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竹田恒泰さんの「国史」教科書を読む シリーズ9 稲と鉄と馬と

    2月25日NHKの「英雄たちの選択」″黄金の馬を育てよ 地方豪族から見たヤマト王権” を見ました。MCの磯田道史さん(歴史学者)が、ヤマト王権の強さを述べていたことが印象に残りました。どんなに強い勢力であったか、古墳時代(4~6世紀)をとりあげたいと思います。

    ヤマト王権(政権)という用語が正直、団塊世代には違和感があります。

    AIに聞いてみました。(AIの答えは長いので部分的に省略)
    問い:大和王権、大和朝廷とヤマト王権の違い?
    答え:大和は奈良時代の713年に地域名として用いられるようになった漢字であるため、それ以前の時代をカタカナで「ヤマト」と使われる場合があります。
    学術的には「大和朝廷」という用語が、天皇を中心とした中央集権的な国家体制を連想させるため、より中立的な「ヤマト王権」いう用語が用いられる傾向があります。
    問い:いつからヤマト王権と表記?
    答え:1970年以降、「ヤマト王権」という用語が使われるようになり、現在では教科書でも一般的に使われるようになりました。

    そうか!1970年以降からだったのか!
    だから、孫の教科書を何度読んでもピンとこない。「英雄の選択」でも
    大王、ヤマト政権が何度も登場しますが、人物像をぼかし、大王の個人名が表示されず、抽象的なもの言いは、なんとも歯がゆく感じます。
    しかしさすが磯田さん、所々で継体天皇とか口走っています。彼は
    「とにかくヤマト王権は強い!!、自分は吉備の生まれですが、自分の目から見ても当時のヤマト政権に逆らうことはできなかったでしょう」

    どんなに強かったか、みていきたいとおもいます。

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    稲穂 photo by PC

    古事記の、天照大御神が降臨される邇邇芸命に下された詔は、
    「この豊葦原の瑞穂の国は、汝の知らさむ国なり」
    春の豊作を祈願する祈年祭きねんさい、秋には収穫を神々に感謝する新嘗祭にいなめさいは、大和時代から現在に至るまで全国の神社で行われています。
    宮中では毎年2月17日に祈年祭、11月23日に新嘗祭が行われ、天皇陛下が祈りを捧げます。天皇の存在が稲作と強く結びついていることが分かります。

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    鉄器(福岡博物館)photo by PC

    長浜浩明氏の日本誕生では、神武天皇が東征を終え正妃を迎えたのが蹈鞴五十鈴媛たたらいすずひめです。蹈鞴たたらとは、製鉄を行う時の送風、”ふいご”を意味し、五十鈴いすずとは、製鉄原料となる褐鉄鋼かってっこうのことです。
    三輪山は中央構造線の断層から砂鉄が採れる山でした。三輪山をご神体とする大物主神おおものぬしのかみとは、雷神で鍛冶職や製鉄業者からの信仰を集め、大和の守護神として畏敬されていました。五十鈴媛との婚姻により、稲と鉄(集団)の強固な関係を築くこととなりました。

    4~5世紀、朝鮮半島南部の鉄資源を得て、鉄の加工技術を導入、技術者を招へいするなどして鉄製の農工具を全国へ普及、農業生産力が向上していきました。朝鮮半島南部の権益と、国内統一に鉄製武器の需要が増しました。
    この頃には大和国家は日本列島の(北の蝦夷を除く)有力豪族を従えた国家基盤を整えていたと考えられます。

    422年 仁徳天皇(411~428)の在位期間 宋の正史「宋書」倭国伝に、倭国が使者を送ってきたこと、大和朝廷の支配地域が拡大していったことが書かれています。
    478年 雄略天皇(462~480)の在位期間「安東大将軍」朝鮮南部の軍事指揮権を認める称号を受けました。

    5世紀末~大化の改新迄の政治制度である「氏姓制度」が確立しました。

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    高校の資料より

    527年「磐井の乱」が起こります。豪族、筑紫国造磐井つくしのくにのみやつこいわいが新羅と組んで反乱を起こします。磐井は鉄をめぐって時の政権に対立しました。翌年磐井は敗れ、多くの土地を屯倉みやけ(大和政権の直轄地)として差し出しました。この時の天皇は、継体天皇でした。(在位523~534)

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    photo by PC

    562年 第29代欽明天皇の時代(在位554~572)朝鮮半島南部の任那(加羅)に日本府を置き、馬を日本に導入します。その役割を群馬の豪族、上毛野氏小熊かみつけののおくまが担います。朝鮮から馬の仕入れ、飼育や繁殖、軍馬として育て、それらの技術を持つ朝鮮の技術者たちを厚遇で招へいしました。やがて群馬(上毛野)地域は大和政権も一目ほどの存在となりました。
    小熊は地方豪族の反乱に巻き込まれ大和政権と対立しますが、筑紫国造磐井同様、即座に鎮圧されました。

    4~6世紀後半の日本は、九州では鉄、関東では馬、全国で稲作農耕の発達と、各天皇を中心とした政権と各地の豪族たちが闊達な交流をなし、国家へと成長していった時代でした。

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    asaisanです。みなさんから「asaisan!」と声をかけられます。「は~い」と振り向く私。 団塊世代もいよいよ大台、健康で長寿をモットーに、体力、気力と脳力を鍛えるためのnoteです。 旅や日々のエッセイ、読書感想、短歌等々、思いつくままに綴っていきたいと思います。