件の買い手がそう易々と見つかるとは思えない。なによりも両親と私が生活してきた家だ。
     そういえばまた一軒、新地区に空き家が増えていた。
     気を取り直して立ち上がろうとすると、前触れもなく明かりが消えた。照明のスイッチを押しても反応がない。
     台所の窓から採光はあるためそこまで困ることはない。視界に映っている炊飯器の保温ランプは点いている。
     停電ではなさそうだ、蛍光灯の寿命だろうか。
     蛍光灯の予備がある場所へと向かうべく、廊下へと出た。
     室内とは違い、窓がない廊下は暗闇が濃い。スマートフォンのライトを点けるために、画面をタップするが起動しない。廊下の照明を点けるためには、玄関近くまで行かなければいけない。
     一段と重くなる身体の向きを変えて、ようやく異変に気がついた。
     暗すぎるのだ。夜であるのならばともかく、雨が降っているとはいえまだ昼だ。玄関扉の両端のすりガラスからは、台所と同様に採光があるので、ここまでの暗闇になるはずがない。
     ……寒い。
     肌に感じる空気は真冬並みに冷たい。
     どうしてすりガラスが暗いのか、想像をしてしまった。思い出してしまった。
     悪夢、蠢いていた人の形をしたもの。
     もしかすると、それが眼前にいるのではないか。
     見たくないのに視線が釘付けになっている。呼吸が徐々に浅くなり、身体の内からくる震えが止まらない。手からスマートフォンが滑り落ちて、床に鈍い音を立てた。
     拾おうとしたのだが、身体が動かせない。
     ズルリ。
     音がした。
     後ろから聞こえた。
     耳が捉えた。
     動けない、振り向けない。
     近いのか遠いのかもわからない。
     奥の部屋からなにかがやってくる。見えはしない、だけどやってくる。
     ズズズズズ。
     夢と同じだ、少しずつ近づいてくる。
     身体は震えるのに力が抜けていく。
     ズルリ……ズルリ。
     逃げろ、逃げろ、逃げろ!
     早く早く早く! 動け! 動いて! 逃げろ!
     耳をふさぎたくなるほど、私の心が、脳が叫ぶ。
     身体が重い、いや、重すぎる。
     ううう。
     自分とは違う声。
     すぐ耳元で聞こえた。
     あああ。
     うう、ゔゔゔ。
     あああああああああ。

     全身の血管が脈動している。頭痛がひどく、眼球が忙しなく動き、視点が定まらない。
     それでも視界に映っているのは、木目調で室内灯の明かりが映り込んでいるダイニングテーブルだとわかった。
     椅子に座り眠っていたのはいつから? 全部夢だった?
     テーブルに貼りついている顔が痛い。
     まただ、またあの夢だ。どうして同じ悪夢を見るのか。
     離れた位置にあるスマートフォンを、緩慢な動きでたぐり寄せる。真っ暗な画面は多少ヒビ割れているものの、目を見開いている私の顔が映っている。
     ヒビなんてなかったじゃない……落としたのは夢なのに。
     すぐにでもこの場から離れたい、しかし外へ出るには廊下へ向かわなければいけない。
     冗談じゃないわ。
     動くにも動けず、かといってこのまま家にいるのも恐ろしい。
     画面に触れると明るくなり、規則正しく個性的なアイコンが並んでいる。震える指で電話のアイコンをタップする。
     お願い、電話に出て……。
     必死に願いながらコール音に耳を澄ます。コール回数が増えるたびに、絶望とよく似たものに涙が滲んでしまう。

    「もしもし」

     コール音が途切れて、待ち望んだ声が私の鼓膜を震わせた。
    「早希。お願い、すぐに家まできてほしいの!」
    「わかった、すぐに向かうから」

     彼女との通話はすぐに終わった。
     言葉足らずな一方的な我儘なのに、すぐにこちらへ向かってくれる。どれだけ感謝をしても足りない。
     彼女の声を聞けたおかげで、さっきまで私を支配していた恐怖は薄まっている。だからといって平気ではない。気を抜いた瞬間、扉が開いて悍ましいものが室内へとなだれ込んでくる妄想が拭えない。
     わざと強く椅子を引き、床を擦って音を鳴らす。
     かすかな変化も逃すまいと、神経が尖っていく。
     遠くから聞き覚えのある音が近づいてくる、車よりも響きが軽くそれなりに速度がある。素知らぬ顔をした掛け時計は、さほど針を進めていない。
     早すぎる、早希じゃない。
     尖っていた神経が、今度は筋肉を刺激して硬直させる。
     姿は見えずとも郵便配達員だとアタリをつけた。しかしそれでも無意識のまま、しゃがみ込んで身を縮こませていた。
     滑稽なのはわかっている。それでもこびりついた恐怖は自分ではどうしようもない。
     鼓膜が重苦しい空気に圧迫されている感じがする、鼻の奥がツンとして小さく痛む。床に雫が一滴落ちて、弾けた。さらに二滴、三滴と落ちては弾ける。
     涙も拭えない、動けない、なにをしてもあの蠢くものがあらわれてしまいそうで。
     早希、早くきて。
     強く、強く願う。
     何度も、何度も願う。

