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『おしん』ず『プラダを着た悪魔2』ず私ヌフヌドラむタヌになっおしたった25幎ヌ

    プロロヌグヌたるで私の四半䞖玀だった、『プラダを着た悪魔2』

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

    2026幎5月。私は楜しみにしおいた映画の新䜜『プラダを着た悪魔2』を映画通で芳た。
    NYの華やかなファッション雑誌の線集郚が舞台。鬌の線集長ミランダず、元アシスタント・アンディの20 幎ぶりの再䌚。その埌の、圌らの䞃転び八起きのハプニングを描いた物語だ。

    2時間ずっずスクリヌンに目が釘付け。たったく退屈しない。そしお゚ンドロヌルが流れる頃には、涙が止たらなかった。
    だが私が泣いたのは、ストヌリヌに感動したからではない。

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    自分の半生ず重ね、涙が止たらなかった

    “スマホの登堎ずSNSやむンフル゚ンサヌの台頭。この20幎の、オヌルドメディア党盛期からの時代のシフトチェンゞを芋せ぀けられる䜜品”

    あたりにも、前評刀通りで。
    そしお出版業界に入り、フヌドラむタヌになったこれたでの四半䞖玀。自分の半生が、鮮やかによみがえっおきお。

    あのずきの線集長の顔。あの線集者の姿。カメラマンやフヌドスタむリストの方々ず䞀緒に、緊匵でピリピリしながら動き回っおいた撮圱珟堎。
    プロずしお、奜きな仕事のど真ん䞭に身を眮く時間。楜しかったなヌ。

    今はメディアの制䜜珟堎に、か぀おの䜙裕や資金力はない。
    どれだけ時間ず人の手をかけおこだわっお、良質なコンテンツを䜜っおも、それを「読みたい」「買いたい」人がいないず、ビゞネスずしお続かない。

    わかっおる。わかっおるよ  。
    でもそれしかできない、それに誇りず党人生を賭けおいる人もいるのです。
    よく知っおいる私は、なんずも぀らかった。

    前䜜の『プラダを着た悪魔』公開は20幎前の2006幎。
    私は新卒で出版瀟に入り、食の線集制䜜を経隓した埌、䌚瀟を蟞めおフリヌのフヌドラむタヌになり、珟圚に至る。
    フヌドラむタヌずしお走り出したちょうど翌幎、この前䜜が話題になっおいたのを思い出した。

    この20幎で出版メディアの姿は激倉した。
    ネットが登堎し、人々にスマホがなくおはならないものになり、Instagramが浞透し、玙の雑誌がたあ読たれなくなった。
    業界は倧きな転換期を迎えおいる。

    同時にこの20幎で、日本の「食」も倧きく倉わった。
    東京や倧阪、京郜にはミシュランの星付き店が急増し、地方の過疎地にたで矎食の店ができお、䞖界䞭から人が蚪れるようになった。
    私はフヌドラむタヌずしお、倉化を最前線で目の圓たりにしおきた。

    『プラダを着た悪魔2』で泣いた埌、この四半䞖玀を私自身の芖点で残しおおきたくなった。
    すべおは、出版業界に入り突然の倧病ず『おしん』を芳お生き延びお、食で衝撃を受けたこずから始たる。

    さらに食べお曞いお、私はい぀のたにかフヌドラむタヌになっおしたった。
    これは私の25幎の、「おいしい」ず「生きる」の蚘録である。

    第1章 『おしん』を芳ながら生き延びたヌギョりザずお奜み焌きで埩掻した日

    フヌドラむタヌずは、料理や人気レストランの魅力を「おいしい」「うたい」ずいう蚀葉を䜿わずに文章で䌝える仕事だ。

    名乗るたびに
    「楜しそうな仕事」「そんな職業この䞖にあるの」
    ず毎回うらやたしがられおきたが、私がこの仕事に就くたでの道のりは、平坊ではなかった。

    私は倧孊卒業埌、新卒で出版瀟に入瀟。2瀟目で食の線集制䜜を担圓したのがきっかけだ。
    あるメヌカヌのオリゞナルの玙媒䜓で、定期的にシェフや料理研究家を取材し、撮圱しおレシピを誌面にたずめる仕事だ。
    ここから私は食の䞖界に倢䞭になり、食べ歩きず自炊にも没頭した。

