メインコンテンツへスキップ

途.

    朝比奈里



    本当に大丈夫なの?その同期の子も一人暮らし初めてなんでしょう?
    新卒でいきなり九州だなんて……ええ、そうね、わかってはいたけれど、まさか自分の子がと思うじゃない。母さん心配なのよ。
    いい?ちゃんとお掃除するのよ、お風呂場やトイレは自動できれいになんかなっちゃくれませんからね。ガス栓はこまめに閉めなさいね?横着しないように、少しやりすぎなくらいが丁度いいのよ、わかった?
    …はいはい、ああ、こんなことならもう少しあんたにも家のことやらせておけばよかったわ。お姉ちゃんばかりにお願いしちゃって。はいはい、そうね、たまにやってたわね、はあ、本当に大丈夫かしら。

    いい?しばらくは家にも電話してね。同期の子と羽目を外しすぎないようにしなさいね。お金の使い方であんたを心配はしてないけれど、大変だったら言いなさいね。お野菜とかお米は送るから。料理してみるのよ。
    はいはい、わかりました、もう言わないわ。


    …がんばってね。



    もしもし?江梨子?
    ええ、今帰って来たわ。色々言っていたら、父さんと篤にうるさいって言われちゃった。でも、心配にもなるでしょう?あんたと違ってほとんどやってこなかったじゃない家事の類なんて。…たしかにあの子は器用だけれど…ええ…そうね、そういう子ね。あんたのほうが肝が据わってるかもしれないわ。ふふ、藍は?…そう、おりこうさんね。次はいつ帰ってこれそう?…そんなに?佑二くん大丈夫なの?あんたも子育てひとりで平気なの?……そりゃあお母さんもそうだったけれど、今は時代が違うからとか、言うじゃない。二人とも地元を離れてるんだから、そっちに頼れる人…
    そう、元気にやってるならいいわ。いつでも電話して、来れるときに来なさいね。
    はい、はい、それじゃあ藍と佑二君にもよろしくね。はあい。




    ああ、お父さん、車どう?大丈夫そうかしら?
    うーん、新しくしたほうがいいのかしら……カーリース?とかがよかったりします?…はいはい、そうですね、私が言うことじゃありませんよね。
    なあに?手紙?
    ……あ、ええ、昔の、友人からだわ。何かあったのかしら。
    あ、あとで、読みますから、お茶入れるわね。いただいたお菓子もたしか…
    ちょっとお父さん、川口さんがご旅行に行かれたときにわざわざ買ってきてくださったのよ、そんな言い方…
    いえ、なんでもないわ。



    拝啓 
     
     春暖の候、いかがお過ごしでしょうか。
     このたびは、わたくしからの突然の知らせに驚いていらっしゃることと思います。大変申し訳なく思っております。
     最後にお会いしてから、幾年が経ちましたでしょう。あの頃はまだ小さかった娘が嫁に行き、妻に先立たれてから一人、何気ない日常を過ごしておりましたが、ふと寂しさに襲われ、誰かに会いたいと思ったときに、最初に思い浮かんだのは懐かしいあなたの顔でございました。
     このようなお話ができる立場ではないとは重々承知の上で、お恥ずかしながらも筆を執った次第です。
     この手紙があなたの手に届くことも、奇跡だと思っております。
     
     もし、お会いいただけるならば、下記連絡先までご連絡いただけますと幸いです。
      090-☓☓☓☓-☓☓☓☓  
      ☓☓☓☓☓☓☓☓☓@gmail.com

     その日を切に願って。
                                                                                                                             敬具
     
    202☓.☓☓.☓☓              西藤忠司


    ……





    お父さん?前に言った通り今日は私出かけてきますから。
    え?いえ、言いましたよ。はいはい、それじゃあ今言いましたので。
    ええ、ちゃんと用意してありますよ。
    お昼はレンジの中に、お夕飯は冷蔵庫に煮物が入ってますから、それぞれチンして食べてくださいね。
    …なあに?煮物はお嫌?でしたら夜は出前でも取って食べてくださいな。これ、チラシ、置いておきますから。





