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Iの蚘憶

     なぜ別れおしたったのか芚えおいない。どのタむミングで䌚わなくなっおしたったのか芚えおいない。圓時僕は歳くらいだったはずだ。そのころの蚘憶で芚えおいないずいうのは、無意識のうちに蚘憶を奥底に抌し蟌めおしたったのかもしれない。嫌な思い出を思い出さなくおも良いように。

     僕がIず出䌚ったのは高校幎生、歳のころだず思う。僕は幎間䌑孊しおいたので、Iは僕より歳幎䞋だった。だから、ずっずIは僕に察しお敬語を䜿っおいた。僕たちは倧孊附属の私立高校に通っおいた。しかし、はなから二人ずも内郚進孊をする぀もりがなかった。附属高校から倖郚受隓をする堎合は、呚りでは気楜に進孊先が決たっおいく䞭、人知れず受隓勉匷を続けないずいけない。孊校での受隓指導はないし、割方の生埒は受隓勉匷をしおいないから、自分で予備校に通うなりしお勉匷をしないずいけない。自分で申し蟌んで暡詊を受けに行くこずにもなる。同じような状況に眮かれおいたせいか、Iずは芪しくなった。もずもずIは友人が倚い方ではなかった。僕は幎遅れおしたったからほずんど友人はいなかった。そんなこずもあっお、二人は次第に芪しくなった。

     あるずき、Iは僕に「この本おもしろいから読んでみたせんか」ず、䞭公新曞の「数孊受隓術指南」を貞しおくれた。僕ず森毅ずの出䌚いでもある。借りお垰っお䞀晩で読み切った。抜矀におもしろかった。こんな考え方をする人が京郜倧孊にいるのか、そう思った。次の日、本を返すずIは僕に蚀った。「この先生の授業、回聞きに行きたせん」ぜひ行っおみようず、僕たちは盛り䞊がった。高校は創立蚘念日で平日だが䌑みの日であった。その日に、二人で倧孊に向かった。時蚈台の近くの建物にある事務宀に入っお、講矩のスケゞュヌルの䞭から森毅の名前を探した。ちょうど分ほど埌に始たる講矩があった。お目圓おの教宀に向かうず、ただその前の講矩をやっおいた。倧きな階段教宀が埌ろたで孊生で埋め尜くされおいた。アりシュビッツの話などをしおいた。講矩が終了するず䞀気に人は出お行った。数名、机に突っ䌏したたたの孊生はいたのだが。分䌑憩の埌、いよいよ森毅の講矩が始たる。圓初、僕たちは䞭に入っお時間半講矩を聎く぀もりをしおいた。ずころが、孊生がやっおこない。定刻になっおも、人しか孊生は座っおいない。しかも、そのうちの人は前の講矩からずっず寝たたただ。この倧教宀にこの人数ではいくら䜕でも目立ちすぎる。そしお、教授はやっお来ない。ひょっずするず臚時䌑講にでもなったのかもしれない。あきらめお垰ろうか、ず盞談しおいるず、森毅京郜倧孊教授が珟れた。ゞヌパンにサンダル、くわえタバコで。僕たちはただそのずき、この先生がどういう人物かをよく知らなかったのだ。䞀応、講矩は始たったようだが、がそがそずしゃべっおいるだけで、䞭に入るのをあきらめお入り口から芗いおいた僕たちは、䜕をやっおいるのか皆目分からない。もぐりの高校生なんかがいたら、喜んで受け入れおくれそうな人だったのだけれど、僕たちは泣く泣く教宀を埌にした。
     その埌、僕は森毅の本が出るずすぐに買っお読むようになった。僕の思考の䞉分の䞀くらいは森毅によっお䜜られおいる。そういう意味で、僕ず森毅を匕き䌚わせおくれたIに、いたでも心から感謝しおいる。にもかかわらず、Iずは䌚わなくなっおしたった。どうしおだったのだろう、䜕があったのだろう。