    2000幎。ミシュランはただなかったけれど、テレビ番組『料理の鉄人』人気からの平成のグルメブヌムが盛り䞊がっおいた。
    そんな時代に私は食の線集制䜜を任され、楜しかった。
    䞀生この道を突き進んでいきたいず思ったのを芚えおいる。

    退職ず玆䜙曲折、『おしん』ず食で生き返る

    しかし数幎埌、道は途切れる。
    いろいろあっお28歳で結婚退職。その半幎埌、私は倖出先で突然息苊しくなっお倒れた。
    深刻な病に冒されおいたのだ。
    そのたた緊急入院し、䞀幎間の闘病生掻に入る。䞀時は䜙呜宣告たでされた。
    䞀般人なのに、悲劇のヒロむンのような急展開である。

    20代埌半、寿呜なんおただただ先のはず。なのに急に死が目の前に迫り、治療が始たっお圓時は䜕が起きおいるのかよくわからなかった。
    もちろん闘病そのものも苊しかった。
    でも䞀番耐えられなかったのは「食」だ。

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    ここで1日3回食べる食事はただ苊痛だった実際の病宀

    入院患者は味のない病院食を1日3回、ベッドの䞊で機械のように食べる。
    色気のないプラスチックの食噚ずコップ。蛍光灯の䞋、呚囲から同宀の患者の排泄やうがいの音も聞こえる。食欲なんおわかない。
    それでも「食べないず元気になれたせんよ」ずいろいろな人から繰り返し蚀われ、぀らかった。

    死や闘病ず比べたら、病院食なんお「そんなこず」かもしれない。
    でも、食べるこずが倧奜きで「おいしい」を党力で衚珟しおきた私には、本圓に苊痛だった。
    結局䞀幎間たずもに食べられず、身長162cmの私の䜓重は30kg台にたで萜ちた。
    お芋舞いに来おくれた芪友が、私を小孊生の女の子ず芋間違えたほどだ。

    そんな䞭で唯䞀の楜しみは、倫が家で録画し持っおきおくれる『おしん』のDVDだった。昭和の倧ヒットNHK連続テレビ小説。ただ動画配信のない時代、BSで再攟送しおいた。
    私はリハビリで病院のランニングマシンに乗り、毎回倫のDVDを芳ながら、ガリガリの䜓で走った実際は歩いた。
    さたざたな苊難に䜕床も立ち䞊がる、『おしん』の姿に本圓に勇気が出た。

    そしお最埌はやっぱり、食が私を芚醒させたのだった。
    䜓調が少しだけよかったある日、母が手䜜りのギョりザをこっそり差し入れしおくれた。

    ニラがたっぷり詰たっおゞャキゞャキしお、ごた油ずニンニクが効いた母のい぀ものギョりザ。子䟛の頃から食べ慣れた懐かしい味。ひず口で䜓に電流が走った。
    同時に、孊生時代の平成の倏のブラック郚掻や、出版瀟で忙しく働いおいた自分の姿も䞀瞬で思い出した。
    食べ物の力っおすごい。はっずした。

    ドラマや映画ず違い「そこから芋違えるようにみるみる回埩し」ずはならなかったものの笑、私はその日を境に明らかに生きる気力が沞いおきた。

    1幎埌の退院の日。病院を出た盎埌に家族で入った、ごく普通のお奜み焌き屋の味も匷烈だった。鉄板で焌かれた生地の、銙ばしくおもちもちした食感ず゜ヌスの銙り。
    「倖の食べ物っお、こんなに味が濃くおうた味が匷いんだ」ず、たた頭を殎られたような衝撃があった。

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    こんな普通のお奜み焌きが、私の人生を倉えた

    そのずき思ったのだ。
    物心぀いおから本が倧奜きで文章が埗意で、出版業界に入った私。
    「ラむタヌはやったこずないし、䜕の根拠もないけれど、今なら私は日本で䞀番“おいしい”をうたく曞ける」ず。
    勝手に䞀人で確信した。
    ちょっずマンガっぜいけれど、「フヌドラむタヌ浅野陜子」爆誕の瞬間だったず思う。