    …お久しぶりですね。
    あ、ええ、そしたら私もコーヒーを。…大丈夫です、ありがとう。

    ふふ、いいのよ、無理なさらないでください。
    私の娘ももう母親で、息子は就職して先日地方に行きました。自分の顔よりも子供たちを見る時間のほうが長かった、というのはただの言い訳ですけれど。
    …ええ、ありがとうございます。

    そういう……西藤さんこそ、お変わりなさそうですよ。
    ……いえ、もうあの頃のような若い娘でもないですから。わきまえています。
    せっかくですし昔話を存分にしましょうよ、だからこそ今日は来たんだもの。
    もう今後お会いすることもないでしょうから。

    まさか、西藤さんこそ十六の娘に会いに来たわけではないでしょ?
    そうですよ、三十年以上も経っているんです。娘さん…千花さんのご年齢を考えればわかることだわ。
    そりゃあそうです。私の儚い初恋を奪われたんですもの、ちょっとくらい意地悪したいじゃない。

    ふふ、ごめんなさい。久しぶりに会って、思っていたよりも平常心な自分にびっくり。正直もっとあたふたしてしまうんじゃないかって思ったけれど、存外大丈夫なものね。
    …無理してなんかないわ。

    私のことより西藤さんの話を聞かせて。ちゃんと聞くわ。あなたは話相手が欲しかったのでしょう?
    奥様はどうして?年上と言ってもたしか、五つか六つほどじゃなかった?まだまだお若いのに…
    …そう、つらかったでしょうね。私の友だちもね、同じ病気でではやくに亡くなったのだけれど、やっぱり見た目の変化が心も弱らせてしまうようだったわ…千花さんは大丈夫だったの?
    そう。それでも母親を亡くすには若すぎるわ。がんばって乗り越えたのでしょうね。

    あら、あなたはあの頃から寂しがりだったじゃない。いつも奥様のあとを追いかけていて。
    犬みたいでしたよ。子犬系男子って知ってる?あの頃はそんな名前はついていなかったし、珍しいタイプだったと思うけれど、テレビでそういうのを言っているのを見てあなたの顔が、……。
    …浮かんだのよ。こういう感じだったなあって。そして奥様はあの頃から綺麗で知的で、大人の女性で、あなたとお似合いだった。



    あ、そういえば、私たちがよく行っていた私立図書館があったじゃない?地主の方が建てた小さなログハウスの。あそこにね、うちの子供たちを連れて行ったことがあるの。あなたは?実家を出てから行ったことある?
    そう、もうだいぶ古くなってしまって、本は別の図書館に寄贈されて、ログハウスは建て直しになったのよ。子供たちはその建て直したあとに連れて行ったのだけれど、あのときの木や落書きやインド綿のくたくたの絨毯はもうないのにどこか懐かしかった。
    壁一面の本棚を背にして、ぺしゃんこのソファであなたはいつも本を読んでたわね。ソファの裏は誰も見ないからって、自分のお気に入りの本を勝手にそこに集めて。ふふ、今考えるとだいぶ傲慢だったわね。

    私?私はないわよそんなの。
    …あれは、よしえちゃんが言いだしたのよ、あなたを怒らせてみようって。森に隠したらわからないって。でも本を土の中に埋めるわけにはいかないから、木の上に…違うわ!私はだから、よしえちゃんが登れないって言うから代わりに登って置いてみただけで、むしろそれだけじゃたあちゃんは怒らないよって!…私は…言ったもの……

    なにを笑ってるの?
    …今のは昔話をしたから出ただけです、西藤さん?

