
カスの推理をすると毎日がちょっと楽しい
カスの推理をすると、毎日がちょっと楽しいです。
推理といっても、名探偵『ごっこ』です。
実際に声に出したりは決してしません。
「あの方達、犬のご飯を買っていますね。すなわち、あの夫婦は犬を飼っているということです」
くらいの推理です。
情報量が少なすぎる。
犬のご飯を買っているんだから、そりゃ犬を飼っている可能性は高いでしょう。
でも、こういうのでいいんです。
スーパーで大量の炭酸飲料とお菓子を買っている人を見て、
「今日は家で映画を見るんでしょう(決めつけ)」
と思ったり。
ホームセンターで、小さな植木鉢と土とスコップを持っている人を見て、
「この人は今日から何かを育て始めるんだと思います(決めつけ)」
と思ったり。
もちろん全部、勝手な想像です。
もしかしたら、植木鉢は工作に使うのかもしれない。
犬のご飯だって、実家の犬に持っていくものかもしれません。
全然当たっていない可能性もあります。
だからこれは推理というより、ほぼ妄想です。
しかも、ものすごく解像度の低い妄想。
私はこれを「カスの推理」と呼んでいます。
でも、このカスの推理をしながら歩いていると、知らない人たちが急に「背景にいる人」じゃなくなります。
朝、駅で花束を持っている人がいたら、
「誰かの誕生日なのでしょう(カスの推理)」
と思う。
ブランドの紙袋を抱えて走っている人がいたら、
「この方は、結婚を申し込みたい彼女にプレゼントを買ったあと、待ち合わせに遅れそうなので走っていますね(カスの推理)
(なのでさっきぶつかられちゃいましたが、許しましょう)」
と思う。
そう考えると、街の中には知らない物語がものすごい数あるんだなと思います。
別に答え合わせをする必要はありません。
むしろ答えがわからないから楽しい。
犬のご飯を買っていた夫婦が、本当に犬を飼っているのか。
植木鉢を買った人が、何を植えるのか。
花束を持った人が、誰に渡すのか。
私はたぶん一生知りません。
でも、
「たぶん犬がいる」
くらいの雑な推理を勝手にしているだけで、普通のスーパーも、駅も、道端も、少しだけ面白くなります。
名探偵にはなれませんが、カスの推理なら誰でもできます。
そして意外と、毎日はそういうどうでもいい想像を挟んだほうが楽しいのかもしれません。
今日もどこかで犬のご飯を買っている人を見つけたら、私はきっと思います。
「あの家には、犬がいますな!!!(カスの推理)」と。