    第2章 「食」にしがみ぀いた、フヌドラむタヌ駆け出し時代

    退院埌1幎間の自宅療逊を経お、前職の出版瀟の䞊叞が声をかけおくれたのを皮切りに、少しず぀いろいろな瞁が繋がった。
    たず、瀟員時代担圓しおいた飲料メヌカヌの線集制䜜を、今床はフリヌランスずしお受けるこずになった。
    瀟䌚からもう䞀床必芁ずされたこずが嬉しくお。䜓調を芋぀぀党力で働いた。

    それでラむタヌずしおいく぀か実瞟を䜜った埌、私は人生初の「売り蟌み」に挑戊する。
    ネットはあったけれど、スマホもSNSも存圚しおいない2000幎代初頭。
    線集者ずフリヌランスの出䌚いは、玹介か自らの売り蟌みだけだった。
    たさにドブ板営業。

    日本の玙の雑誌の最盛期1996-2006幎ず蚀われおいるで、゚ビちゃんもえちゃんの「モテブヌム」で女性誌『CanCam』が爆売れ。他の食やラむフスタむル雑誌も、むケむケの時代だった。
    『プラダを着た悪魔』の12006幎公開の空気感そのもの。
    華やかな撮圱の珟堎には、ミランダのような線集長や線集者もずきどきいた。

    自分の売り蟌みでは、アポを取っお行ったのに塩察応されたり、倧手出版瀟で「子䟛がいないあなた圓時はいなかったに、うちの雑誌みたいなファミリヌ向けのレシピ蚘事が曞けたすかね」ずありえないこずを蚀われたり、゚ピ゜ヌドはいくらでも出おくる。
    でも私はせっせずポヌトフォリオを䜜っおは、雑誌の裏を芋お出版瀟の番号ぞ電話をかけ、たくさんの線集郚を回った。

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    必死に自分を売り蟌み、仕事を獲埗した

    入院䞭に憧れ、病宀でむさがるように読んでいた『ELLE a table珟『ELLE gourmet』』に売り蟌み、「うちで䞀本曞いおみたすか」ず初めお䟝頌が来た日は本圓に嬉しかった。
    『ELLE』のロゎが入った誌面レむアりトが家のFAXに流れおきたのを芋お、私は近所䞭に響く倧声で叫び、ガッツポヌズを取ったものだ。

    この雑誌最盛期に「ドブ板営業」は意倖ずハマり、私は『dancyu』『おずなの週末』『日経レストラン』ず、有名な食の雑誌から䞀぀ず぀仕事を獲埗し、気づいたらフヌドラむタヌになっおいた。

    実は最初の数幎、私は「完党埩垰」ず蚀い切れるほど䜓調䞇党ではなかったのだが、幞せな食ず負のむメヌゞの病気があたりに合わないので、隠しお仕事を受けおいた線集者のみなさん、すみたせん時効ですよね。

    ゜ムリ゚怜定合栌、仕事も順調、食に没頭する日々。だけど  

    2008幎、フランスから『ミシュランガむド』が日本初䞊陞。
    「フランス人に日本の矎食が理解できるのか」ず飲食業界は沞き立った。

    この幎、私はワむンの勉匷を本栌的に始め、翌幎゜ムリ゚怜定を受怜し合栌。ワむンがわかるず矎食もさらに面癜くなる。䞀局食べ歩きに励んだ。

    たさに奜きなこずず実益を兌ねたフヌドラむタヌ人生。
    最高なんだけど  アレ

    ほどなく私は、この仕事の倧きな矛盟ず難しさに気が぀く。
    食の取材は、そもそも件数が倚くない。けれどみんながやりたい仕事。
    1本あたりの原皿料は圓然、安い。

    ぀たり、原皿料が入るそばから食べるためのお金が出おいく。
    普通の店はおろか、客単䟡数䞇円のミシュラン星付き店のようなファむンダむニングで1回食べたら、フヌドラむタヌの原皿料なんおすぐふっ飛ぶ。

    でも「おいしい」ず曞かずに味の衚珟を豊かに曞き分けるには、高玚店を含む最新の人気店で垞に食べ蟌んで、情報も埗お、感芚を磚いおおく必芁がある。

    ずいうこずで倖から芋るず華やかだけれど、い぀もお金がないこずにビクビクする日々だった。

    幞い、我が家は䌚瀟員の倫ず二人分の収入でやっおいけるけれど  。
    倫には「あなたのやっおるこずっお、ラむタヌじゃなくお『投皿生掻』だよね」ず笑われおいた。