    「希実!」

     インターホンと同時に届いた早希の声。
     動くなら今しかない。
     扉や壁に身体のあちこちをぶつけながらも、一心に数メートル先を目指して進む。
     ほかのことは考えられない。彼女に会えれば、その顔を見れば恐怖など消し飛ぶ。
     玄関のドアノブに手をかけるとあの光景が浮かぶ。しかし構わずに解錠して扉を力いっぱい押していく。
     灰色のブロック塀、錆の浮かんだ黒の門扉、その向こうに見える明るい茶系に染まった髪と紅い頬をした彼女。
     なかば倒れそうな私を、駆け寄って抱きしめてくれた。
     背中にまわされた両腕から伝わる力強さ、間隔の短い呼吸、温もりのある肌、どれもが心を落ち着かせていく。しだいに私たちの呼吸するリズムが重なっていく。

    「なにがあったの?」

     囁くような声量から彼女の警戒心がひしひしと伝わってくる。それだけでこちらの状況を把握して、冷静に対応しようとしてくれているのだとわかる。
     身体を離して、なにから話すべきかを逡巡するが、すぐさま彼女の足元に意識を奪われた。
     彼女が着ている淡色のフレアスカートの裾が変色しており、よく見れば素肌にも泥水が跳ねている。

    「早希、汚れてる」
    「えっ、ああ、うん。ここまでタクシーできたんだけど、慌てていたから降りるときに水が跳ねたみたい」
    「すぐにきれいにしないと」

     口に出しながら、振り返って止まる。

    「希実、家でなにかあったのね」

     自宅を凝視したままでいる私の様子から察したのか、隣に並んだ彼女が口調を強めた。

    「戻れる?」

     拒否を示すことしかできない。
     彼女が一歩進むと、雲の切れ間から差す光がスポットライトのように家を照らす。
     それでも膨らんだ不安が消えることはない。
     キィッと門扉が軋む。
     彼女が敷地内へ進もうとして、門扉に片手をかけている。

    「やめて!」

     近隣に響くほどの大声と掴んだ手首。明らかに困惑しているが「きちんと説明するから場所を変えよう」と伝えると、頷いてくれた。

     眼下に広がるミニチュアサイズの家々、濡れた屋根の一部が日光を反射している。若葉と雨上がりの土の匂いが漂っている。雨が降っている間は風が吹かなかったのか、東屋の中は濡れていない。

    「そう、そんなことがあったのね」

     早希は足を組んで座っている。スカートの汚れが目立っているが、気にしている素振りはない。

    「信じられないよね」

     幼いころのモリガミサン探索、悪夢、実家で生活をはじめてから起こっていることを、包み隠さずに話した。
     体験したことや抱いた感情はどれも生易しいものではない。それなのに口にしてみると、とても陳腐で薄っぺらに思えてくる。自分で笑い飛ばしてしまいそうなほどだ。

    「信じる」

     その視線はどこを捉えているのか、早希は私と視線を重ねて「信じる」ともう一度言葉にした。

    「それでいいの?」
    「いいのよ、希実のことは私がよく知っているし、なによりあの電話の後だとね」

     助けを求めた時のことだ。

    「ごめんね、あのときは怖くて必死だったから」

     気恥ずかしさで顔が熱くなっていく、朱に染まっているのは想像に容易くない。

    「そうじゃないと私はここにいないわよ」

     彼女はおどけた調子で両手を膝の上に置く。

    「正直に言えば驚いてはいるかな、まさかって感じではあるけれど」

     今度はまぶたを閉じて、眉間にシワを寄せる。

    「だからといって、あなたを信じない理由にはならないから」

     普通であれば信じることはもちろん、蔑まれてもおかしくはない。だけど彼女は「信じる」と言ってくれた。私たちの関係をあらわしているようで嬉しくなる。

    「これからどうするの?」

     どこかに泊まろうにもスマートフォン以外、なにも持ち出せていない。

    「家には帰なきゃいけないと思う」
    「私も一緒に」
    「大丈夫」

     精一杯の強がりだ。大丈夫なことなんてひとつもない。平然としていられるのも、早希が隣にいてくれるからだ。もし、もし仮にあの家に問題があるのだとしたら、それこそ彼女を巻き込むわけにはいかない。

    「こういうときはお祓いとかしたほうがいいのよね、ちょっと聞いてみる」

     私が返事をする前に彼女は立ち上がり通話をはじめた。
     予想外の事態が起きるたびに、彼女の迅速な対応と行動力に感心をしてしまう。

    「話はついたわ、明後日にでもきてくれるって」

     離れた場所で通話をしていた彼女が戻ってきたのは、十分ほど経ってからだった。

    「ありがとう」
    「いいのよ、気にしないで。明後日は私も同席するわね」

     聞けば中山家として依頼をしたとのことだった。すぐに該当する人物を探し出したのもそうだが、急な案件だというのに約束を取りつけられたことも含めて、あらためてこの町での中山家がもつ影響力を垣間見た気がした。



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    『たかのせ あした』と申します。 おもにホラーミステリーなどの物語を書いています。小説以外のホラーは苦手。 短編・中編・長編なんでも。 同名義でカクヨムにも登録しています。

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