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身体は、応える

    「身体自由=カラダフリー」という問い

    思ったように動ける、をあなたの基準で取り戻す

    #創作大賞2026 #ビジネス部門

    プロローグ 運動が苦手だった私が、理学療法士として運動に関わるようになるまで

    私が理学療法士を仕事にしているといえば、多くの人は「子どもの頃から運動が得意だったんでしょう」と思うかもしれません。
    しかし、実態はまったく逆でした。

    小学生の頃、体育の成績は5段階の「2」。スポーツ観戦は大好きで、野球やサッカー、ボクシングなど、あらゆる競技を食い入るように観ていました。しかし自分が動くとなると、どうにもうまくいきません。運動会も体育の授業も、楽しいより苦しいほうが多かった記憶しかありません。

    転機は中学入学でした。
    進学した学校は部活必須で、深く考えず陸上部に入りました。ただなんとなく、という理由だけでした。そこから、ひたすら走る毎日が始まりました。

    すると不思議なことが起きました。
    走るうちに、身体が変わっていくのがわかったのです。昨日できなかったことが今日できる。スピードが上がる。疲れにくくなる。身体を動かすことが、少しずつ、楽しくなっていきました。

    後から知ったことですが、中学入学のタイミングは、神経系の発達においてギリギリの「黄金期」にあたります。その時期に集中的に身体を動かしたことで、どうやら私の運動能力は急速に開花したようです。運動が苦手だった小学生が、動くことが好きな人間に変わっていったのです。

    その後、なんの知識も計画もないまま理学療法士になりました。
    これも偶然でした。

    体育2だった子ども時代。中学で走り続けた日々。理学療法士として障害のある方や高齢の方の身体と向き合ってきた40年近く。バラバラに見えたこれらの経験が、一本の線でつながっていたことに、ある日気がついたのです。

    その線の名前が、「身体自由=カラダフリー」です。

    そして今。私自身も、加齢による身体の変化を日々感じています。かつてできたことが、少しずつ難しくなっている。それが今の自分の現実です。
    だからこそ、毎日思います。

    もう少しだけ軽やかに、滑らかに、自由に身体を動かせたら。

     この思いを、同世代の人にも、もっと上の世代の人にも、もっと若い世代の人にも、感じてほしい。それが、この文章を書いている唯一の動機です。

    序章 身体は、応える

    二つの場面が、頭の中に焼きついています。

    一つ目は、
    乳幼児期から悪性腫瘍により大腿部を切断した子どもとの出会い。

    義足を作るかどうか——家族も医療チームも、
    長い時間をかけて悩みました。
    「本当に使えるのか」「かえって負担にならないか」。
    迷いながら義足を作製し、装着してみると--生後1年に満たないその子は、
    歩行器につかまって、すぐに歩き出したのです。

    人間の子どもは、1歳前後に歩くという発達の節目を迎えます。その子は、義足という「違う形の脚」を持ちながら、その節目をちゃんと迎えていました。その後も義足を作り直しながら成長し、私が知る範囲では中高生になっても走り回っていました。

    二つ目は、ごく最近の話です。

    70代の男性。腸の手術で人工肛門(ストーマ)を造設し、退院時はストレッチャーで自宅に戻るほど、体力が低下していました。その後、介護保険によるデイケア(通所リハビリ)に通い始め、私が関わることになりました。

    数ヶ月が経った頃、その方はジャンプをこなすまでになりました。自宅でペンキを塗り、タイヤ交換を自分でやり、「こんなに動けるとは思わなかった」と、本人が一番驚いていました。

    この二人に共通することは、何でしょう。

    年齢も、身体の状態も、まったく異なる二人です。
    しかし私には、同じものが見えてきます。

    身体は、応えた--ということです。

    「歩きたい」という1歳の意志に。
    「また自分でやりたい」という70代の意志に。

    これが、私が40年近くの理学療法士としての仕事を通じて、繰り返し目撃してきた事実です。そして、この事実を土台にして生まれたのが「身体自由=カラダフリー」という考え方でした。

    第1章 「自由」とは、誰かと比べることではない

    「身体の自由」という言葉を聞いて、
    あなたは何を思い浮かべるでしょうか。

    プロアスリートのような身体能力?
    若い頃の軽やかさ?
    痛みのない身体?