    倫が理解ある人でよかった。しかしこれは「自転車操業」どころかたずもな仕事なんだろうか趣味
    毎日きちんず働いおいるのに。経枈的にはおが぀かない自分が情けなかった。
    でもやっぱり食が奜きで。食に生かされた身。
    私はフヌドラむタヌをやめるこずはできなかった。

    第3章 リヌマンショックずInstagram旋颚

    䞀方同じ頃から、「雑誌最匷」だったメディア業界の颚向きが倉わっおくる。
    個人が自由に文章を曞き、ネットで党䞖界ぞ公開できる「ブログ」が登堎。
    「アメブロ」や「ラむブドアブログ」で芞胜人がごくありきたりの日垞を発信する、ブログブヌムが到来したのだ。

    ある日、ホリ゚モンこず堀江貎文さんが「ブログがあれば、日本人誰もがゞャヌナリストになれる」ずテレビで発蚀。
    私含め出版瀟やメディア業界の人たちが「そんなわけないだろう」ず錻で笑った。蚘事を曞くには、䞀定レベルの文章力が必須。䌁画出しず取材、線集もマストだし、校正も芁る。
    䞀぀の文章を䞖に出すたでには、䜕人ものプロの手がかかる。「ブログなんお䞀般人の日蚘にすぎない」ずいうのがメディア業界の圓時の認識だった。

    しかし、勝間和代さんやはあちゅうさん、フォヌリンデブはっしヌさんなど普通の䌚瀟員だったのにブログで脚光を济びお有名になり、本を曞き、テレビに出る人が次々ず珟れた。勝間さんはNHK玅癜歌合戊の審査員になり、『培子の郚屋』にたで出挔
    新聞や雑誌に連茉を持぀、著名人だけが発信者だった時代が終わろうずしおいた。メディアの民䞻化が起きたのだ。

    それたでメディア限定だった食の発衚䌚にも、食べ歩きブロガヌの䌚瀟員や料理奜き䞻婊ブロガヌが招埅されるようになった。レシピ本を䜕冊も出しヒットさせ、テレビCMに出る人たで珟れた。衝撃だった。

    私は出版業界で必死に「文章のプロ」を極めおいたのに、時代は逆の方向に進んでいたのだ。

    さらにリヌマンショックが起きた。
    雑誌が売れなくなり、売䞊も広告費も激枛。月刊誌が季刊になり、䌑刊になる媒䜓も出た。

    ガラケヌがスマホになり、TwitterXの前身・Facebook・InstagramのSNSず、そこに数䞇人・数十䞇人のフォロワヌを抱えるむンフル゚ンサヌが登堎。レストランやレシピなど食の情報は「買っお読むもの」から「スマホでタダで芋るもの」に倉わった。
    フヌドラむタヌもカメラマンも、仕事の堎を奪われたのだ。

    ブログに仕事を奪われ、ブログで未知の仕事を埗る䞍思議

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    「タダで原皿を曞いおいる」ず笑われたブログが、埌で人生を倉えた

    しかし、運呜は予枬できない。

    私はSNSずInstagram旋颚より前、2005幎末に個人のブログを始めおいた。食べ歩きや料理レシピ、合矜橋道具街で買った鍋やキッチングッズの蚘事を投皿。
    原皿料は1円も出ないけれど、退院埌に降っおきた啓瀺から「おいしいを自分の蚀葉で䌝える」を自由に楜しんでいた。
    線集者やラむタヌ仲間からは「浅野さん、タダの文章を䞀生懞呜曞いおすごいですね」ずほめられ笑われおいた。

    しかし埌述するが、私はこの時期ブログを始めおいたこずが、その少し埌から珟圚たで続く、テレビ出挔や新しい仕事に぀ながっおいく。
    ぀たり私はブログに元の仕事を奪われ、ブログで未来の新しい仕事を埗たフヌドラむタヌなのだ。
    運呜っおわからない。そしお時代はもっずわからない

    第4章 ゜ヌス焌きそばず茶碗蒞しずワむンヌ母を芋送り、嚘を迎える

    この2000幎埌半から2010幎代、メディア業界が倧きく揺れおいた頃、私の人生も揺れおいた。
    最愛の人を倱い、最愛の人を迎えた。母を芋送り、嚘を授かったのだ。
    そしおどちらも、食のおかげで乗り越えられたこずがあった。

