
散文〜金継ぎ〜
ある人がいた。
心に深い傷を負った。
悲しみ、怒り、憎しみ、恐れ、あらゆる負の感情が絶望の波となって心の全てを併呑した。
その傷は決して癒える事のない、謂わば致命傷ともなり得た。
歩く事はおろか、立ち上がる事もできず、やがて暗い泥のような大地に沈んだ。
「もう駄目だ」
諦念に支配された瀕死の心は、弱々しく言葉を紡ぎ続けた。
——生と死の問答を繰り返しながら幾許かの時が過ぎた頃、ふと自らの本心に耳を傾けた。
だから、許した。
自分を取り巻く全てを、何より自分を。
重苦しく閉ざされた心に一条の光が差し込んだ。
癒えない傷は消えずとも、その無惨な裂け目には慎ましやかな黄金色の輝きが宿った。
そして静かに揺らめく炎のように、ゆっくりと立ち上がって僅かばかり顔を上げた。
『この傷跡は不屈の証』
ある人がいた。
大人と言うにはまだ早いその体は、見知らぬ獣の身勝手な劣情によって甚く傷付けられた。
恐怖と絶望の記憶が心を閉ざした。
己の殻に固く閉じ籠もった。
——ある時、心無い天使は残酷な事実を告げた。
『命を宿した』と。
どうするのか、どうしたらいいのか、自分の中に答えはまだなかった。
「産むという選択肢はない」
周囲の大多数はそう言った。
『そうなのかも知れない』と思った。
「あなたは一人じゃない」
母がそう言った。
『一人の体じゃない』という意味なのか……
産む産まないに関わらず、『周りの人を頼れ』という意味なのか……は、わからない。
でも、どの意味でもよかった。
母の意もきっとそうであったのだろう。
自分の未来への展望、無責任な大多数のエゴと揶揄、それらとは全く無関係な新しい生命。
勇気と覚悟と愛を継いだ気がした。
そして、母のような母になる事を選んだ。
——それからしばらく後、医師が複雑な表情を浮かべて宣告した。
「普通分娩はできません」
体には一筋の消えない傷跡が残った。
だが、自分にはその傷が黄金色に輝いて見える。
『この傷跡は私の誇り』
金継ぎ
陶器の割れや欠け、ヒビの継ぎ目を漆で接着し、金・銀・真鍮等で装飾する日本の伝統技術。
単に直すという目的だけでなく、破損箇所の存在を認め、その歴史すら内包し昇華した唯一無二の新たな価値を創造する。
侘び寂びの精神やサステナブル性、芸術品としての価値が高く評価される。
海外では、そのままKintsugiと書く。
意味は同じだが、再生の力や不完全の美として哲学的な認識をされる事もある。