    どれも間違いではありません。しかし、それが「自由」の定義になってしまうと、多くの人は最初からあきらめてしまいます。

    「思ったように動ける」——それだけでいい

    私が提唱する「身体自由=カラダフリー」の定義は、シンプルです。

    自分が思ったように、身体が動いてくれること。

    ただし、この「思ったように」の中身は、
    人によって、年齢によって、身体の状態によって、まったく異なります。

    1歳の子どもにとっては「歩きたい」という思い。
    義足であっても、その思いは変わりません。

    70代の方にとっては「ペンキを自分で塗りたい」という思い。
    ストーマがあっても、その思いは変わりません。

    体育2だった小学生にとっては「もう少しうまく動けたら」という思い。
    そしてその思いに、身体は中学の陸上部活動を通して応えてくれました。

    カラダフリーが目指すのは、「健常者の身体能力を獲得すること」でも
    「若い頃の身体を取り戻すこと」でもありません。
    「今の自分の身体で、自分の思いを実現できること」
    その距離を縮めることです。

    だから、義足を使う人にも、車椅子の人にも、持病のある人にも、高齢の人にも、カラダフリーは関係します。身体の条件を問わず、「今より少しだけ、思ったように動ける」状態を目指すこと。
    それが私の考える身体の自由です。

    「不自由=悪」ではない

    私が理学療法士として長年働く中で、常に気をつけてきたことがあります。

    それは「不自由=悪」というイメージを、患者さんや利用者さんに押しつけないことです。

    障害があることは、「欠けていること」ではありません。病気や手術の後遺症があることが、「何かをあきらめること」ではありません。

    身体の状態がどうであれ、その人の「思ったように動きたい」という意志は尊いものです。そしてその意志に、身体は応える可能性を持っています。
    私はそれを信じて、仕事をしてきました。

    「自由」と「不自由」は、対立するものではありません。
    今の自分の身体と対話しながら、できることを少しずつ広げていく。
    できる環境や場面を提供していく。
    その過程そのものが、カラダフリーなのです。

    第2章 身体は「使われない動き」を忘れていく

    ここで一つ、不都合な事実を共有させてください。

    身体は、使われない動きを、静かに忘れていきます。
    これを私は身体運動の「定型化」と呼んでいます。

    「定型化」とは何か

    毎朝同じ経路で通勤し、同じデスクで同じ姿勢で仕事をし、同じ動きで家事をこなす——現代の生活は、効率的であるがゆえに、身体が使う動きのパターンが極端に少なくなっています。

    使われない動きは、神経回路として優先順位を下げられます。
    関節は動かさない範囲が可動域から除かれていきます。
    筋肉は使われないパターンの収縮を忘れます。

    これは「老化」ではなく、「習慣化」の結果です。

    重要なのはここです。定型化は、気づきにくい。なぜなら、定型化した動きの中では、何も困らないからです。
    いつもの動きをいつも通りにやる分には、不便を感じません。
    しかしある日、いつもと違う動きを求められた瞬間に——旅先で重い荷物を持ち上げようとしたとき、孫と遊ぼうとしゃがんだとき、咄嗟に振り返ろうとしたとき——身体は「その動きを知らない」という反応を返してきます。

    「年のせい」は半分だけ正しい

    「年をとると身体が動かなくなるのは仕方がない」——この言葉は、半分だけ正しいです。

    加齢によって筋力や柔軟性が低下することは、生理学的な事実だからです。しかしそれは「だから何もできない」ということを意味しません。

    私が臨床で繰り返し目にしてきて感じたのは、「年齢よりも、定型化の影響のほうがはるかに大きい」ということです。
    70代でも、80代でも、「今まで使っていなかった動き」に取り組み始めると、身体は応えてくれます。ゆっくりと、しかし確実に。