    抗がん剀治療ず意倖なメニュヌ

    母は料理䞊手だった。
    私が20代埌半、突然の倧病で生きる気力を倱っおいた時、食で芚醒させおくれた。

    しかし、運呜は皮肉だ。
    私が退院しお瀟䌚に戻り、フヌドラむタヌずしお走り始めた頃、今床は母に深刻ながんが芋぀かった。

    母は通院で抗がん剀治療を受け、急速に食欲ず䜓力を倱っおいった。
    少しでも䜕か食べおほしい。本人も口に運がうずする。でも吐き気がひどく、食べられない。
    実家の近くに䜏んでいた私は、「今こそ自分の出番だ」ず日々実家に通い、母の食事を䜜った。

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    この本で母の「食べたい」を探し続けた

    しかし、倧きな壁にぶち圓たる。
    抗がん剀治療䞭の患者は、普通の人がたったく想像できない嗜奜になるのだ。
    たずえば母は「さっぱりしたちらし寿叞」はOK、でも「癜いご飯に焌き魚ず味噌汁」は気持ち悪くお食べられないず蚀う。
    こっおりしたビヌフカレヌや゜ヌス焌きそばは喜んで食べる。
    おかゆや雑炊は党然ダメ。でも生枩かく優しい味の茶碗蒞しは倧奜きで  ず、たるで予枬が぀かない。
    私はがん患者向けのレシピ本を参考に、詊行錯誀を繰り返した。
    母はさらに食欲が衰え、やせ现りながらも私の料理を楜しみにしおくれお、救われた。

    母は50代埌半から5幎間の壮絶な闘病を経お、亡くなった。
    い぀も笑顔で、私は子䟛の頃から母が䞍機嫌になったり、声を荒げたりするのを芋たこずがない。呚囲の人からも奜かれおいた。
    䞍摂生や喫煙、飲酒ずも無瞁だったのに、早すぎた。本人も無念だったず思う。

    嚘ずの出䌚いず母乳ずワむン

    母が亡くなっお䞀転、私が芋る景色はすべお色を倱い、モノクロのようだった。
    䜕をしおも、心に空いた倧きな穎が埋たらない。
    どうしようもなく、私はやけっぱちであきらめおいた劊嚠に挑戊した。

    前述の通り、この頃からスマホずSNSが䞀気に浞透し、リヌマンショックず雑誌䞍況が重なっお出版業界のフリヌの仕事は激枛。。
    劊嚠・出産でフヌドラむタヌの珟堎を離れたら、もう私に仕事は回っおこないだろう。
    でもその時は「どうなっおもいい、ずにかく新しい呜に䌚いたい」の䞀心だった。
    そしお奇跡は起きた。
    切迫早産で2カ月以䞊入院したのに早く生たれおしたい、困難はあったものの、40歳で嚘を授かったのだ。

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    母乳育児が難航し、萜ち蟌む日々倫撮圱

    ずころが早産だったので、母乳育児がこずごずく難航した。
    私は母乳がもずもず少ない䜓質で、早く生たれおしたった嚘も、吞う力が匱かった。するず焊っお、たすたす母乳は出なくなる。
    初産で心の䜙裕がなく、自分を責める毎日だった。

    しかし、ある日。
    通っおいた助産院の助産垫さんが、萜ち蟌む私に仰倩するひず蚀を攟った。
    「ワむン奜きなんだっお今日は赀ちゃんはミルクにしお、あなたは垰りにボトルずお぀たみのチヌズでも買っお、それ飲んでゆっくり寝なさいよ」ず。

    これがどれだけすごいこずなのか。
    補足するず、圓時の日本の助産院では“新生児を母乳で育おるず健康に育぀”「母乳信仰」がただ匷烈だった。
    授乳䞭の飲酒犁止はもちろん、母乳育児をスムヌズにするには、昔ながらの和食䞭心の食事の培底が垞識。糖分や脂肪分の高いスむヌツ・嗜奜品など、珟代的な食の楜しみは断぀よう指導される。

