
月の北東に、アンタレスがみえる。
わが家のトイレには不動の主役として鎮座しているものがある。
『太陽・月・星のこよみカレンダー』(公益財団法人国際文化交友会月光天文台)だ。
そこには、宇宙望遠鏡がとらえた宇宙画像とともに、専門的で深淵な知識が添えられている。
正直に言おう。かれこれ、4年間、買い続けているカレンダーだが、そこに記された言葉について、わたしは、まったくといっていいほど理解できない。
「矮小銀河しし座P。しし座の方向、約五百三十万光年の距離にあり、局部銀河群の中でも孤立している」
・・・「Pって何?」「銀河鉄道の親戚か?」
五百三十万光年という距離も、銀河の「孤立」という状態も、日常の地平に生きる私には、まったく関係ない異国の神話のように響く。
さて、一歩トイレの外へ出れば、わが子たちの些末of些末な争いが繰り広げられている。
「ボクのリンゴを食べないでよ」 「食べてない。においかいだだけ」 「いや、食べた。においかいで、かじった!」 「かじってない!」
日々繰り返される「リンゴ戦争」(時にミカン戦争、夏にはスイカ戦争へと変遷)という名の不毛な争いに対し、私は基本的には静観を決め込む。しかし、タスクに追われる日常で、心の中のコップの水が溢れ出してしまう瞬間がある。
反射的に声を荒らげ、その後に深い自己嫌悪がやってくる。
そんなとき、独り、トイレの中の宇宙へと逃げ込む。 「月の北東にさそり座のアンタレス」 「金星の南東におうし座のアルデバラン」
意味はわからずとも、その凛とした響きに浸るだけで、ささくれだった心は静かに凪いでゆく。
ふと思い出すのは、かつて深夜の温泉で、湯船に身をあずけながら眺めた星空のことだ。星々は、地球が回転する速度そのままに、実感できるほどの速さで夜空を渡っていた。私たちはこの瞬間、巨大な天体の一部として夜明けに向かって突き進んでいる。その壮大な事実に触れたとき、宇宙の中で「ひとり」であるという、いさぎよく澄み渡った孤独を、わたしは、飲み込んだのだった。
その孤独がもたらすのは「さみしさ」や「切なさ」ではない。些末な日常と、闇や時間をも飲み込む宇宙空間は、実はひとつながりの物語なのだという感覚。自分が計り知れないほど大きな「わけのわからぬもの」の一部であると感じることは、リビングで続くリンゴ戦争も「まあ、それもいいか」と受け入れる余白を私に与えてくれる。
トイレのカレンダーがわたしに語りかける。
しし座Pもリンゴ戦争も、摩訶不思議ではあるが、時にあなたの存在そのものでもあるのだ。
まだ、リンゴは冷蔵庫に残っているぞ。はやく、皮をむいておあげなさい、と。
「夜明けまえ灯(ひ)のない空を仰ぎ見る宇宙の中でわれは独り」