    逆に言えば、30代、40代であっても、定型化が進めば「身体の自由度」は低下し続けます。腰痛、肩こり、膝の違和感——これらの多くは、老化ではなく定型化のサインです。

    もちろん、腰部脊柱管狭窄症や椎間板ヘルニア、肩関節周囲炎、変形性膝関節症など、医学的な診断が必要な状態もあります。痛みや違和感が続く場合は、躊躇せず医師に相談してください。
    カラダフリーの実践は、医療と並行して行うものです。

    「鍛えれば自由になる」わけではない

    ここで、よくある誤解を解いておきましょう。
    「身体を鍛えれば、自由になれる」——これは必ずしも正しくありません。

    ジムで毎回同じマシンを使い、同じ動きの筋トレを続けたとしても、
    それは「使われる筋肉をさらに強くし、使われない関節をさらに動かなくする」だけかもしれません。
    筋力は高まっても、動きの「選択肢」は必ずしも増えません。

    身体の自由とは、筋力の強さだけではありません。
    むしろ動きの選択肢の豊かさです。

    重いものを持ち上げられる筋力があっても、姿勢が固定されていれば腰を痛める可能性があります。バランス能力がなければ、どんなに脚力が強くても転倒する危険性があります。状況に応じて適切な動きを選ぶ「身体操作の知性」がなければ、力は自由になりません。

    「運動すること」と「身体が自由になること」は、イコールではない。
    その違いを理解することが、カラダフリーへの入口です。

    第3章 「仕方がない」と「必要ない」という二つの壁

    カラダフリーを伝えようとするとき、私は常に二つの壁にぶつかります。
    「年だから仕方がない」という壁と、
    「そもそも必要があるのか」という壁です。

    「仕方がない」という思い込みを解く

    「仕方がない」という言葉は、ある意味で防衛本能だと思います。
    できないかもしれないことに挑戦するよりも、最初からあきらめてしまえば、傷つきません。

    しかし私は、この「仕方がない」の裏に、
    もう一つの声が隠れていると思っています。

    「本当は、もう少しできるかもしれない」——という声です。

    臨床の現場で出会った方々の多くが、最初は「難しいです--私はもう無理です」と言っていました。しかし実際に動いてみると、身体は少しずつ応えてくれます。その小さな応答を積み重ねていくうちに、「仕方がない」が「できるかもしれない」に変わっていく瞬間があります。

    私はその瞬間を、数多く目撃してきました。
    それが、この仕事を続ける理由の一つです。

    「必要があるのか」という問いに答える

    「そもそも身体の自由度なんて、必要あるの?」という問いは、
    正直で率直な問いだと思います。

    答えはシンプルです。
    身体の定型化が進んだ先に、何が起きるかを考えてみてください。

    最初は小さなことかもしれません。段差を避けるようになる。長距離の外出をためらう。重い荷物を人に頼むようになる。やがてそれは「新しい場所に行くのが不安」「人に会いに行くのが億劫」という、生活全般の行動範囲の縮小につながっていくでしょう。

    これは、医学的な「機能低下」が起きる前の段階です。
    身体の定型化が、生活の定型化を生み、やがて人生の定型化を生む。

    逆に、身体が少し自由になると、人は動きます。
    動くと、世界が広がります。世界が広がると、人生が豊かになります。

    「今日もやりたいことができた」という実感が、人生の質を決めるのです。

    その実感を、できるだけ長く、できるだけ多くの人に持ち続けてほしい。
    それがカラダフリーの、一番の目的です。

    第4章 「身体自由」への三つの道筋

    では、実際にどうすればいいのでしょうか。
    カラダフリーに向かうための道筋を、三つ紹介します。
    特別な道具も、ジムも、大きな時間も必要ありません。

    道筋1——自分の身体の「今」を知る

    最初の一歩は、「自分の身体が今どんな状態か」を知ることです。
    身体のモニタリングです。自動車の車検のようなものです。

    試しにやってみてほしいことがあります。

    ・立ったまま、左右に身体をひねってみる
    (身体の回旋可動性/バランス能力)