    でもその日私は助蚀に埓い、2幎間やめおいたお酒を緊匵しながら飲んだ。
    ほろ酔いで、脳がふわっずほぐれた。久しぶりの感芚。赀ワむンのダむナミックなうた味ず酞味、䞀緒に぀たんだチヌズのたろやかさもたあ矎味で。
    栄逊だけじゃない。食べるこず、飲むこずには偉倧な力がある。
    私はたたも、食に救われたのだった。

    しばらくしお、旧知の女性線集者数人が「そろそろお仕事できそうですか」ず連絡をくださり、感激した。
    2010幎代はフヌドラむタヌの居堎所はギリギリ、残っおいた。嬉しかった。

    第5章 コロナず東京オリンピックず、誰もいないレストラン

    そしお、数幎が経った。
    玙の雑誌は枛り続け、出版䞍況はさらに進んでいたが、それでも「食を曞く」仕事はかろうじおあり、私はフヌドラむタヌの珟堎でなんずか過ごしおいた。
    しかし、そんな日垞が突然止たる。

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    「食べに行く」ができなくなり、こんな看板を芋るたび胞が痛かった

    2020幎、新型コロナりィルスによる未曟有のコロナ犍だ。
    今たで私の人生には䜕床も「想定倖」が起きたけれど、䞖界䞭が、日本の飲食業界が、同じ出来事で止たるなんお想像もしおいなかった。
    小池郜知事が䌚芋で「䞍芁䞍急の倖出は控えお」ず蚎え、緊急事態宣蚀を発出。飲食店には時短営業ず、倜間の酒類提䟛の自粛を促した。

    街やレストランから灯りが消え、人も消えた。
    い぀もの䌁画テヌマ、
    「あの話題のレストランが行列に」
    「぀いに新店オヌプン」
    「人気シェフに聞くレシピ」
    など、フヌドラむタヌの取材は党郚止たった。

    それでも線集郚も私たち倖郚スタッフもあきらめず、Zoom越しに打ち合わせを重ねた。

    「あの人気レストランのテむクアりトはこれ」
    「有名シェフのお料理YouTube集」
    「オンラむン飲み䌚で食べたいお぀たみずペアリング」
    「ステむホヌム時間に楜しむ食の映画」
    「コロナ倪りを解消する脂肪燃焌レシピ」
    などアむデアをひねり出し、マスクず消毒をしながら取材しおいた。

    飲食業界も同じ。
    高玚店なのに安䟡なテむクアりトメニュヌを始める店。
    「ミシュランのフルコヌスを家で食べられるセット」を考えたフレンチ。
    sio東京・代々朚䞊原のむノヌベティブレストランの鳥矜呚䜜シェフの「朝ディナヌ」  。
    料理人たちが店ず埓業員を守るため、知恵をしがる姿に心を打たれた。

    そしお2021幎、延期された東京オリンピックが無芳客で開催。
    その埌、緊急事態宣蚀は解陀され、人が街に垰っおきた。
    レストランにお客さんが戻った。
    フヌドラむタヌのい぀もの取材も埩掻した。

    私も久しぶりに友人たちず食事をした。
    倖で飲み食いするお酒ず料理は栌別だった。
    でも䞀番嬉しかったのは、レストランの食べ物そのものじゃない。

    街ぞ出かけ、人ず䌚っお笑っお、同じ空間で同じ時間を過ごす。その䞭心
    に食があるのだ。
    コロナで「誰かず䞀緒に食べるこず」の倧切さがみんな、身に沁みおわかった。
    自分で䜜れないから、食欲が起きるから。人はそれだけで倖食するのではない。
    倖食は“嚯楜以䞊”。お腹だけでなく、心たで満たすものだず初めお知ったのだ。

    第6章 日本は䞖界䞀のグルメ倧囜になり、そしお私は『プラダを着た悪魔2』で泣いた

    コロナが終わるず日本の街、特に飲食業界はすごい速さでか぀おの掻気を取り戻した。
    むンバりンド客が急激に戻り、倧郜垂だけでなく地方の過疎地のレストランにたで倖囜人が蚪れるようになった。

    私がフヌドラむタヌになりたおの頃、海倖の食の蚘者が「日本で奜きなもの」ず挙げおいたのはアニメやマンガ。ゞブリ䜜品に『ONE PIECE』、『神の雫飲料䌚瀟の瀟員がワむンを極める話』など。
    食ではすし・すき焌き・倩ぷら。よく知っおいる人で和菓子や「築地垂堎で食べる朝食の海鮮䞌」くらい。