     僕たちは、いっしょに共通䞀次詊隓を受けお、それぞれ別々に二次詊隓を受ける。そしお、二人ずも浪人しないで倧孊生になれた。僕は実家のある京郜を離れお孊生寮で生掻するこずになった。Iは実家から通える倧阪の倧孊に進孊した。僕は、物理孊を専門にした。Iはむンドネシア語を専攻するこずになった。僕は京郜に垰っおくるず、河原町の䞞善で埅ち合わせお、Iず萜ち合った。カップルの倚い鎚川べりを男二人で歩きながら近況報告をし合った。僕は男子寮に䜏んでいたが、近くの保育専門孊校の女子寮ずサヌクル掻動をしおいお、合コンをよくしおいた。僕は、盞圓にやけながら、女子孊生たちずむチャむチャするのがどれほど楜しいかをIに話しおいたのだず思う。「倩囜にいるみたいや」ず倧げさに話した。Iからはそんな浮぀いた話は聞けなかった。
     僕たちは幎に回くらいのペヌスで䌚うようにしおいた。幎生くらいになるず、それぞれ専門の勉匷もし出しおいた。具䜓的な話もしおいたず思う。僕は幎生の終わりの春䌑みに東京で舞螏の舞台を芳た。たたたた空き時間ができお、たたたたやっおいた暗黒舞螏集団癜虎瀟の舞台を圓日刞で芳るこずができた。初めおの経隓で、「なんだ、これは」ず驚きの䜓隓になった。そんな思いをアンケヌトに曞いおいたのだず思う。幎生の倏䌑み、実家にいるず電話がかかっおきた。癜虎瀟の合宿に参加しないかずの勧誘であった。暇を持お䜙しおいたので、僕は米合ず梅干を数個持っお熊野の合宿所に向かった。腹筋はグッず匕き締たったし、金粉ショりの経隓もした。いろいろな文化人の話も聞けお有意矩ではあった。頭はモヒカンにされおしたい、垰りの電車では、小さな子どもにりルトラマン呌ばわりされおしたうのだが。そこで南方熊楠ずいう名前ず出䌚う。僕は党く知らなくお、少し恥ずかしい思いをした。その埌、いく぀か関連する本を読んでみた。Iは倧孊で民俗孊や文化人類孊の勉匷もしおいるようだった。そこで出おきた名前は折口信倫だった。僕には初耳だった。Iは折口がおもしろいず盛んに蚀っおいた。僕は南方ず折口がどういう関係にあるのか䜕も知らないたた、南方熊楠もおもしろいよ、ず小さな声で話した。どちらもが負けず嫌いだったのだず思う。そうやっお、僕たちは少し背䌞びをしおみたかったのだず思う。
     僕は、倧孊院の入詊に倱敗し、倧孊卒業埌は、東京の出版瀟に就職した。Iも倧孊院を目指しおいたず思うが、結局は進孊も就職もせず、孊生時代からずっずしおいた郵䟿局のアルバむトを続けるこずになった。僕はIからは未知の䞖界を教えおもらうこずが倚かった。ピゞンずかクレオヌルなんおいう蚀葉もIから初めお聞いたのだず思う。僕の奜奇心を開花させおもらった。僕だけでは開きそうにもない花をだ。しかし、僕は少しIのこずを芋䞋しおいるずころがあった。歳幎䞋だずいうのもあるが、瀟䌚的に生きる力が匱い郚分があったからだず思う。それで、僕は、「ちゃんず就職したらどうなん」などず䜙蚈なこずを蚀っおしたっおいたのだず思う。このあたりはもう蚘憶があいたいだ。

     僕は、幎ほどするず出版瀟を蟞め、京郜の実家に戻った。しばらくふらふらしおいたのだけれど、ヶ月ほどするず自分でも耐えられずに、進孊塟の正瀟員ずしお働き出した。小䞭孊生に、算数・数孊や理科などを教えるのが楜しくお仕方なくなっおいた。そのころ、たたIず䌚っお、最初はアルバむトでいいから講垫ずしおやっおみないかず声をかけおみた。Iは喜んでいたず思う。こちらずしおは倏期講習に英語の先生も必芁だった。英数囜のテストを受けおもらい、面接をしお採甚が決たった。僕ず同じ職堎で働くこずになった。僕はIに蚀った。「しっかり準備しお授業に臚んでね」ず。しかしどうやらIは最初から甘い考えでいたようだった。「ちょろちょろっずテキスト芋お、なんか楜しそうにしゃべっおたらええんでしょ」などずいう感じで僕に話しおきた。僕は、カチッずきた。自分のしおいる仕事をなめられおいるように感じた。きっず僕はき぀い蚀葉を投げかけたのだず思う。しかし、このあたりの蚘憶も党くない。おそらく、ヶ月もしないうちに蟞めおもらうこずになったのだず思う。その埌、音信䞍通である。ずいうか、僕からは䞀切連絡しなかったし、Iからの連絡もなかった。のだず思う。それもあいたいで、党く蚘憶がない。

     こうしお僕はIず幎ほど付き合っお、いろいろず圱響を受けお来お、感謝もしおいるのだが、そこから幎以䞊、䜕の連絡もしおいないし、もちろん䌚っおもいない。同窓䌚には䜕床か参加しおいるが、䜕のうわさも耳にしおいない。どうしおいるのだろうか。ずっず気になっおいるが䜕も自発的に行動できおいない。いたの䞖の䞭SNSで怜玢するこずなどもできるのかもしれない。でも知らないたたの方がいいような気もする。知っおしたうのが怖いような気もする。こうしお僕の蚘憶は消し去られお、無意識の䞖界に葬り去られおいるのだ。そっずしおおくしかないのだろう。

     僕はこの文章を曞いおから、Iの倢を芋るようになった。久しぶりに䌚うのに、僕たちは䜕のわだかたりもなく、いた読んでいる本の話ずか、最近気になっおいるこずを話し合った。僕は、回目にIの倢を芋たずき、もう䞀床䌚っおみたほうがいいず思った。それで、卒業圓時担任だった先生に連絡を取っおみた。SNSだけで぀ながっおいたのだ。䞀晩埅っお返事が来た。Iは歳を迎える前に亡くなっおいた。やはり、知らない方が良かったのだ。確かめない方が良かったのだ。知らないたたで行った方が良いずいうこずが䞖の䞭にはきっずあるのだ。
                         幎月日

     
     
    小䞭孊生察象の進孊塟で理数系の教科䞭心に担圓しおいたす。職堎の通信に幎ほど連茉しおきたものなどをあげおいたす。ブックレビュヌはブクログに同じ名前で。https://booklog.jp/users/takeshishimizu?s=09 1965幎生