    ・椅子にもたれて座った状態から、背中を背もたれから離してみる
    (姿勢の矯正/骨盤の可動性)

    ・腕を真上にまっすぐ上げてみる(肩甲骨の動きの協調性)

    ・お腹を前に出さずに背伸びをしてみる(ふくらはぎ/体幹の筋肉の働き)

    ・片足で5秒間、ふらつかずに立ってみる(静的なバランス能力)

    ・立ったまま靴下を履いてみる(動的なバランス能力)

    「あれ、こんなに動かないのか」「ここがつっかえる」「倒れそうになる」——そういう発見があれば、それがあなたの身体の現状です。驚きがあれば、それで十分なので、安全な環境で行ってください。その驚きが「取り戻すべき自由」を示唆しています。
    このように、身体への「興味」が生まれた瞬間、
    カラダフリーへの旅はもう始まっています。

    道筋2——「普段やらない動き」を日常に混ぜる

    二つ目の道筋は、「いつもと違う動き」を意識的に生活に取り入れることです。大げさなことは必要ありません。

    ・いつもと逆の手でドアを開けてみる

    ・立ち上がるとき、お辞儀をしながら踏ん張ってみる

    ・歩くとき、脚をいつもより少し大きく出してみる(大股歩き)

    ・階段を昇り降りするとき、トレーニングだと思って集中してみる

    ・その場でジャンプしてみる/縄跳びをしてみる

    ・床をゴロゴロ寝返りしてみる/でんぐり返りをしてみる

    どれも10秒もかかりません。しかし、こういった「ちょっとした非日常の動き」が、使われていなかった神経回路を呼び起こし、動きの「定型化」から解放され、「動きの引き出し」を少しずつ増やしていくことにつながります。重ねて安全な環境で、決して無理をせず(痛みなどが出ない範囲で)自分ができるところからやってみてください。

    体育2だった私が中学で走り続けたことで身体が変わったのも、
    同じ原理です。身体は使われればそれに応えてくれます。

    道筋3——「身体の声」を聴く習慣を持つ

    三つ目は、最も重要で、しかし最も見落とされていることです。

    多くの人は、身体が発するサインに気づかないまま日常を過ごしています。肩こりを「当たり前のこと」として放置し、腰の張りを「仕方がない」とあきらめる。しかしこれらのサインは、「このパターンだけでは足りない、もっと違う動きが必要だ」という身体からのメッセージかもしれません。

    一日一度でいいので、「今日の自分の身体はどんな状態か」を確認する時間を持ってください。
    動かして気持ちいい部分、動かしにくい部分、張りや違和感がある部分——それを感じることが、カラダフリーへの第三の道筋です。

    私が「カラダメンテ(身体のメンテナンス)」と呼ぶのは、この実践のことです。椅子に座ったまま、あるいは立ったまま、5分もあれば始められます。

    第5章 身体の自由は、人生の自由だ

    カラダフリーは、健康法でも、運動プログラムでも、ダイエットの方法でもありません。これは大げさに言えば「生き方の問い」です。

    身体と人生は、つながっている

    身体が少し自由になると、行動が変わります。
    行動が変わると、出会いが変わります。
    出会いが変わると、思考が変わります。

    デイケアで体力を取り戻した70代の男性が「また自分でタイヤを換えられた」と報告してくれたとき、その表情は「できた」という事実以上のものを語っていました。それは「自分はまだやれる」という感覚の確認でした。

    1歳で義足を着けて歩き出した子どもは、その瞬間から「自分の足で世界を探索する」という体験を得ました。それは認知の発達にも、情緒の発達にも、深く影響したと確信しています。

    身体の自由と、人生の自由は、地続きです。

    人生100年時代の問い

    長寿社会という言葉が当たり前になった今、
    問われているのは「長く生きること」ではなく「どう生きるか」です。

    医療の発達で寿命は延びました。しかし身体の「質」はどうでしょうか。腰痛、膝痛、転倒、フレイル——長寿社会が直面する問題の多くは、「身体の定型化の末」に起きていると考えられます。