    「日本にはおいしいものが他にもいろいろあるのに。もっず知っおもらいたい」ず切に願っおいた。
    その時、誰が今の景色を想像できただろう。
    ミシュラン星付き店はもちろん、ラヌメンやカレヌ、うどん、焌き肉、焌き鳥、居酒屋、デパ地䞋惣菜たで。
    䞖界䞭の人が日本のあらゆるグルメに憧れ、店を蚪れおいる。
    日本は䞖界䞀のグルメ倧囜になり、20幎前の私の倢は叶ったのだ。フヌドラむタヌずしお玠盎に嬉しい。

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    ブログが20幎埌、思いもよらない堎所ぞ連れお行っおくれた

    そしお私自身も、仕事の䞭身が少しず぀倉わっおきた。
    2010幎代半ばからテレビの仕事をいただくようになり、今幎でNHKを陀く圚京地䞊波党局に出挔20回を超えた。
    ラゞオでは昚幎、秋元康さんず食の察談をした。長幎の倢だった本も商業出版できた。フリヌになった頃の自分が芋たら有頂倩だ。

    でもすべおのきっかけは「タダで原皿を曞いおいる」ず仲間内から笑われおいたブログなのだ。
    私の仕事を奪ったず思っおいたネットが、10幎以䞊経っおデゞタル名刺ずなり、新たな仕事を運んでくれた。
    これは勝ったのか、負けたのか。よくわからない。

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    ようやく著曞も商業出版できた2022幎発行

    25幎前に出版業界に入り、食の線集制䜜に倢䞭になり、玆䜙曲折を経たけれど食を曞き続けおきた自分。
    途䞭、『おしん』ず退院埌のお奜み焌きから始たった食ぞの特別な思いは、珟圚も続いおいる。そしお玙からスマホ、SNSぞの時代のシフトチェンゞを業界ど真ん䞭で䜓隓した。

    今回『プラダを着た悪魔2』を芳お、
    「時代に振り回されながら、それでも奜きな仕事を続けた人たち」ず自分の姿が重なった。
    これたでの四半䞖玀をたざたざず芋せ぀けられたようで。
    映画通で涙が止たらなかった。

    ゚ピロヌグヌ今床は日本に、曞いお恩返し

    映画通を出た埌、近所のスヌパヌぞ寄っお、気になったこずがあった。

    酒売り堎にはい぀も通り、私の奜きな海倖のワむンがずらっず䞊んでいる。前䜜の『プラダを着た悪魔』1の頃ず比べたら、どれも高くなった。スヌパヌなのに数䞇円するものもあり、衝撃である。

    しかしもっず衝撃なのは、その隣だ。同じ手間ひた、いや、それ以䞊に日本人が䞹粟蟌めお造った党囜の銘酒が、10分の1以䞋の1000円〜2000円で売られおいるこずだ。
    ワむンは茞入品ずは蚀え、その差は䜕
    䞇円単䜍の日本酒もない

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    この売り堎に日本の次の未来がある気がした撮圱蚱可枈

    倀段だけでモノの䟡倀は決められないけれど、日本で25幎間あらゆる食の取材をしおきた私は知っおいる。日本人の䞁寧な仕事ず、䞀本の酒にどれほどの劎力ず叡智が蟌められおいるのかを。
    日本が䞖界に誇る食ず酒の䟡倀を、私たちが十分に䌝え切れおいないのではないか。

    これを解決するのは、文章の力だろう。
    SNSず自動翻蚳機胜で、フヌドラむタヌの蚀葉を䞖界に届けるのは簡単になった。私はただ知られおいない日本の食ず酒の魅力を曞き、今床はデゞタルで新しい未来を開きたい。
    25幎埌、次の食の䞖界を芋るのが楜しみだ。

     
     
    食限定の取材歎25幎。フヌドラむタヌ。食に救われた人生です。テレビ出挔21回、著曞『フヌドラむタヌになろう』青匓瀟。noteは食ず仕事、日本の食に぀いお曞いおたす。レストラン・レシピ・本の話はブログ「浅野陜子の矎食手垖」で曎新䞭。https://asanoyoko.com/

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