    ……そうね、あの頃は楽しかった。昔を思い返すこともたくさんあったわ。

    うちの娘はね、はやくに結婚したの。近所に住んでたひとつ上の子と。私とは違って恋愛結婚よ、当たり前だけれど。旦那さんの仕事の都合で地元を離れるのもはやかったけれど、家事も育児も一緒にするから毎日幸せなんですって。息子のほうも、さっきも言ったけれど新卒で地方勤務になったわ。頭がよくて優秀でね、数年でこっちに戻ってくる予定らしいけれど、どうやら昇進コースなんですって。

    …そう、自慢の子どもたちなの。でも私は…
    どこかでずっとあの子たちに嫉妬してる。
    自由で、愛に溢れて、知性も伸び伸び暮らす環境もある。それぞれ私の見ている範囲でも挫折のあった今までだったけれど、それを乗り越える凛々しさを兼ね備えてるの。人生に、山も谷も美しいくらいにある。それが羨ましくてたまらない。
    おかしいよね、母親なのに。

    私というより、お父さんに似たの。要領の良さだったり物事を自分できちんと判断したり。そういうふうに育ててきたからね。
    私とお父さん?……うまくやってるわよ。子どもたちには優しいしね。…でも、そういうもんじゃないかしら。私はあくまでも妻役、母親なだけでそれ以上でも以下でも。……たあちゃんにはわからないよ。

    やだ、また私が喋ってたごめんなさい。相変わらず聞き上手ね。
    ……そうやって…
    そろそろ帰るわ。お夕飯の準備をしなきゃ。
    あら、言ったでしょ?私ももう何年も母親ですから、料理はお手の物よ。
    それはもう忘れてよ、あの頃は本当にやり始めで、たまごを使う料理はそれだけで美味しくなると思ってたのよ。

    …いいえ、もう会わないわ。
    過去は温かいけれど、懐かしみすぎると先に進めないのよ。
    ……強くなったの。でもそれは…たあちゃんのためではなくて、自分のためだわ。

    家についたら連絡って…やっぱり私をあの当時のままだと思っているのね。私はそれがイヤだったのよ。いつまでも子ども扱いされているようで。
    いつまでも、あなたの奥様みたいな女性にはなれないと言われているようで。

    ……

    さようなら。






    ただいま帰りました。
    はいはい、すみません遅くなりました。
    あら、お夕飯まだなの?出前は……いえ、今作りますよ。お魚焼いて、残っていたおひたしときんぴらでいいかしら。
    お肉?買い物は明日行くつもりでしたから…そんな、お夕飯もっと遅くなっちゃいますよ、いいんですか?……はいはい、わかりました。じゃあこのまま行ってきますね。
    でしたらご自分のだけでいいですから、洗濯物取り込んで置いてくださいな。夜風にあたると冷たくなりますでしょ。

    ああ、これですか。
    前にお父さんが急遽仕事で江梨子と篤を遊園地に連れて行けなくなったとき、かわりに行ったログハウスのリーフレットですよ。近くでお友だちと会って来たものだから懐かしくてもらってきちゃいました。
    …いえ、行こうとは特に思ってないわ。それよりほかに欲しいものあります?まとめて買ってきちゃいます。

    車?いいですよ持てるぐらいにしますから。調子悪くなったらお父さんまた機嫌悪くなるじゃありませんか。
    行ってきますね。






    『西藤さんへ。
     連絡はしないと言ったけれどこれで最後なので。
     家につきましたが買い物にでました。
     今日はお魚を準備していたのだけれど、旦那がお肉が良いというので、希望のものをこれから作ります。
     私ももう、リクエストをきけるようになりました。
     べちゃべちゃのオムライスしか作れなかった少女ではありません。

     そういえば、今日話したかつてのログハウスですが、
     水曜と木曜以外は朝9時から夕方の5時までやっているようですよ。
     時間があるのでであれば行ってみてはいかがですか。
     それでは。』





    ……こんなにも、戻るのは簡単なのね。

    あなたへのおすすめ