    身体の自由度を保ち続けることは、単に「元気でいること」ではありません。「やりたいことをやれる身体でい続けること」です。
    それが、健康寿命を延ばすということの本当の意味だと私は思っています。

    おわりに——あなたの身体は、まだ覚えている

    冒頭で紹介した二人の話に、戻ります。

    義足の子どもは、「義足だから歩けない」とは思いませんでした。
    いや、思う前に、歩き出しました。

    ストーマのある70代の男性は、「手術したから無理だ」とはあきらめませんでした。少しずつ動きながら、身体の応えを確かめていったのです。

    二人とも、「思うように動きたい」という意志を、あきらめませんでした。
    そして身体は、その意志に応えたのです。

    さて、あなたはどうでしょうか。

    「年だから」「忙しいから」「面倒だから」——そういう言葉の裏に、「本当はもう少し動きたい」「もう少し自由に動けたら」という思いが、ひっそりと隠れていないでしょうか。

    私も同じです。加齢とともに、かつてできたことが少しずつ難しくなっています。それが今の自分の現実です。それでも毎日思います。
    もう少しだけ軽やかに、滑らかに、自由に動けたら、と。

    だからこそ、あなたにも伝えたいのです。

    身体はまだ覚えています。自由に動けた、あの感覚を。そして今の身体なりの「思ったように動ける」感覚も、必ず取り戻せます。

    同世代の人にも、もっと上の世代の人にも、もっと若い世代の人にも、この感覚を感じてほしいと願っています。それが、私がこの文章を書いた唯一の動機です。

    カラダフリーへの旅に、特別なスタート地点はありません。今日、深呼吸しながら背筋を伸ばす。立ち上がるときに一瞬バランスを感じてみる。いつもと違う道を歩いてみる。そんな小さな一歩が、出発点になるのです。

    身体が応えてくれるとき、人生も動き出すことでしょう。

    補足―カラダフリーを支える三つの柱

    カラダフリーには三つの要素が必要と考えています。

    その一.可動性(Mobility) ——関節がその本来の範囲で動けること。
    肩、股関節、背骨、足首など、主要な関節の動きが確保されている状態。

    その二.操作性(Controllability) ——動かしたいときに、動かしたい部位を、意図した通りに動かせること。「わかっているのに動かない」という感覚の解消。

    その三.適応性(Adaptability) ——様々な環境、場面、状況に応じて身体を調整できること。雪道でも、混雑した電車の中でも、狭い場所でも、その場に応じた動きができること。
    さらに、個々の身体状況に合わせて環境や場面を整えることも含む。

    この三つは、ジムで鍛えるような「筋力」「持久力」とは異なります。
    筋力がいくら強くても、関節が動かなければ意味がありません。
    運動能力が高くても、日常の動作で使えなければ宝の持ち腐れです。

    カラダフリーは「特別な能力」ではなく、
    「本来誰もが持っていたはずの能力」を取り戻すことなのです。

    著者プロフィール
    朝野裕一(あさのゆういち)
    運動科楽舎 代表。北海道旭川在住。
    理学療法士、エクサイズ・ナビゲーター。
    小学生時代は体育の成績「2」。中学の陸上部をきっかけに身体を動かす喜びに目覚め、結果として理学療法士へ。
    40年近くにわたり障害のある方・高齢の方の身体と向き合う。
    2017年より「運動を科楽する(科学×楽しむ)」をテーマにブログでの情報発信を開始。その後Podcast「トーク・オン・エクササイズ」、YouTube「身体自由-カラダフリーチャンネル」など多メディアで発信を続けている。
    「運動を科楽する(科学×楽しむ)」というコンセプトのもと、運動科学を一般の人に正しく、楽しく届けることをライフワークとしている。
    Website: https://www.運動科楽.com
    https://talkexercisetalk.seesaa.net/
    https://www.youtube.com/@asakizu8818

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